延暦寺の仲座・岩崎惠晢氏と再会
今日の午後、麦川小学校の同級生と67年ぶりに再会しました。その同級生とは現在は天台宗総本山・比叡山延暦寺の仲座(なかざ)を勤めている岩崎惠晢氏です。同級生ですから、以下「君」付けで呼ばせてもらいます。岩崎君の「惠晢(けいせつ)」という名は延暦寺で得度して僧侶になってからの名で、それ以前は「俊明(としあき)」という名前でした。その岩崎君から先月10月中旬、突然電話が掛かってきて大変驚きました。来月16日に美祢の万倉地にある岩崎家の墓に母の納骨に行くから、その折に寺に寄りたいという話でした。
岩崎君は小学校2年の時まで麦川町に住んでいたが、お父さんの仕事の都合で麦川を去って以後、まったく所在が分からないまま何十年も過ぎ去りました。でも、私には岩崎君のことを忘れられない思い出が一つだけありました。それは岩崎君の誘いで私がバイオリンを習い始めたことです。もし岩崎君の誘いがなかったら、バイオリンを習うことはなかったでしょう。小学校2年生の時ですから、昭和30年ころです。当時、岩崎家は麦川町の田原医院(現在は廃院)の向かいに家があり、旅館業を営んでいたということです。岩崎君の祖父がかなりの資産家であったようで、田原医院が開業する以前は祖父が建てた建物で大嶺郵便局を経営し、局長を勤めていたということです。「お坊ちゃん」であった岩崎君は幼少期から下関まで出向いてバイオリンを習わされていたそうです。そして小学校2年の時、麦川小学校でバイオリン教室が開かれることになったので、岩崎君も下関まで行かなくても習うことができるようになりました。そこで、遊び仲間であった私に一緒に習おうと誘ってくれました。誘いに応じて私も習い始めたが、まったく練習をしなかったので、上手にはなれませんでした。でも、なぜかバイオリンが好きになり、ずるずると中学3年まで続けました。私が今でも弦楽器中心のクラシック音楽が好きなのは岩崎君のおかげです。
そういう忘れられない思い出がある岩崎君が比叡山にいるということを教えてくれたのは、私の両親でした。今から30年以上も昔のことですが、両親が団体参拝で比叡山に上がって、たまたま岩崎君と会ったという話をしてくれました。そのいきさつはすっかり忘れてしまったが、岩崎君が比叡山にいるということだけは強く記憶に残りました。それから長い年月が過ぎ去りました。
今から5年前の2018年、NHKの「新日本風土記」という番組で比叡山が取り上げられたので見ました。その中で、延暦寺の仲座のことが詳しく紹介され、岩崎惠晢氏が登場しました。その岩崎惠晢氏が幼なじみの岩崎君かどうか、はっきり分かりませんでした。ひよっとしたら、岩崎君かもしれないので、京都に行く機会があれば、ついでに比叡山も訪ねてみたいと思っていたが、コロナ禍になったので、県外に出ることすらままならなくなりました。そうこうしているうちに月日が過ぎて、このたびの有り難いご縁で67年ぶりに再会することができました。
最後に、延暦寺の仲座がどんな役職であるか、私もNHKの番組を見るまでは知らなかったが、岩崎君から聞いた話もまじえて簡単に説明します。延暦寺では年間、300以上の種々の法要が勤められるそうです。どの宗派でも同様ですが、法要の際には仏さまが安置してある内陣の荘厳(仏殿の飾り付けのこと)を必ず行います。延暦寺ではすべての法要の荘厳を一手に引き受けているのが、他宗派には存在しない職種の仲座です。荘厳の準備やその法具、法衣類の管理以外にも様々な仕事があるが、現在、延暦寺には岩崎君とその弟子の2人しか仲座がいないため、休む間もないほど多忙のようです。岩崎君に後継者の養成が求められているようですが、仕事そのものが大変なのでなかなか後継者が育たないのが悩みの種のようです。
延暦寺仲座の岩崎君

