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新聞記事 『美祢で貴重な化石発見』

 美祢市で2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、国内で初めて発見されたという記事が本日の新聞各紙に掲載されたので紹介します。このニュースは昨日のNHKや民放テレビ各局でも報道されていたので、大変貴重な発見だということでしょう。
 この発見の詳細については、「山口新聞」の記事を下に転載したので参照してください。また、読売、朝日、毎日の各紙の記事も合わせて載せておきます。

『山口新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時10分53秒修正
(上掲の「山口新聞」記事の本文を以下に転載)

 美祢市は13日、2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、同市にある約2億3千万年前の地層から見つかったと発表した。同類の化石発見は国内で初めてで、衰退期の分布を知る上で重要な手掛かりになるという。
 化石は2010年5月に同市大嶺町奥畑の市化石採集場で見つかった。採集体験に訪れていた周南市の建設会社社長、原田基也さん(60)が家族、親族とともに歯と顔の骨の一部の化石を発見し、市に寄贈した。歯冠部の大きさは3センチほど。市から調査の依頼を受けた愛媛大大学院理工学研究科の楠橋直助教が歯の形や位置などからディキノドン類と判断した。
 楠橋助教らによると、ディキノドン類の衰退期の化石の発見は世界的に珍しく、アルゼンチンやアメリカなどで見つかってはいるが、東アジアでは初めて。陸上の脊椎動物では日本最古の発見という。楠橋助教は「衰退期のディキノドン類がどのように分布していたかを知るための重要な手掛かりとなる」と話している。
 化石を”掘り当てた“原田さんは「化石のまち美祢市にふさわしい発見に携われたことをうれしく思う」と笑顔。西岡晃市長は「今回の発見が美祢市の自然史に対する理解、ジオパーク活動の活性化につながり、市民の皆さんのさらなる郷土への愛着醸成につながることを願っている」と期待を込めた。
 化石について市教委は、「できるだけ早い時期」に市歴史民俗資料館で展示する予定。市化石採集場は追加調査のため、11日から一時閉鎖している。
 同類は3億年前から2億年前に生息していたとされる植物食の動物。太い犬歯状の歯が特徴で、世界的に見ると現在までに体長がネコからカバほどの大きさだったとみられる数十種の化石が見つかっている。

『読売新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時09分50秒修正

『朝日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時33分17秒修正

『毎日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時08分30秒修正
2018-02-14 : 新聞・書籍・TV :
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新聞記事 『これからの弔い』

 今日の朝日新聞に『これからの弔い』という見出し(表題)で、「高齢化社会は、多死社会の到来でもあります。核家族化や過疎化が進み、家族や地域のつながりが薄れました。これまでのような葬儀や墓のあり方が成り立たなくなり、寺や僧侶の存在意義も問われています。これからの弔いは、どうなっていくのでしょうか。」という問いについて、小谷みどりさん(第一生命経済研究所主席研究員)が急激に変化している現代社会において葬式や墓をめぐって生じている様々な問題について事例をあげて述べています。
 そして、それに答えるかたちで、僧侶の松本紹圭さんは葬儀や墓といった死者供養も世相を反映して変わっていくのは当然であるけれど、葬儀や法事がなぜ大切な儀式であるか、墓の持つ意味は何かについて述べ、それに関わる僧侶や寺のこれからのあり方として、存在価値が認められ、気軽に相談できる「かかりつけの寺や僧侶」になれるようにと提言しています。この新聞記事の詳細は下記に転載していますのでお読みください。、

