宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

ボタ山のメガソーラー工事

 今日の午後、寒風の吹きすさぶ悪天候の中、現在、ボタ山の山上で工事が進められているメガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設現場の現地説明会に地域の皆さんといっしょに参加しました。このメガソーラーは昨年6月から前田建設工業(株)が山上に建設を始めたもので、今年の9月に設備が完成し、10月から稼働する予定だそうです。
 ボタ山は地中から石炭を採掘したときに発生する捨て石(=ボタ)を廃棄した場所が山になったもので、山陽無煙鉱業所が昭和45年(1970)に閉山するまで、長年にわたって捨てて来たボタが周囲の山々を凌駕するほど巨大な真っ黒い山になって聳え立っていました。本ブログにも昔のボタ山の写真を載せました。
 閉山してから炭鉱関係の施設は多くが取り壊されました。ボタ山だけは炭鉱の遺物としてそのまま残ると思っていましたが、ボタ山も年を経るごとに頂上から削り採られて行きました。というのは、ボタは燃える石炭成分を含有するため、他の燃料に混ぜれば使えるということで、市内のセメント工場などにボタが使用されたからです。そのため長年にわたってボタ山の頂上からボタを掘り出してダンプトラックで運び出されていたのですが、そのうちボタを補助燃料として使用しなくなったため、掘り出しは終わりました。それは今から10数年前のことでしょうか。削り取られた山上には広大な平地が残りました。本ブログでもその現場の様子を紹介しました。
 平成23年(2011)の東日本大震災で福島の原発事故が発生して以来、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生可能エネルギーによる発電事業が日本各地で起こされました。中でも国の固定価格買取制度を利用してソーラーパネルによる太陽光発電が全国的にもっとも盛んになりました。それに目を付けて、大手の企業が全国各地の広大な遊休地にメガソーラーを次々と建設しています。美祢市内にも廃業したゴルフ場跡地や遊園地(ニュジーランド村)跡地などにメガソーラーが出来るということです。かつて山陽無煙社宅があった白岩地区の広大な跡地には、オリックス(株)が昨年メガソーラーを完成したことは、本ブログで紹介しました。
 今から2年ほど前に、前田建設工業(株)がボタ山に太陽光発電所を建設するということで、地元説明会を開催しました。ボタ山に接している常森地区や筈畑地区は、これまでボタ山から真っ黒い雨水の流出やボタの崩落などの問題が発生しています。そのため、山上に発電所が建設された場合、そうした問題がまた起こらないかという懸念から、このたび現地説明会が開催された次第です。私も久しぶりにボタ山に上って見ましたが、以前の風景は一変していて、きれいに整地された広大な敷地にソーラーパネルを設置する基礎工事が着々と進んでいました。
 今日、現地を案内していただいた施工業者さんの話では、敷地面積は13ヘクタール(13万平米)あり、ソーラーパネルを3万枚余り設置して、発電出力は7MW(7メガワット)だそうです。数字だけを聞いてもピンときませんが、大規模の発電所であることは確かなようです。今秋完成したら、再度現地案内が予定されているそうですから、また見に行こうと思います。

ボタ山の工事現場での説明会
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パネルを使って施工業者さんの説明
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山上の貯水溜池を見る参加者
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以下の写真は工事現場を眺望
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2017-01-20 : 麦川地区 :
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通夜布教(西本願寺)