岩崎君は小学校2年の時まで麦川町に住んでいたが、お父さんの仕事の都合で麦川を去って以後、まったく所在が分からないまま何十年も過ぎ去りました。でも、私には岩崎君のことを忘れられない思い出が一つだけありました。それは岩崎君の誘いで私がバイオリンを習い始めたことです。もし岩崎君の誘いがなかったら、バイオリンを習うことはなかったでしょう。小学校2年生の時ですから、昭和30年ころです。当時、岩崎家は麦川町の田原医院(現在は廃院)の向かいに家があり、旅館業を営んでいたということです。岩崎君の祖父がかなりの資産家であったようで、田原医院が開業する以前は祖父が建てた建物で大嶺郵便局を経営し、局長を勤めていたということです。「お坊ちゃん」であった岩崎君は幼少期から下関まで出向いてバイオリンを習わされていたそうです。そして小学校2年の時、麦川小学校でバイオリン教室が開かれることになったので、岩崎君も下関まで行かなくても習うことができるようになりました。そこで、遊び仲間であった私に一緒に習おうと誘ってくれました。誘いに応じて私も習い始めたが、まったく練習をしなかったので、上手にはなれませんでした。でも、なぜかバイオリンが好きになり、ずるずると中学3年まで続けました。私が今でも弦楽器中心のクラシック音楽が好きなのは岩崎君のおかげです。
そういう忘れられない思い出がある岩崎君が比叡山にいるということを教えてくれたのは、私の両親でした。今から30年以上も昔のことですが、両親が団体参拝で比叡山に上がって、たまたま岩崎君と会ったという話をしてくれました。そのいきさつはすっかり忘れてしまったが、岩崎君が比叡山にいるということだけは強く記憶に残りました。それから長い年月が過ぎ去りました。
今から5年前の2018年、NHKの「新日本風土記」という番組で比叡山が取り上げられたので見ました。その中で、延暦寺の仲座のことが詳しく紹介され、岩崎惠晢氏が登場しました。その岩崎惠晢氏が幼なじみの岩崎君かどうか、はっきり分かりませんでした。ひよっとしたら、岩崎君かもしれないので、京都に行く機会があれば、ついでに比叡山も訪ねてみたいと思っていたが、コロナ禍になったので、県外に出ることすらままならなくなりました。そうこうしているうちに月日が過ぎて、このたびの有り難いご縁で67年ぶりに再会することができました。
最後に、延暦寺の仲座がどんな役職であるか、私もNHKの番組を見るまでは知らなかったが、岩崎君から聞いた話もまじえて簡単に説明します。延暦寺では年間、300以上の種々の法要が勤められるそうです。どの宗派でも同様ですが、法要の際には仏さまが安置してある内陣の荘厳(仏殿の飾り付けのこと)を必ず行います。延暦寺ではすべての法要の荘厳を一手に引き受けているのが、他宗派には存在しない職種の仲座です。荘厳の準備やその法具、法衣類の管理以外にも様々な仕事があるが、現在、延暦寺には岩崎君とその弟子の2人しか仲座がいないため、休む間もないほど多忙のようです。岩崎君に後継者の養成が求められているようですが、仕事そのものが大変なのでなかなか後継者が育たないのが悩みの種のようです。
延暦寺仲座の岩崎君


2023-11-16 :
西音寺 :
住職継職奉告法要(10月29日予定)
今年は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人ご誕生850年、また来年は浄土真宗が開かれて800年という節目の年に当たるため、本山・西本願寺では「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が今春、勤修されました。この勝縁に併せて、今月29日(日)に西音寺では「第20世住職継職奉告法要」を勤めることになりました。
この法要は現在の第19世から20世へと住職を引き継いだことを阿弥陀如来さまに奉告(謹んで申し上げること)し、門信徒の皆さんに対して住職としての職務を勤める決意を表明する儀式です。前回の「継職奉告法要」は昭和59年(1984年)でしたから、寺としては39年ぶりの大きな行事です。現在、その準備に追われていますが、当日参拝者の皆さんに配布する12ページ建ての冊子を編集し終わって、印刷所に発注しました。表紙と当日の日程表のページを以下に紹介します。
表紙

日程表

この法要は現在の第19世から20世へと住職を引き継いだことを阿弥陀如来さまに奉告(謹んで申し上げること)し、門信徒の皆さんに対して住職としての職務を勤める決意を表明する儀式です。前回の「継職奉告法要」は昭和59年(1984年)でしたから、寺としては39年ぶりの大きな行事です。現在、その準備に追われていますが、当日参拝者の皆さんに配布する12ページ建ての冊子を編集し終わって、印刷所に発注しました。表紙と当日の日程表のページを以下に紹介します。
表紙