『朝日新聞』 平成30年1月20日付け
朝日(18 1 22)
上掲記事の本文を以下に転載します。

「従来の葬式・墓、意味が希薄に」  
           小谷みどりさん(第 一生命経済研究所主席研究員)
 終活ブームです。家族に迷惑をかけたくないと、自分の葬送を準備する人が増えましたが、よく考えるとおかしな社会です。昔は自分の死は、残された家族が考え、子どもがいなくても町内の人が総出で葬式をしてくれた。社会は手間のかけあいですが、手間が迷惑かどうかは人間関係によります。迷惑をかけたくないということは、相手との信頼関係がないということです。死者と残される人の関係が大きく変わってきました。
 背景にあるのは、地域という横のつながりの崩壊、家族という縦のつながりの希薄化です。
 核家族化が進む一方、死亡年齢は高齢化しています。1980年まで65歳以上の半分は3世代同居でした。近所づきあいがあり、死亡年齢も高くありません。今は、死亡した男性のうち80歳以上が半数、女性にいたっては90歳以上が4割近くもいます。子どもや親戚、友人も高齢のうえ、残される人自体も少ないのです。
 孤独な死を迎える人もさらに増えるでしょう。50歳の時点で1回も結婚したことのない割合(生涯未婚率)も増えています。2015年の統計で男性は23%に上ります。厚生労働省の調査では、65歳以上の一人暮らしの男性のうち6人に1人は2週間に1回も会話しません。親族は疎遠で、遺骨の受け取りすら拒否されます。
     
 社会が急激に変化していくなか、葬式や墓を巡る様々な問題が顕在化しています。
 葬式や法事を仏式でするのは日本の慣習でしたが、葬式や法事が変わった今、信仰がない人には、お布施は不透明で高いと感じられます。明瞭廉価な料金でのインターネットによる派遣僧侶も登場しています。これまでのように経営基盤を葬儀や墓に頼っているだけでは寺や僧侶は不要になります。
 そもそも葬式には、死者をあの世に送る宗教的な葬儀式と、死者との告別式とがありますが、宗教儀式の意味は薄れています。バブル期には多くの僧侶を呼び、長い戒名をつけ、高いお布施を払っていましたが、信仰心より見えと世間体の表れでした。今は家族葬のような小規模化が進んでいます。直接火葬場に行く直葬など葬儀をしない人もいます。
 一方、親の意思で葬式をしなかった遺族が、親の死を頭で理解しても五臓六腑(ごぞうろっぷ)で受け入れられない、という例もあります。
 墓を巡っては、故郷の墓を閉じる墓じまい、近くの寺や公営墓地に移す墓の引っ越しも盛んです。その際、離檀料(りだんりょう)と称して金銭を要求する寺があります。金額の根拠が不明なのが問題です。都内の寺に墓のある人は、遺骨20人分で1千万円を請求されました。
 無縁墓の増加も深刻です。墓地の3割程度が無縁化している自治体もあります。草ボウボウの墓がたくさん見られます。
 家を母体にした墓石から散骨、納骨堂、樹木葬の墓など多様化しています。姑(しゅうとめ)と同じ墓は嫌という人もいます。共通するのは次世代への継承を前提にしていないことです。墓は生きた証しや死後の住みかと捉える人が増えています。
 数々の問題は、弔いが無形化していることを示しています。
     
 日本人は二つの死生観を持っています。「死んだら無になる」と考えるのは、自分が死んだ場合。大切な人が死んでも無になるとは思いません。「千の風になって」でも、風になって見守ってくれると考える。宗教を信じない、信仰はないと言いながら、大切な人が無になるとは思っていません。
 団塊の世代の多死社会が本格化し、経験したことのない時代が目の前にやって来ています。誰に死後を託すのか。どう生き、どう逝きたいのか。一人ひとりに突きつけられた問いです。

「人生の苦に『かかりつけ寺』を」  
            松本紹圭さん(僧侶)
 仏教は歴史があまりに長く、寺や僧侶の本来的な存在意義が見失われがちです。社会や家族のあり方が加速度的に変わり、葬儀や墓といった死者供養でも今までの型は維持できません。今こそ、より深く原点に返るべきです。しがみついているものを手放し、より大きな視点で見る必要があります。
 寺や住職のあり方を見つめ直す「未来の住職塾」を開いています。卒業生は約500人。自分の寺を守れるのか、次世代にどうバトンを渡すのか。このままだと寺は若者にとって負の遺産になります。住職塾では寺が何のためにあるのか考え、檀家(だんか)や住民と率直に話す機会を持ちます。だんだんと地域の抱える苦が見えてきます。
 葬儀や法事だけすればいいという今までの寺のあり方が単純すぎました。価値観、経済力、家族構成など多様性が増すなかで、寺との関係がしっくりきていない人たちに、ちょうどいい距離感で関係を持つことができる柔軟な仕組みを示すべきです。ポスト檀家制度時代における寺の新しい会員制度のデザインが求められています。
 この世は諸行無常です。一切は変化すると、仏教自身が言っています。当然、葬儀も墓も世相を反映して変わっていきます。
 葬儀や墓はいらないと言う年配者が増えていますが、かつてのお年寄り世代は「死では終わらない命の物語」を持っていました。浄土、天国、あの世、来世、極楽……。最近の若い世代では再び死後の物語を信じる人が増えているのが面白い傾向です。
     