 本願寺(西本願寺)の御正忌報恩講法要は、毎年1月9日~16日に勤められます。昨夜は通夜布教が行なわれたので、インターネットで聴聞しました。通夜布教は、親鸞聖人がご往生される前夜、門弟たちが朝まで聖人のお世話をしたことに始まるといわれます。そのためご命日の前夜の15日、午後7時から明朝の午前5時40分まで夜通し行なわれます。会場は本願寺境内に隣接した聞法会館で、1階の総会所と3階の多目的ホールの2ヵ所で同時に開催されます。昨晩は全国の各教区から推薦された13名の本願寺派布教使さんが2ヵ所の会場ごとに、各人40分の持ち時間で法話をされました。
 私も以前は15日に本願寺に参拝して夜のを通夜布教の聴聞をしていましたが、ネットで同時配信されることが分かってから、ここ数年は自宅のコタツに入って、気楽に聴聞しています。いつもながら朝まで起きておられないので、昨夜は午前2時半ころまで9人の布教使さんの法話を聴聞しました。
 今回印象に残ったのは節談を交えた塚本慈顕師(佐賀教区:徳常寺)の法話です。今日、節談説教の出来る布教使さんはきわめて少数といわれますが、その一人が高座に上って法話をされた塚本師です。近年は高座に上がる布教使さんはまず見ないし、実際高座を今でも備えている寺はほとんどないと思われます。そういう意味でも塚本師のお取り次ぎは興味深く聴聞しました。

法話が始まる前の会場(1階総会所)の様子
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若林眞人師 (大阪教区:光照寺)
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前田昌光師 (新潟教区:源昌寺)
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南眞琴師 (福井教区:妙壽寺)
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野瀬善隆師 (滋賀教区:清徳寺)
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佐々木至成師 (備後教区:照専寺)
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野世真隆師 (大阪教区:光陽寺)
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塚本慈顕師 (佐賀教区:徳常寺)
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杉田正悟師 (国府教区:明通寺)
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原智精師 (富山教区:正興寺)
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2017-01-16 : 県外 :
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展望台からの風景

 ニュースによれば、この冬一番の寒波襲来で日本の各地に大雪が降っているようです。当地も朝からとても寒い一日になりましたが、日中はまだ雪は降らず、日差しも出ていたので宝林廟に上って、展望台から周辺の風景を写真に撮りました。展望台から見渡す眺望は決して美しい風景が眼下に広がっているとは言えませんが、当地が無煙炭で繁栄していた炭鉱全盛期を見て育った私には展望台から眺める今の風景の中に自然と昔の様子が心に浮かび上がります。昔を知る人とって当地ほど栄枯盛衰を感じさせる地域はないでしょう。
 下の写真に見える道路は麦川川と旧山陽無煙鉱業所跡地との間を走る県道38号線です。昨年4月に平成9年に廃線になったJR大嶺線の線路跡地が新設道路に生まれ変わって、これまでの川向こうの県道38号線と接続したため、今では多くの車が麦川の町筋ではなく、川向こうの県道を走るようになって交通事情もずいぶん様変わりしました。
 天気予報では県内は今晩あたりから雪が降るということですから、明日は今年最初の雪景色が見られるかもしれません。

展望台から上麦川、麦川小学校方面を望む
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宇部興産の子会社・ユーイーエルが見える
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現在、太陽光発電所がボタ山跡に建設中のため、その作業所が見える
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昔の炭鉱を偲ばせるシックナーや建屋などが残っている
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現在、宇部興産の子会社・宇部サンド工業の工場が見える
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写真の下半分に麦川上(昔の寺町)地区の家屋が見える
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2017-01-14 : 宝林廟境内 :
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ヒップホップ・ダンス