日程表

2023-10-17 :
西音寺 :
新聞記事「無縁墓、積もる悩み」
『朝日新聞』朝刊総合2面に「時時刻刻」という最新ニュースを解説した欄があります。昨日の本欄に秋のお彼岸の最中でもあるせいか、「無縁墓(むえんぼ)」の問題が取り上げてあったので紹介します。
お墓はご先祖の遺骨が埋葬されていて、お彼岸やお盆にはお墓参りをして、ご先祖を偲び、自身を振り返って感謝の念を表す場所です。ところが、先祖代々継承されて来たお墓を護持する継承者や縁故者がいなくなって、管理者が誰もいないため放置された状態になったお墓が近年増えてきました。こうしたお墓は「無縁墓」とよばれ、とりわけ過疎化と少子化の進んだ地方の田舎で多く見られます。
新聞記事には、東京の都心にある青山霊園でも草木が伸び放題になり、荒れた墓所が目につくと述べられ、霊園では管理料の支払いに応じない場合や親戚の所在がわからない場合は「無縁墓」と認定して、申し出がなければ、東京都がお墓の撤去作業を行うということです。「無縁墓」が地方特有の問題ではなく、都会でも同様に問題になっていることがわかります。
私の住む美祢市でも少子高齢化は年々進行していて、いろんなお墓の相談が寄せられるようになりました。その多くは先祖のお墓がいずれ「無縁墓」になるので、今のうちに「墓じまい」をしたいという相談です。
「墓じまい」とは、現存するお墓に納められている遺骨を取り出して他所に移したあと、墓石を撤去して更地にすることです。「墓じまい」という言葉そのものは、古くからあった言葉ではありません。宝林廟が13年前(2010年)に建立された当時には、「墓じまい」という言葉はまだ存在していませんでした。ここ7,8年くらい前からマスコミ等で言われるようになったと思います。当地域の事情から推察すれば、今後とも「墓じまい」は増加する一方で、「無縁墓」も増え続けるでしょうから、公営や民間の墓地管理者にとっては、やっかいな問題になってくるでしょう。
『朝日新聞』2023年(令和5)9月24日付け
お墓はご先祖の遺骨が埋葬されていて、お彼岸やお盆にはお墓参りをして、ご先祖を偲び、自身を振り返って感謝の念を表す場所です。ところが、先祖代々継承されて来たお墓を護持する継承者や縁故者がいなくなって、管理者が誰もいないため放置された状態になったお墓が近年増えてきました。こうしたお墓は「無縁墓」とよばれ、とりわけ過疎化と少子化の進んだ地方の田舎で多く見られます。
新聞記事には、東京の都心にある青山霊園でも草木が伸び放題になり、荒れた墓所が目につくと述べられ、霊園では管理料の支払いに応じない場合や親戚の所在がわからない場合は「無縁墓」と認定して、申し出がなければ、東京都がお墓の撤去作業を行うということです。「無縁墓」が地方特有の問題ではなく、都会でも同様に問題になっていることがわかります。
私の住む美祢市でも少子高齢化は年々進行していて、いろんなお墓の相談が寄せられるようになりました。その多くは先祖のお墓がいずれ「無縁墓」になるので、今のうちに「墓じまい」をしたいという相談です。
「墓じまい」とは、現存するお墓に納められている遺骨を取り出して他所に移したあと、墓石を撤去して更地にすることです。「墓じまい」という言葉そのものは、古くからあった言葉ではありません。宝林廟が13年前(2010年)に建立された当時には、「墓じまい」という言葉はまだ存在していませんでした。ここ7,8年くらい前からマスコミ等で言われるようになったと思います。当地域の事情から推察すれば、今後とも「墓じまい」は増加する一方で、「無縁墓」も増え続けるでしょうから、公営や民間の墓地管理者にとっては、やっかいな問題になってくるでしょう。
『朝日新聞』2023年(令和5)9月24日付け