 いま個人的に重視しているのは「トランジション(遷移、変わり目)」というキーワードです。誕生、受験、就職、結婚、病気、そして死。長寿時代の人生はさまざまな変化に満ちています。
 人生をこうしたいと願っても思い通りにならないことを、仏教では苦と言います。トランジションのタイミングは、自らの苦を見つめ、苦に学び、苦を抱きつつ、それにとらわれない生き方へと転換するきっかけを与えてくれます。最たるものが近しい人の死です。
 遺族は何を失うのでしょうか。人生相談に来た女性の話です。仲の良かった母が急死した。彼女は、母という存在だけでなく、母といたときに起こってきた私自身の感情や考え、行動も失います。母の死によって「私の一部」も失うのです。その意味で、亡き人の葬儀は私自身の葬儀でもあるのです。法事も墓もそう。亡き人を追慕し、亡き人を失った新しい私を少しずつ受容するプロセスです。葬儀なし、墓なしは、そのような大切な機会を奪っています。葬儀は、残された人にこそ重要です。
     
 インターネットで僧侶派遣を頼む人が増えています。お経をあげてくれれば誰でもいいなら僧侶の将来はAIロボットに取って代わられるでしょう。戒律は破らず、お経も完璧。合理性なら人間に勝ち目はありません。しかし、その時代には「人間とは何か」という根本が問われます。合理性で解決できない領域を扱うのが宗教であり、僧侶が根本の問いを持ち続ける限り、役割はあると思います。
 経済的合理性という観点からも僧侶派遣は、やや疑問です。お布施を定額にして明朗会計をうたっていますが、中間業者が入れば余分なコストが生まれます。また、短い間に利益をめざす企業の論理は、死を受け入れるという長期のプロセスを扱うのに適しません。
 顔の見えない派遣に頼る前に、まずは近くの寺に相談してはどうでしょうか。ホームページを工夫してコミュニケーションの入り口を開いているので、葬儀や法事を直接頼める寺が増えています。あなたにぴったりの「かかりつけのお坊さん」を見つけて下さい。
 (聞き手・いずれも岡田匠)
2018-01-20 : 新聞・書籍・TV :
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通夜布教 (西本願寺)

 浄土真宗本願寺派では宗祖・親鸞聖人のご命日の1月16日(新暦)に合わせて、1月9日から16日まで本山・西本願寺で「御正忌報恩講」法要が勤められます。この報恩講は1263年(弘長2年)に往生された親鸞聖人の33回忌にあたり、その遺徳を讚仰するため、本願寺第3世の覚如上人(1271-1351)が『報恩講私記』を作って報恩講を営み、今日に至るまで毎年、勤められています。
 昨夜は本願寺派布教使が交代で夜通し法話をする「通夜布教」が聞法会館(西本願寺)で行われたので、インターネットを通して聴聞しました。通夜というのは、もともと故人のこの世での最後の夜を遺族、親族らが集まって、葬儀の準備や故人のことを語り合いながら一夜を共に過ごすことでした。しかしながら、今では葬儀に準じた前夜葬のような儀式が行われるようになりました。
 それはさておき、通夜布教は親鸞聖人が亡くなられる前夜に、門弟や縁者らが集まって夜を明かしたことに始まると言われます。そのため毎年15日の夜から16日の朝まで、一人40分の持ち時間で、13人の布教使が法話をされます。私はネットで7人の法話を午前1時前まで聴聞しました。

開会前の会場
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西原祐治師 (東京教区 西方寺)
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日置宗明師 (東海教区 信明寺)
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冬野正隆師 (奈良教区 正福寺)
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岡智徳師 (山口教区 妙久寺)
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中山信之師 (福岡教区 光妙寺)
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水之江陽子師 (大分教区 法林寺)
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山崎教真師 (東北教区 浄泉寺)
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2018-01-16 : 県外 :
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ロウバイの開花