 ヒップホップの「ヒップ」とはかっこいい、「ホップ」とは飛び跳ねるという意味で、今から40数年前にアメリカのニューヨークで生まれた、野外でラップ系の音楽を演奏したり、ダンスを踊ったり、ファッションやアートも含めたものを「黒人の弾ける文化」としてヒップホップと呼ばれているようです。
 麦川保育園でも、昨年12月からヒップホップ・ダンスを園児さんたちに取り入れることになり、今日はそのレッスン日ということで、見学させていただきました。指導される先生は美祢市在住の福嶋久美さんで、今日お聞きしたプロフィールは次のようです。福嶋さんは市内の中学校を卒業したあと、幼少の頃からモダンバレエを習っていたことから、単身沖縄に渡って、「沖縄アクターズスクール」に入学し、3年間ダンスなどを学んだそうです。「沖縄アクターズスクール」は芸能人の養成学校として安室 奈美恵など、多くの有名人が学んだ学校として有名なようです。福嶋さんはもともと芸能人になるつもりはなく、ダンス技能を向上させる目的が果たせたところで地元に戻られたそうです。現在は宇部市のダンス・スタジオで指導されるかたわら、いろんなイベントやプロモーションビデオなどに出演されているそうです。
 さて、今日のレッスンを見学して、園児さんたちは軽快な音楽に合せて体を動かすことが大好きなことがよくわかりました。福嶋先生から次から次へと出される体のいろんな動作の指示にしたがって、園児さんも保育士の先生も体全体を動かす運動を約1時間ほど続けました。途中一度だけ水分補給をする以外は休むことなく体を動かし続けていましたが、誰一人として疲れた様子を見せた子はいませんでした。今日も寒い日でしたが、終わった後はみんな体がホカホカになったとか、おもしろかったといって喜んでいました。ヒップホップ曲に合せて体を動かすダンスは、疲れを知らない子どもたちにとって、この上ない楽しい運動遊びでしょう。

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途中休憩で水分補給
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指導者の福嶋先生
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2017-01-11 : 麦川保育園 :
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新年のご挨拶

    皆さま 新年明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。

 平成29年(2017)の新年を家族ともども元気に無事、迎えることができたことを、ありがたいことと感謝しています。新しい年が始まると、やはり気持ちも何となく改まるように感じられます。本ブログは、「宝林廟」を知っていただく目的で、平成24年(2012)1月6日に始めたので、今年1月から6年目に入ります。今後ともいろんな話題を発信して行きたいと思っています。
 昨年の大晦日には、夜11時45分すぎから除夜の鐘を撞き始めました。年が変わって、午前0時から本堂でお参りの皆さんと一緒に新年最初のお勤め(読経)をしました。今年も一年が、あれよあれよという間に過ぎ去ることでしょう。残された人生のカウントダウンが始まったと言いたいところですが、「今日とも知らず、明日とも知れ」ない生死無常(しょうじむじょう)のいのち(命)を、いま生かされているのですから、人生の終着がいつ我が身に訪れるやもしれません。その意味から、刹那(瞬時)、刹那(瞬時)のいのちがつながって、ゴールに近づいているのが、いのちの本質といえるでしょう。
 浄土真宗の葬儀においては、本願寺第八世の蓮如上人が作られた『白骨のご文章』を必ず拝読します。私はこのご文章を葬場で拝読するたびに、悲嘆にくれたご遺族や会葬者に向けてだけでなく、自分自身に向けての拝読だと思っています。「声に出して読みたい日本語」にふさわしい名文だと思います。
 『白骨のご文章』は、15世紀室町時代の古文でありながら、現代の私たちにも十分理解できるようなことばでもって、例えば、「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」という有名な一節に見られるように、いのちのはかなさ(儚さ)が切々と語られています。無常のはかないいのちであるがゆえに、死を意識して日々を大切に生きることが、より良い生き方に通じるように思います。

新年のお荘厳
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元旦の朝の寺の風景
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除夜の鐘
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2017-01-02 : 西音寺 :
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新聞記事「無縁遺骨 あふれる納骨堂」