2023-09-25 :
新聞・書籍・TV :
秋の彼岸会法要
朝から秋晴れの良い天気に恵まれた今日は、お彼岸の中日です。恒例の「秋季彼岸会法座」が本堂で午後1時半から勤められました。その法座の前に午後0時半より納骨堂での読経が、その後1時からは宝林廟での読経が行われました。
今日の宝林廟は読経中に爽やかな風が吹いて、秋の訪れを感じさせ、とても気持ち良かったですが、陽のあたる場所は、まだまだ暑さを感じるので、写真撮影の時は宝林廟の庇の影の所に並んでもらって撮りました。
今日は下関市、山口市、山陽小野田市から参拝され、皆さん宝林廟の法要が終わったあと引き続いて本堂での法座にも出席し、法話を聴聞されました。本堂での法要中は戸を開け放していたので、扇風機を使わなくても良いほど涼風が通って、異常な猛暑が続いた夏から秋への季節のうつろいを実感しました。






今日の宝林廟は読経中に爽やかな風が吹いて、秋の訪れを感じさせ、とても気持ち良かったですが、陽のあたる場所は、まだまだ暑さを感じるので、写真撮影の時は宝林廟の庇の影の所に並んでもらって撮りました。
今日は下関市、山口市、山陽小野田市から参拝され、皆さん宝林廟の法要が終わったあと引き続いて本堂での法座にも出席し、法話を聴聞されました。本堂での法要中は戸を開け放していたので、扇風機を使わなくても良いほど涼風が通って、異常な猛暑が続いた夏から秋への季節のうつろいを実感しました。







2023-09-23 :
宝林廟 :
今日の花 (ルリヤナギ)
寺の境内の建物のそばに数年前にポットの苗を購入して植えられたルリヤナギが1本あります。南米原産のナス科ナス属の常緑小低木で、日本には鎌倉時代に琉球をへて入って来たので、「リュウキュウヤナギ」とも呼ばれるそうです。花は琉璃(ルリ)色の可愛らしい小さな花で、葉が柳(ヤナギ)に似ているので、その名前が付けられたそうです。木の枝はヒョロヒョロと細く伸びていて、上部に葉が繁っています。花は7月ごろから開花して、9月の今まで次々に花が咲いて、長い期間楽しむことができます。






2023-09-08 :
西音寺 :
盆法要(宝林廟)
今日は寺の年中行事の一つである盆法座が午後1時半から冷房設備の整った門徒会館で勤められました。法座が始まる前は、これも恒例の午後0時半から寺の境内地にある納骨堂で読経が行われ、引き続いて午後1時から寺から少し離れた小高い山の中にある宝林廟で読経が行われました。
昨日は台風7号が和歌山県に上陸して近畿地方を縦断した影響で、当地も一日中雨が降り続きました。さて、今日の天気はどうだろうかと朝から気がかりでした。というのも、宝林廟で行われるお盆と春秋のお彼岸の年三回の読経法要は屋外ですから、毎回天気が気になります。今年3月の春のお彼岸は雨天のため本堂で勤められました。
今日は台風も日本海に抜け、朝から時折、小雨のぱらつく曇り空でしたが、たぶん現地で出来るだろうと思いました。ただ真夏の猛暑の時期ですからテントを張るかどうか迷いました。2020年(令和2年)から始めたテント張りは、翌2021年(令和3年)は天気が良くなかったので張らないですみました。昨年(2022)は張りました。
今年は張らないでやれるだろうと思って、現地に上がって、椅子を並べたり準備をしていたところ、にわかに日が差してきて、直射日光のもとにじっとしておられないような天気になりました。テントを張る時間もないので、定刻に参拝者の皆さんと『仏説阿弥陀経』の読経を始めました。幸いなことに宝林廟の建物には短いながらも庇が出ていることや建物の大きさの関係で少しだけ日陰ができます。私も含めて参拝者の皆さんに出来るだけ日陰入ってもらって全員で15分たらずの読経をしました。今日は遠くは周南市、下関市、山口市、宇部市、広島県熊野町から帰省された方など遠近各地から27人の参拝者でした。
昨日は台風7号が和歌山県に上陸して近畿地方を縦断した影響で、当地も一日中雨が降り続きました。さて、今日の天気はどうだろうかと朝から気がかりでした。というのも、宝林廟で行われるお盆と春秋のお彼岸の年三回の読経法要は屋外ですから、毎回天気が気になります。今年3月の春のお彼岸は雨天のため本堂で勤められました。
今日は台風も日本海に抜け、朝から時折、小雨のぱらつく曇り空でしたが、たぶん現地で出来るだろうと思いました。ただ真夏の猛暑の時期ですからテントを張るかどうか迷いました。2020年(令和2年)から始めたテント張りは、翌2021年(令和3年)は天気が良くなかったので張らないですみました。昨年(2022)は張りました。
今年は張らないでやれるだろうと思って、現地に上がって、椅子を並べたり準備をしていたところ、にわかに日が差してきて、直射日光のもとにじっとしておられないような天気になりました。テントを張る時間もないので、定刻に参拝者の皆さんと『仏説阿弥陀経』の読経を始めました。幸いなことに宝林廟の建物には短いながらも庇が出ていることや建物の大きさの関係で少しだけ日陰ができます。私も含めて参拝者の皆さんに出来るだけ日陰入ってもらって全員で15分たらずの読経をしました。今日は遠くは周南市、下関市、山口市、宇部市、広島県熊野町から帰省された方など遠近各地から27人の参拝者でした。