 寺の庫裏のそばにロウバイ(蝋梅)の木があります。ふと見たら、花の咲いている枝が目に入りました。ロウバイの種類には、福寿ロウバイ、満月ロウバイ、実生ロウバイ、素心ロウバイなどがあり、黄色い花の形が微妙に違うようです。下の写真からこのロウバイは素心ロウバイではないだろうかと思うのですが、確かなことはわかりません。
 寒い冬のこの時期に甘い香りを漂わせるロウバイは中国では梅、水仙、山茶花と共に「雪中四友」とされていますが、山茶花の代わりに椿を入れた四種を「雪中四花」ともいうそうです。雪の中でも凛として花を咲かせるからでしょう。いずれにしても、花の少ない冬にロウバイは生花や茶花として使われ、我が家でも玄関に生けられています。まだ蕾の状態のものが多いですが、寒さに負けずこれから次々と開花していくことでしょう。

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2018-01-15 : 西音寺 :
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今季一番の寒波

 一昨日の10日は夜半から降り続いた雪で朝6時の梵鐘を撞くころは5センチ近く積もっていました。昨年12月17日以来の今冬2度目の雪でした。水分を含んだベタ雪でしたから、屋根に積もった雪も午前中からずるずるとなだれ落ちてしまって、雪景色を撮影する暇がありませんでした。昨日の新聞では美祢市で19センチの積雪と出ていましたが、それはおそらく秋吉台あたりの観測データであって、当地は5センチぐらいのベタ雪でしたから、道路の通行は何の支障もありませんでした。
 ところが、今朝は一昨日のベタ雪と違って、サラサラとした雪がしんしんと降り続いて、夜が明けると一面の白銀の世界が広がっていました。今冬3度目の雪です。今朝のテレビニュースでは今季一番の寒波によって北海道や北陸地方では記録的な大雪が降って、列車や車が長時間立ち往生したと言っていました。幸いにも当地の積雪は5~6センチくらいでたいしたことはなかったのですが、雪が溶けていない道路はスノータイヤを付けてない私の車で走るのは躊躇されましたが、お参りがあったので乗りました。
 下の写真は午前10時すぎに、宝林廟に上がって撮りました。近年の地球温暖化のせいか、昔に比べて雪が少なくなった当地では冬季に3~4回しか見られないモノクロームの世界が広がっていました。

宝林廟の参道口
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宝林廟
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宝林廟
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宝林廟の境内地全体を望む
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宝林廟境内地
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宝林廟の休憩所
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西音寺
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2018-01-12 : 宝林廟境内 :
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新年のご挨拶

     皆さまには、健やかに新年をお迎えのことと思います。
   
    今年もよろしくお願いします。


                          平成30年(2018年)元日

 大晦日の夜は除夜会が終わったあと午前2時前に寝て、穏やかな新年の朝を迎えました。昨年の秋は新しい山門の落慶法要を勤め、また実行委員として大嶺第二中学の同級会と石村勝宣絵画展を行って、忙しい中にも充実した日々を送ることができました。おかげさまで、連れ合い共々、健康に新しい年が迎えられたことは、何物にも代えがたいありがたいことと感謝しています。
 本ブログは本来、永代供養墓の宝林廟をネットで紹介する目的で、平成24年(2012年)1月6日に始めたので、もうじき丸6年になり、7年目に入ります。この間、多くの皆さんに見ていただき、ありがとうございました。とりわけ本ブログで初めて宝林廟の存在を知って、納骨やその予約をされた方が多くいらっしゃることから、ネットの影響力の大きさを痛感しています。
 ブログを開設した本来の目的は上述の通りですが、それ以外にも西音寺や麦川保育園の行事、美祢市や麦川の地域情報などをお知らせして来ました。また大嶺炭田の歴史や、長年にわたって奥分地域の基幹交通機関であった国鉄・JRの大嶺線の歴史なども何度か取り上げました。今後とも現在では跡形もなく姿を消してしまった、過去の繁栄した時代の写真などを入手して載せようと思っています。最近は滞りがちなブログの更新ですが、新年にあたって気持ちを新たに精進したいと思います。