 本日の朝日新聞に興味深い記事が掲載されていたので紹介します。記事の見出しに「無縁遺骨 あふれる納骨堂」とあり、「保管見直す自治体、やむなく合葬も」と小見出しが付けられています。記事を要約すれば、次のように述べられています。
 記事は、今、全国各地で引き取り手のない遺骨が増え、その対応に各自治体が苦慮している、と述べ、続いて川崎市と神戸市での事例が紹介されています。
 まず、川崎市の事例では、市営霊園にある納骨堂に身寄りがなかったり、遺族に引き取りを拒否されたりした遺骨が無期限で保管されていたが、2000年代に入るとそうした遺骨が急増し、保管しきれなくなったそうです。そこで市は保管期間を30年とし、火葬から5年たった遺骨は分骨するなどの方法と近年は残骨をパウダー状に粉骨して保管スペースを確保しているということです。次に、神戸市の場合は、遺骨を5年間保管したあとは他人の骨と一緒にする合葬(がっそう)が年一回、行なわれているそうです。合葬すれば、二度と引き取ることは不可能になります。
 こうした事例は今や全国の自治体に共通する問題として、それぞれに対応策を講じる必要に迫られているようです。これまでは身内の弔いは家族の義務と考えられてきたが、家族間の関係が希薄になったり、家族や親族との関係を絶って孤立した人が増えた結果、引き取り手のない遺骨が急増したのであろうと指摘されています。
 東京都足立区では、『老い支度読本』という冊子を発行し、墓の有無や場所、弔いの方法の希望を書く欄を設けて、本人の意向が分かるようにしているそうです。誰にも必ずやって来る死後に備えて、その準備を「早めに」と勧めていますが、「死」というものを、「我や先、人や先」(蓮如上人『白骨のご文章』)ではなく、「人や先、人や先」と、他人事のように思って、自分の死を忘れている、あるいは見つめようとしないで日々を送っているのが私たちの生き方ではないでしょうか。

『朝日新聞』 平成28年12月31日付け
朝日(H28 12 31)

(以下に上掲記事の本文を転載します)
 
 人が亡くなると、誰かが引き取り、弔うと考えられてきた。ところがいま、各地で「引き取り手のない遺骨」が増えている。自治体が対応に苦慮する中、生前のうちに「死後の備え」と向き合う動きも出ている。

 〈分骨・粉骨でスペース捻出 川崎〉
 多摩川の南側に広がる住宅街から数分歩くと、木々に囲まれた川崎市営霊ログイン前の続き園がある。墓が並ぶ一角から少し離れたところに、高さ4メートルほどの六角形の納骨堂が立っていた。
 11月中旬のある朝。納骨堂から運び出された骨つぼが並べられた。300柱以上で、多くは男性のもの。「家族とつながりがなくなったから、ここにいるのでしょうか」。市生活保護・自立支援室の礒田誠さん(41)が語った。10月には60代の男性がアパートで孤独死。長男は「長く音信不通だった」と言い、遺骨の引き取りを拒んだという。
 骨つぼには、身寄りがなかったり、遺族に引き取りを拒否されたりした人の遺骨が納められている。川崎市はかつては無期限で保管していた。
 ところが、1990年代まで年間50柱前後で推移していた引き取り手のない遺骨の数が2000年代に急増。02年度から、(1)保管期間を30年とする(2)火葬から5年たった遺骨は骨つぼから取り出し、2、3片を小さなポリ袋に入れる(分骨)(3)分骨で生じた残骨はまとめ、納骨堂の地下室で「合葬」する――とした。礒田さんたちが取り組んでいたのは、分骨の作業だった。
 その後も遺骨は増え、08年度には200柱以上に。納骨堂に空きが出るまで、全区役所で骨つぼを「仮置き」している。市は保管を民間委託することも検討したが、職員から「企業が廃業・倒産したらどうなるのか」という懸念が出た。そこで市は12年度以降、地下室のスペースを捻出するため、残骨を石材業者に依頼してパウダー状にする「粉骨」に取り組んでいる。
 「あら、あの人だわ」。礒田さんらと作業をしていた支援室の担当課長・岡本みゆきさん(56)が骨つぼに記された名前を見て声を上げた。ケースワーカーをしていた時に知り合った男性という。「生活保護を受給し、身寄りのない人でした」
 