2023-08-16 :
宝林廟 :
納骨堂裏山の仮復旧
前回の本ブログで納骨堂わきの山の斜面が崩落して土砂が納骨堂を直撃して欄干の一部が損壊したことをお伝えしました。県土木の関係者が早急に応急処置をするということで、24日(月)から土木業者による復旧工事が始まりました。
納骨堂わきの現場はバックホウが直接入って行けるような道がないため、納骨堂の隣りの民家の空き地に大型クレーンを入れて、まずクレーンでバックホウを吊り上げて、現場に入れました。それからバックホウのバケットで山の斜面から崩れ落ちた土砂をすくってスリング バスケットに入れ、それをクレーンで運び出すという大変手間のかかる作業が炎天下の中、28日(金)まで5日間ほど続けられました。お陰様で、崩落した土砂はすべて取り除かれ、壊れた納骨堂の欄干も撤去していただきました。斜面が崩落して山肌がむき出しになった部分はブルーシートがかけられて応急処置が施されました。
下の写真は24日から28日まで5日間の工事の様子を撮ったものです。










納骨堂わきの現場はバックホウが直接入って行けるような道がないため、納骨堂の隣りの民家の空き地に大型クレーンを入れて、まずクレーンでバックホウを吊り上げて、現場に入れました。それからバックホウのバケットで山の斜面から崩れ落ちた土砂をすくってスリング バスケットに入れ、それをクレーンで運び出すという大変手間のかかる作業が炎天下の中、28日(金)まで5日間ほど続けられました。お陰様で、崩落した土砂はすべて取り除かれ、壊れた納骨堂の欄干も撤去していただきました。斜面が崩落して山肌がむき出しになった部分はブルーシートがかけられて応急処置が施されました。
下の写真は24日から28日まで5日間の工事の様子を撮ったものです。











2023-07-28 :
西音寺 :
納骨堂の被害
6月30日から7月1日にかけての豪雨によって当地区は多大な被害を受けたことは以前に述べました。寺の境内地に今から53年前の1970年(昭和45年)に建立されたコンクリート製の古い納骨堂があります。納骨堂のすぐそばは山が迫っており、県の急傾斜地に指定されています。そのため山崩れ対策として50年以上前に擁壁が築かれ、その上には太い鉄骨の支柱に金網が張られた防護柵で土砂や落石から建物が守られていました。
しかし、この防護柵も年月がたって、かなり老朽化していたと思われます。このたびの豪雨で急斜面の表土が崩れ落ちて防護柵も倒して、土砂が納骨堂の建物にぶち当たる被害に遭いました。その結果、納骨堂の欄干が一部分損壊しました。県土木事務所が被害の様子を調査に来て、早急に土砂を撤去して応急対策を施す予定であると伝えられました。



しかし、この防護柵も年月がたって、かなり老朽化していたと思われます。このたびの豪雨で急斜面の表土が崩れ落ちて防護柵も倒して、土砂が納骨堂の建物にぶち当たる被害に遭いました。その結果、納骨堂の欄干が一部分損壊しました。県土木事務所が被害の様子を調査に来て、早急に土砂を撤去して応急対策を施す予定であると伝えられました。