     明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
                        インド独立の父 マハトマ・ガンジー(1869ー1948)

平成30年元日の朝の寺の風景
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2018-01-01 : 西音寺 :
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除夜の鐘

 大晦日の夜は、例年通りに11時45分ころから除夜の鐘を撞き始めました。前回のブログでお知らせしたように、闇夜にも関わらず、寺の真向かいに見える宇部サンド工業の大型看板の照明のおかげで、境内は懐中電灯なしで歩けました。でも、普段は点灯させない新しい山門のライトは今夜は点けました。
 鐘を撞いた後、そのまま自宅に帰える人も何人かいますが、多くの方が本堂に上がってお参りされます。午前0時を少し過ぎたころに、参拝者の皆さんと一緒に、新年最初の読経・『讃仏偈』をお勤めしました。他の寺では本堂でぜんざいやおでん、お酒などもふるまって接待する寺もあるようですが、我が寺ではコーヒーにお菓子とみかんで、ワイワイとおしゃべりをしました。そしてお参りされた方の集合写真を撮って、午前1時すぎにお開きにしました。
 ところで、昨日12月31日付け『朝日新聞』の「天声人語」に、除夜の鐘について次のようなことが書かれていました。静岡県牧之原市のある寺では、大晦日の正午につき始め、明るいうちにつき終える「除夕(じょせき)の鐘」を撞き始めて4年目になるそうです。なぜ夜中ではなく、昼間に撞くようになったのか、その理由は近隣住民から鐘の音が「うるさい」、「何時までつくんだ」という苦情の電話が続いたため、除夜の鐘を止めたそうです。それから十数年間は中止したままだったのを、後継住職が「除夜」ではなく、昼間に「除夕(じょせき)の鐘」を撞くようにして、好評だということです。
 近年は保育園の園児の声がうるさいといった苦情のため、園児を園庭で遊ばせられないとか、保育園の新設ができないといったニュースを見ることがあります。人それぞれですが、園児の声と同様に、鐘の音も騒音と感じる人がいるかと思うと残念です。少ない戸数ながらも住宅地域にある我が寺ではそんなことはまったく関係ありませんから、108の鐘の数にこだわらず、参拝者の皆さんに自由に撞いてもらいました。

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2017-12-31 : 西音寺 :
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闇夜に浮かぶ光

 西音寺の目の前に宇部興産の子会社である宇部サンド工業という会社があることは以前、本ブログで紹介しました。この会社がこのたび照明灯を備えたロゴ入り看板を新設して、昨夜、日が暮れてから点灯を始めました。そのロゴは、下の写真のように、「有限の鉱業から無限の工業へ」と記されています。珪石やガーネットなどの鉱石をここの工場で加工して販売する他にも、いくつかの製品を販売しているようですが、詳しいことはわかりません。
 闇夜に浮かぶ光り輝く看板からの反射光は周囲のみならず、真向かいの寺の本堂や境内まで照らしているので、一種特別な雰囲気を醸し出しています。それは看板の素材が純白なため、それを照らすLEDライトの光が反射して周辺を明るくしているためです。寺の庫裏の方までは直接、反射光が当たらないので、何ら問題はありませんが、昔のように門前の駐車場のあたりに二階屋が現存していたとすれば、苦情が出そうなくらい煌々と光り輝いています。
 寺では朝と夕の6時に梵鐘を撞いていますが、今時分は真っ暗ですから鐘楼まで歩いて行くのに懐中電灯が必要です。でも、この看板照明のおかげで、今後はそれが不要になりました。都会は照明に照らされた看板でその会社の宣伝と所在がわかるようにしているのは、ごくありふれた光景です。だが、麦川のように人通りのない過疎地の夜に、この明るい照明の看板は誰に見せるためだろうかと疑問に思います。西音寺のライトアップも兼ねているのかもというのは冗談ですが、電力消費のムダと言えるものの、周辺が明るくなったのは悪いことではないと思っています。

  無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり 智眼(ちげん)くらしとかなしむな (親鸞 『正像末和讃』)