〈神戸〉
 神戸市北区の鵯越(ひよどりごえ)墓園では11月上旬、年1回の合葬があった。市幹部が市職員ら約40人の前で「家族に見守られずに亡くなった方々であり、その深い悲しみの前には慰めの言葉もありません」と式辞を述べた。
 神戸市では5年の保管期間を経て遺骨を合葬している。この日の対象は286柱。身寄りがない人、引き取りを拒まれた人……。市保護課長の八乙女悦範(やおとめよしのり)さん(49)は「遺骨に対する考え方や家族のかたちが変わってきたと感じます」と話す。
 骨つぼには親族が引き取りに来た際に引き渡せるよう管理番号が記されているが、中には「氏名不詳」と書かれた紙が貼られたものも。合葬されると、誰の骨かは分からなくなる。
 20政令指定市で、引き取り手のない遺骨を最も多く扱う大阪市の保管期間は最短の1年。その後、合葬する。熊本市は熊本地震による予算見直しで合葬スペースの確保を見送ったが「検討は続ける」としている。

 〈死後の備え「早めに」〉
 東京・足立区は「老い支度読本」(A4判・96ページ)を作っている。表紙には「50代はまだ早い? いえいえ、そろそろ考え始めるタイミングです」。最終章に墓の有無や場所、弔いの方法の希望を書く欄がある。孤独死しても、その欄を見れば本人の意向が分かるという考えからだ。
 これまで4万部を発行。最終章だけを求める住民もおり、増刷予定という。高齢福祉課長の伊東貴志さん(40)は超高齢化の先にある「多死社会」を視野に入れ、「従来通りの行政サービスを続けていたら自治体はパンクします。早いうちに死後に備えて」と求める。
 台東区を拠点に元日雇い労働者らを支援するNPO「山友会」は昨年、区内の寺院に合葬墓をつくった。インターネット上で資金を募る「クラウドファンディング」で約250万円を集めた。理事の油井和徳さん(32)は「死後のことが不安な人たちに『死んでもつながりは続く』と思ってほしい」と話す。(室矢英樹)
 
 〈引き取り手なし、倍増、10年前比。親族拒否や貧困も背景 20指定市で7360柱〉
 朝日新聞が全国の20政令指定市を調べたところ、2015年度は10年前の2倍に迫る計7360柱を自治体が引き受けていた。
 各市に対し、06~15年度の10年分について質問。記者が補足取材した。その結果、20市はこの10年間で計5万7226柱を引き受けていた。このうち15年度は計7360柱で、4027柱だった06年度の1.8倍だった。
 日本では死者の火葬を担う人がいなかったり分からなかったりした場合、墓地埋葬法などで「死亡した場所の市区町村長が火葬する」と定め、遺骨も自治体が引き受ける。
 引き取り手のない遺骨が増える背景について、相模原市は「親族がいても引き取りを拒むケースが多くなっている」と回答。北九州市は「高齢の単身者が増えている」とし、堺市は「火葬の費用を出せない親族もいる」とした。
 20市は保管期間を1年~無期限に設定。だが、さいたま市は納骨堂が満杯に。無期限だった保管期間を改め、今月から合葬を始めた。大阪市は15年度に約1500万円をかけ合葬墓を4倍に拡張。静岡市も「拡張を検討中」と答えた。
 あわせて東京23区も調べたところ、各区の記録が全て残る09年度の計722柱から、15年度は1・2倍の計899柱に増えていた。

 〈社会で考える時〉
 白波瀬達也・関西学院大社会学部准教授(福祉社会学)の話 
身内の弔いは家族の務めと考えられてきたが、関係が希薄な家族や家族を持たない人も多くなった。その結果が「引き取り手のない遺骨」の急増だろう。「家族の復権」を唱えるだけでは解決できない。葬儀や遺骨の取り扱いを社会全体で考える時期にきている。
2016-12-31 : 新聞・書籍・TV :
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ヴァイオリンを楽しむ会