2023-07-15 :
西音寺 :
災害ボランティア
6月30日夜から7月1日未明にかけての集中豪雨で麦川川が氾濫し、麦川町地区が大きな被害を受けました。中でも私たちの麦川町上地区は家屋のほとんどが床上浸水し、これまでにない大きな被害を受けました。被災後、高齢者ばかりが住んでいる当地区には連日多数のボランティアの皆様が災害援助に入っていただき、地区住民は大変感謝しております。
さて、被災から10日がたった今日は、曹洞宗の青年僧9人の皆さんが午前9時すぎから当地区のボランティア活動をしていただきました。山口市仁保にある曹洞宗・源久寺さんのお声がけで、県内各地の遠くは周防大島町や周南市から、近くは宇部市、山陽小野田市、美祢市からの9人のボランティアさんが必要な道具類をすべて持参されて、駐車場や空き地に溜まったヘドロの除去をしていただきました。幸い雨は降らなかったものの、蒸し暑い中を汗を拭きながら黙々とヘドロを掻き集めて、以前の状態に復旧していただきました。もし青年僧の皆さんが来られなかったら、駐車場のヘドロは誰の手によって、いつ除去できただろかと想像するだけでも、本当にありがたかったです。
私たち浄土真宗美祢西組にも若い住職や若院が揃っていますが、今回の豪雨で災害が美祢市各地で発生したにもかかわらず、ボランティア活動をしようというような動きがまったくなかったのが残念です。今日の曹洞宗青年僧の皆さんに多くのことを教えられました。
第1現場の作業

第1現場

第2現場

第2現場

ボランティアに来られた曹洞宗青年僧の皆さん
さて、被災から10日がたった今日は、曹洞宗の青年僧9人の皆さんが午前9時すぎから当地区のボランティア活動をしていただきました。山口市仁保にある曹洞宗・源久寺さんのお声がけで、県内各地の遠くは周防大島町や周南市から、近くは宇部市、山陽小野田市、美祢市からの9人のボランティアさんが必要な道具類をすべて持参されて、駐車場や空き地に溜まったヘドロの除去をしていただきました。幸い雨は降らなかったものの、蒸し暑い中を汗を拭きながら黙々とヘドロを掻き集めて、以前の状態に復旧していただきました。もし青年僧の皆さんが来られなかったら、駐車場のヘドロは誰の手によって、いつ除去できただろかと想像するだけでも、本当にありがたかったです。
私たち浄土真宗美祢西組にも若い住職や若院が揃っていますが、今回の豪雨で災害が美祢市各地で発生したにもかかわらず、ボランティア活動をしようというような動きがまったくなかったのが残念です。今日の曹洞宗青年僧の皆さんに多くのことを教えられました。
第1現場の作業

第1現場

第2現場

第2現場

ボランティアに来られた曹洞宗青年僧の皆さん

2023-07-11 :
麦川地区 :
梅雨時のアジサイ(紫陽花)(宝林廟)
宝林廟の境内地には梅雨時の今ごろはいろんなアジサイ(紫陽花)が咲いています。参道を歩きながらアジサイを眺めると、うっとうしい天気を晴らすかのように、気分を爽やかにしてくれます。ただ、宝林廟は周囲を山に囲まれた小高い場所にあるため、一年中鹿が出てきて食害が絶えません。特にアジサイは鹿の好物のようで、毎年食害を被って困っていました。
その対策に町内の方がアジサイの周辺にネットを張り巡らしていただいたお陰で、以前に比べて食害がずいぶん少なくなりました。でもアジサイの植え込みの中に入って一つひとつの花を眺めるには柵の入り口を開けて中に入る必要があります。
今でこそ、参道の周辺に多くのアジサイを見ることができますが、これも町内の方が毎年、少しずつ植栽してアジサイを増やしていただき、今では春の桜と梅雨時のアジサイは宝林廟を彩る景観になりました。特筆すべきは、アジサイが仏さまにお供えする仏花として大変重宝していることです。今の時期は色とりどりの花を摘んでお供えできるので、坊守も喜んでいます。ただ、アジサイをお供えするにしても、種類によっては水切りをしても水が上がりにくため、すぐに萎れてしまう花もあるようですので、どの花でも良いわけではないようです。6月いっぱいアジサイを楽しめるでしょう。