夜間、本堂の外縁からの光景
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昼間の外縁から見た光景
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近くで見たロゴ入り看板
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宇部サンド工業の入り口
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2017-12-27 : 麦川地区 :
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今冬の雪

 今冬は「ラニーニャ現象」のせいで、かなり厳しい寒さになるという気象庁の発表の通り、12月に入ってから寒い毎日が続いています。これまでも小雪がちらつくことが数回ありましたが、今朝は夜中に降った雪でうっすらと白く覆われていました。家々の屋根は雪が積もっていましたが、道路や地面はほとんど雪なない状態でしたから、日が照れば、すぐに融けるだろうと思われたので、早朝に寺と宝林廟の写真を撮りました。予想通り、午前中で雪はほとんと融けてしまって、いつもの風景が戻りました。
 昨晩は善照寺(豊北町阿川)の「蓮華の会」の12月例会に招かれたので、40分ばかり仏教の話題をテーマに話をしました。その後、引き続き催された年末懇親会にも参加し、盛り沢山のご馳走をいただきながら、顔なじみの皆さんといろんな話を楽しみました。中でも最もホットな話題は、つい最近民放の全国ネットのテレビ局が取り上げて、一躍有名になった阿川のヤギ(山羊)のことでした。私自身はその放映を見ていないので、あまり実感がわかないのですが、その近所にお住まいの方の生々しい体験談ばかりでしたから、一度ヤギの家を見てみたいを思うほど興味深い話でした。

今朝の雪景色
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2階から見た本堂の屋根
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東の空が明るくなり始めた
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宝林廟
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中庭
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「蓮華の会」の懇親会場
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懇親会の一人前の料理
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2017-12-17 : 西音寺 :
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結婚式に参列 (願正寺)

 今日は従兄弟(いとこ)の二男の結婚式が浄土真宗本願寺派の願正寺(佐賀市呉服元町)で行われたので、連れ合いと一緒に参列しました。昨日までの三日間、自坊の「報恩講」を勤め、しかも昨晩は「歎異抄に学ぶ会」の勉強会とその忘年会とが重なって、体調が思わしくなかったのですが、親戚のお慶び事ですから、厚狭駅から新幹線に乗って出かけました。博多駅で在来線の特急に乗り換えて、佐賀駅には午前10時前に着きました。
 佐賀市に来たのは初めてでしたが、駅から出て街並みを眺める余裕もなくタクシーで結婚式場の願正寺に向かいました。あらかじめ従兄弟(いとこ)から願正寺が佐賀藩初代藩主、鍋島勝茂公によって創建された歴史的由緒ある名刹ということは聞いていたのですが、実際じかに見ると、元禄15年(1702)に建立された、間口13間半という大きな本堂以外にも、庫裏、山門、鐘楼など、それぞれ歴史ある建造物が広い境内地に建ち並んでいました。
 予定通り11時から本堂で仏前結婚式が始まり、式後は記念撮影や親族紹介などがあって、滞りなく式は終わりました。午後からは「ホテルニューオータニ佐賀」に会場を移して盛大な披露宴が行われました。上述したように、私の体調が良くなかったため、披露宴の途中で退席して帰途につきました。
 
願正寺本堂
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結婚式後の記念写真
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新郎新婦
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ホテルニューオータニ佐賀での披露宴
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2017-12-04 : 県外 :
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新聞記事『漫画の街並み 受刑者が描く』

 美祢市豊田前町はかつては無煙炭を採掘し、販売する山陽無煙鉱業所の炭鉱町として大変賑わった地域でした。だが、昭和45年(1970)の閉山以降は衰退の一途をたどりました。炭鉱で働く鉱員や職員などの住居、いわゆる社宅(豊浦社宅)があった約8万5千坪の広大な土地は更地になったままの遊休地でした。
 そこで、平成9年(1997)、地域振興整備公団によって工業団地「美祢テクノパーク」が造成されたが、進出する企業がなかったので、平成19年(2007年)4月、全国で最初の半官半民のPFI方式と呼ぶ刑務所「美祢社会復帰促進センター」が誘致され、今年で10年が経ちました。この刑務所は、その名称が示すように、罪の軽い初犯者だけを収容し、刑期を終えて出所にした後に一般社会で役立つようにいろんな職業訓練が実施されています。下に掲載した新聞記事にあるように、パソコン技能の習得もその一つです。
 記事に登場する漫画家の苑場凌(そのば・りょう)さんは、美祢市伊佐町の出身で、「美祢市ふるさと交流大使」の一人として漫画を通じて美祢市の魅力を発信しています。苑場さんの作品の一つに、幕末の戊辰戦争において長州藩士・楢崎頼三が飯森山で唯一生き残った白虎隊士・飯沼貞吉を美祢市東厚保町小杉に連れ帰って養育した顛末を描いた『あずさ弓の如くー飯沼貞吉物語ー』(上下2巻、スタジオ友善塾刊行)があります。