その対策に町内の方がアジサイの周辺にネットを張り巡らしていただいたお陰で、以前に比べて食害がずいぶん少なくなりました。でもアジサイの植え込みの中に入って一つひとつの花を眺めるには柵の入り口を開けて中に入る必要があります。
今でこそ、参道の周辺に多くのアジサイを見ることができますが、これも町内の方が毎年、少しずつ植栽してアジサイを増やしていただき、今では春の桜と梅雨時のアジサイは宝林廟を彩る景観になりました。特筆すべきは、アジサイが仏さまにお供えする仏花として大変重宝していることです。今の時期は色とりどりの花を摘んでお供えできるので、坊守も喜んでいます。ただ、アジサイをお供えするにしても、種類によっては水切りをしても水が上がりにくため、すぐに萎れてしまう花もあるようですので、どの花でも良いわけではないようです。6月いっぱいアジサイを楽しめるでしょう。










2023-06-19 :
宝林廟境内 :
サツキの愛好家
私たちの町内に何十年という長い年月にわたって、サツキの盆栽を育てている愛好家の方がいらしゃいます。毎年、今の時期に花が満開になると、普段は自宅の裏庭で育てている数十鉢のサツキ盆栽の中から選び出して、自宅脇のガレージに並べ、道行く人たちが自由に鑑賞できるように展示されています。
しかし、ここ3年余りのコロナ禍のあいだはその盆栽をガレージに展示するのを控えておられたようで、久しぶりに見事に咲きそろったサツキ盆栽を拝見することができました。そのことを保育園の先生に話すと、園児さんにも見せてあげたいと言われるので、園児さんも一緒に見に行きました。
盆栽にも、花もの、実もの、草もの、木ものなど、いろんな種類があるようで、最も良く知られているのが松の盆栽でしょう。以前、テレビで見たのですが、盆栽は外国人にもとても人気があり、「Bonsai」という言葉は世界の共通語だそうです。盆栽の奥深い魅力は、それを育てている人にしか語れないでしょうが、花ものは美しい花を咲かせるために一年中、様々な手入れが必要のようです。手をかけただけ、それに応えてくれるのは、盆栽に限らず何にでも言えることでしょう。






しかし、ここ3年余りのコロナ禍のあいだはその盆栽をガレージに展示するのを控えておられたようで、久しぶりに見事に咲きそろったサツキ盆栽を拝見することができました。そのことを保育園の先生に話すと、園児さんにも見せてあげたいと言われるので、園児さんも一緒に見に行きました。
盆栽にも、花もの、実もの、草もの、木ものなど、いろんな種類があるようで、最も良く知られているのが松の盆栽でしょう。以前、テレビで見たのですが、盆栽は外国人にもとても人気があり、「Bonsai」という言葉は世界の共通語だそうです。盆栽の奥深い魅力は、それを育てている人にしか語れないでしょうが、花ものは美しい花を咲かせるために一年中、様々な手入れが必要のようです。手をかけただけ、それに応えてくれるのは、盆栽に限らず何にでも言えることでしょう。







2023-05-27 :
麦川地区 :
シャクヤクの開花(宝林廟)
宝林廟の後ろ側には山からの流水をせき止める堰堤が築かれています。堰堤の奥側には、遠い昔に田や畑が作られていたと聞いている狭い土地が広がっています。現在は荒れ果てたままで、田や畑があったような痕跡は見られません。その荒れ地に昨年の3月下旬にシャクヤクの苗を植えました。
そのシャクヤクは次のような由来があります。3年前の令和2年の冬の終わりに、長年独り身でいろんな植物を育てていたご門徒さんが亡くなられました。生前、その方からサザンカ、スイリュウヒバ、ノボタンなどの苗木をいただきました。とりわけ、シャクヤクを愛好されていたようで、耕作放棄地に広大なシャクヤク畑を育てておられました。
毎年5月中旬に寺では「花まつり」と「宗祖降誕会」の法要が開催されます。その際には、その方からいただいたシャクヤクを仏花として毎年お供えしていました。だが、亡くなられたあと、主のいないシャクヤク畑はこの時期に花が咲き乱れたまま放置されていました。もったいないので、一昨年は私がシャクヤク畑の花をいただいて、仏前にお供えしました。
昨年、その方の三回忌が勤められました。その時に遺族の皆さんとの雑談の中でシャクヤクのことが話題になりました。そのことがあって、遺族の方がわざわざシャクヤクを掘り起こして持って来られました。たくさんの苗をどこに植えようかと思案したが、幸いなことに、シャクヤクは鹿がまったく食べない忌避植物ですから、どこに植えても安心ということで上述の場所に植えた次第です。下の写真のように、今年は多くの蕾がついて、美しい花が咲きました。



そのシャクヤクは次のような由来があります。3年前の令和2年の冬の終わりに、長年独り身でいろんな植物を育てていたご門徒さんが亡くなられました。生前、その方からサザンカ、スイリュウヒバ、ノボタンなどの苗木をいただきました。とりわけ、シャクヤクを愛好されていたようで、耕作放棄地に広大なシャクヤク畑を育てておられました。
毎年5月中旬に寺では「花まつり」と「宗祖降誕会」の法要が開催されます。その際には、その方からいただいたシャクヤクを仏花として毎年お供えしていました。だが、亡くなられたあと、主のいないシャクヤク畑はこの時期に花が咲き乱れたまま放置されていました。もったいないので、一昨年は私がシャクヤク畑の花をいただいて、仏前にお供えしました。
昨年、その方の三回忌が勤められました。その時に遺族の皆さんとの雑談の中でシャクヤクのことが話題になりました。そのことがあって、遺族の方がわざわざシャクヤクを掘り起こして持って来られました。たくさんの苗をどこに植えようかと思案したが、幸いなことに、シャクヤクは鹿がまったく食べない忌避植物ですから、どこに植えても安心ということで上述の場所に植えた次第です。下の写真のように、今年は多くの蕾がついて、美しい花が咲きました。




2023-05-12 :
宝林廟境内 :
今日の花(エビネ)
わが寺の本堂と庫裏との間に、小さな中庭があります。その庭に多年草のラン科のエビネがいま秘めやかに花を咲かせています。エビネもいろんな種類があるようですが、中でも鮮やかな黄色の花を咲かせるキエビネが最も目立つ花なので、遠くからでも開花がわかりました。中庭に入って見ると、他のエビネもみな開花していたので、それらを写真を撮りました。









2023-04-28 :
西音寺 :
今日の花(シャガ)
宝林廟境内地の堰堤から流れ出る水路のそばに常緑多年草のシャガが群生している所があります。今がちょうど開花時期で、花が咲き乱れて、可憐な白い花と緑の葉のコントラストが鮮やかです。
シャガ

水路のそばのシャガの群生


シャガ

水路のそばのシャガの群生


2023-04-27 :
宝林廟境内 :
枝垂れ桜の若木(宝林廟)
宝林廟の境内地に毎年、少しずつ桜の木を植栽し、とりわけ枝垂れ桜を増やすようにしています。昨年の4月、いつも苗木をお世話いただく田主丸(久留米市)の造園業者さんから3本の枝垂れ桜の若木を購入しました。そのうち2本はこれまで植えたなかで最も気に入っている「八重紅枝垂れ(やえべにしだれ)」で、もう1本は初めて植えた「雨情枝垂れ(うじょうしだれ)」という品種です。一年たった今春の開花の様子はどうだろうかと満開を楽しみにしていました。
3本の桜はソメイヨシノより4,5日くらいあとに満開になったので、写真を撮りに行きました。花びらの様子がわかるような至近距離での写真を撮りそこねたので、その美しさがわからないのが残念です。来年は満開の花びらを撮りたいと思います。
八重紅枝垂れ

雨情枝垂れ

左の木が八重紅枝垂れ、右が雨情枝垂れ

八重紅枝垂れ
3本の桜はソメイヨシノより4,5日くらいあとに満開になったので、写真を撮りに行きました。花びらの様子がわかるような至近距離での写真を撮りそこねたので、その美しさがわからないのが残念です。来年は満開の花びらを撮りたいと思います。
八重紅枝垂れ

雨情枝垂れ

左の木が八重紅枝垂れ、右が雨情枝垂れ

八重紅枝垂れ

2023-04-04 :
宝林廟境内 :