『朝日新聞』 平成29年11月26日付け記事
美祢市社会復帰
(上掲記事の本文を以下に転載)

 十数人が一心にパソコンのマウスやタブレット端末用のペンを動かしている。描いているのは街並みや建物、車など漫画で使われる背景画だ。ただ、この人たち、漫画家ではない。刑務所の受刑者たちだ。
 山口県美祢市にある官民協働の刑務所「美祢社会復帰促進センター」。10月中旬の午後、作業棟では明るい緑色の作業服を着た12人の受刑者が、パソコンやタブレット端末に向き合っていた。指導にあたる漫画家の苑場凌(そのば・りょう)さん(56)=本名・渋谷巧さん=がやって来た。受刑者の一人がすかさず手を挙げる。刑務官に「交談願います」と申し出ると帽子を取り、苑場さんに質問した。苑場さんは一つひとつに丁寧に答えた。
 刑務作業に背景画の描画が採り入れられたきっかけは、2014年の夏。美祢市出身の苑場さんは、知人の誘いで刑務作業を見学した。そこで、専用のソフトを使って観光用チラシを描く受刑者の姿を見た。
 「この人たちはどれくらい絵を描けるのだろう」と興味がわき、指導役を申し出た。執筆拠点を置く東京から月1回、通うようになった。15年春、作家の内田康夫さんの小説の漫画化が決まり、苑場さんが作画を任された。美祢市が舞台の一つになっている作品で、受刑者たちに背景を描いてもらうことを思いついた。
 センターも提案を受け入れた。最初は乗り気に見えなかった受刑者たちだが、自分たちが描いた絵が載った本を手にすると笑顔になったという。
 今年4月、苑場さんは受刑者たちが描いた背景画の販売サイト「漫画家本舗」(https://mangakahonpo.thebase.in/ )を立ち上げた。1作品につき300~500円台で販売している。いろんな所で使われれば、受刑者たちのやる気がさらに上がるのではと考えた。背景画は駅舎や日本家屋、東京スカイツリー、いろんな種類の車などさまざまで、数々の漫画で使われ始めている。
 苑場さんは、今も刑務作業の現場に戸惑うことがある。受刑者と話すには、そのつど刑務官の許可が必要。刑期を終えたりトラブルを起こしたりした人は、前触れもなくいなくなる。
 だが、大きなやりがいも感じている。「木目の描き方を教えてほしい」「時計は針を描かない方が使いやすいですよね?」。指導を受けるうちに、受刑者たちは積極的に質問し、背景画を使う人の身になって考えるようになってきた。
 詐欺罪で服役中の20代男性は、パソコン操作も絵を描くことも苦手だった。だが苑場さんの指導を受けて「できなかったことができるようになった」と喜ぶ。「この体験が、出所後にプラスになると思います」
 苑場さんは、指導する受刑者の名前も罪状も年齢も知らない。それでも、師弟関係に似た確かなつながりを感じる。作画を通じ、辛抱強く地道な作業をこつこつ続ける大切さや達成感を覚えてもらいたいと思っている。「この経験を生かし、やりたいことに一生懸命打ち込みながら真っ当に生きていってほしい」
 各地の刑務所では、独自の刑務作業がある。 広島刑務所(広島市)では、広島県警と広島東洋カープの協力を受けて、2014年からオリジナルのカープグッズを作っている。銀行通帳を入れるケースや、8回のリーグ優勝を記念して「V8」と刺繡をあしらったユニホーム型ポーチをミシンで仕上げるほか、刑務官の格好をした球団マスコット「カープ坊や」の缶バッジも製作。グッズに「PRISON」(=刑務所)と印字されているのが特徴だ。                   
 法務省成人矯正課によると、帯広刑務所(北海道帯広市)が地元産のカラマツを使った家具の製造▽水戸刑務所(茨城県ひたちなか市)が祭事で使う獅子頭の製造▽横浜刑務所(横浜市)がうどんや冷や麦など乾麺の製造▽沖縄刑務所(沖縄県南城市)がシーサーの置物作り-などをしている。  (浜田綾)
2017-11-26 : 新聞・書籍・TV :
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石村勝宣絵画展閉幕

 11月12日から12日間にわたって秋吉台国際芸術村で開催された「石村勝宣絵画展」は、本日盛会のうちに閉幕しました。会期中は連日、多数の来場者で賑わい、芳名帳に記帳された数だけでも544名にのぼりました。それに加えて二度、三度と観覧されたリピーターの方や、台湾からの2組の団体ツアーのほとんどは記帳されていませんので、その人数を含めると延べ来場者は600人を越える大盛況で、驚くばかりでした。
 今年2月に立ち上げた実行委員会は初めての絵画展の企画ですから、すべてが手探り状態で準備を進めました。石村さんの素晴らしい油絵を一人でも多くの人に見ていただきたいという気持ちで実行委員会メンバーが取り組んだので、一つの問題も生じることなく、すべてが順調に事が運びました。
 最終日は午後5時に閉幕した後、会場の作品展示の様子と実行委員メンバーを記念として写真に撮り、そのあと2時間余りかけて撤収作業を慎重に行いました。今回、いろいろご配慮をいただき、お世話になった秋吉台国際芸術村事務部の職員さんの話では、一つの企画展でこれほどの大人数の来場者があったのは今回が初めてと伺って、とても意外でしたが、それだけに私たちの企画が好評であったとも言えるでしょう。事前のポスター貼りやチラシの配布だけでなく、山口新聞の記事やMYT(美祢市有線テレビ)放映なども効果があったものと思います。
 おかげ様で12日間の絵画展は滞りなく終了しました。去年の秋、石村さんの絵画展をぜひ美祢市で開催しようという提案から約1年、実行委員会を立ち上げてから9か月、その間、開催費用のカンパを始めとして多くの方々のご援助があったおかげで、絵画展は成功裏に終わりました。

以下の会場の写真は閉幕後に撮りました
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石村さんを囲んで実行委員会メンバー
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山口新聞(平成29年11月21日付け)記事
山口新聞修正(石村絵画展)
2017-11-23 : 美祢市 :
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絵画展出品作品 (3)

秋吉台国際芸術村「石村勝宣絵画展」出品作品、その3です。

「ある日の風景」 F 80号
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「コスモス」 F 40号
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「ドーム 冬」 S 80号
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「よき祈りよこもれ」 F 130号
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「牡丹(ぼたん)」 F 40号
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「青葉したたれ」 P 150号
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「炎 Ⅱ」 F 100号
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「海」 M 30号
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2017-11-15 : 美祢市 :
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絵画展出品作品 (2)

 秋吉台国際芸術村「石村勝宣絵画展」出品作品、その2です。

「胡蝶蘭(こちょうらん)」 F 4号
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「葡萄(ぶどう)」 F 4号
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「薔薇(バラ)」 F 4号
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「薔薇(バラ)」 F 6号
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「薔薇(バラ)」 F 6号
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「薔薇(バラ)」 F 6号
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「船」 F 100号
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「泉」 S 100号
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2017-11-14 : 美祢市 :
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絵画展出品作品 (1)

 秋吉台国際芸術村の「石村勝宣絵画展」に出品されている全24作品を石村さんの承諾を得て、3回にわけてご紹介します。

「肖像(しょうぞう)」 S 50号
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「ドーム(一輪の花の幻)」 S 80号
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「炎 Ⅰ」 F 100号
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「死と焰の記憶に」 F 130号             
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「壁」 F 60号
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「カサブランカ」 F 10号
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「牡丹(ぼたん)」 F 8号
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「マンゴー」 F 4号
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2017-11-13 : 美祢市 :
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