 今日は麦川保育園のホールで、「ヴァイオリンを楽しむ会」が開かれました。ヴァイオリン奏者は東京在住の恵本季代子さん(東京芸大大学院修了)とピアノ奏者は山口市在住の岡本道子さん(桐朋学園大卒業)のお二人による演奏会でした。今回の演奏会が実現できたのは、次のようなご縁があったからです。
 恵本季代子さんのお父様は私と高校時代の同級生で、卒業後はそれぞれ進学、就職して久しく会うこともなかったのですが、彼も私も退職後は郷里に戻っていたところ、数年前に偶然にもお寺の会合で再会して、40数年ぶりの旧交を温めました。今年の夏ごろ、彼から娘さんの季代子さんがヴァイオリニストであることを初めて伺い、年末には東京から帰省するので保育園の園児さん向けの演奏会はどうですか、という提案がありました。さっそく保育園の先生と相談した結果、0歳から6歳までの幼児ばかりですから、短い時間なら静かに聴くことができるだろうということで、30分くらいのミニコンサートをお願いしました。
 今日の演奏会は、園児さんだけでなく、冬休みに入った小学校の学童さんや近所の方も来場されて、予定通り10時半から始まりました。おそらくほとんどの園児さんや学童さんはヴァイオリンの生(なま)の演奏を聴くのは初めてだったでしょう。じっと座って静かにして聴くことができるだろうか、という当初の心配はまったくの杞憂に終わりました。オープンニングのメドレー曲「サウンド・オブ・ミュージック~エーデルワイス~ドレミの歌」でヴァイオリンとピアノの演奏が始まり、「虹のかなたに」、「美しきロスマリン」、「愛の喜び」と演奏されると、園児さんたちは興味津々といった様子で最後まで美しい音色にじっと聴き入っていました。
 最後にアンコールに応えて、2曲ほど演奏していただきました。ふだんは多動的な園児さんも静かに聴けたということが生演奏に魅了される素晴らしさだと思います。こうした幼い時の体験が、「僕もヴァイオリンが弾きたい」、「私もピアノが習いたい」といった動機づけになるものです。園児さんや学童さんの今晩の夕食の時は、おそらく演奏会の話で食卓が賑わうことでしょう。田舎に住んでいて、ヴァイオリン演奏を楽しむことはめったにない機会ですから、私も久しぶりにデュオの快い響きを味わいました。

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園児さんからの花束贈呈
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演奏者のお二人と園児さん、学童さんたちの集合写真
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2016-12-26 : 麦川保育園 :
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報恩講

 今年の「報恩講(ほうおんこう)」は2日(金)、3日(土)、4日(日)の3日間、勤まりました。「報恩講」は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が90歳の生涯をかけて、すべて人が阿弥陀仏に救われる道を示された「恩」に「報」いるために営まれる法要です。「講」とは本来、僧俗が仏法を聴聞するための法座を開いて、信仰を深める集いのことを意味します。聖人のご命日は弘長2年(1262)11月28日(旧暦)に亡くなられました。私たちの本願寺派は新暦の1263年1月16日を祥月命日としていますので、本願寺では1月9日から16日まで8日間にわたって「御正忌報恩講」が勤まります。
 私たち本願寺派の末寺では本山の御正忌に合せて「報恩講」を勤める寺もありますが、逆に御正忌の本山参拝に重ならないように、また1月の寒さを避ける意味もあって、10月~12月の間に繰り上げて勤める寺も多いようです。これを「お取り越し」、もしくは「お引き上げ」と呼んでいます。
 西音寺では恒例として12月の第一週の金・土・日に「報恩講」を勤めています。寺の年間行事の中で、最も大切な法要ですから、その準備も一仕事です。「報恩講」の一週間前にご門徒の皆さんによって寺の内外の清掃が行われます。そして餅をついて、出来上がった丸い小餅を高く積み重ねて作るお飾りは、毎年、坊守と仏婦の皆さんのお手伝いによって行なわれていますが、とても大変な作業です。
 こうして、ご門徒の皆さまのおかげによって3日間の「報恩講」が無事済むと、今年もこれで終わったという安堵感で、あたかも大晦日を迎えたような気持ちになりますが、実際はそれ以後、毎日のように年末までご門徒のお宅の「お取り越し」のお参りが続きますので、ホッと出来ないのが現実です。

   如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし

   師主知識の恩徳も   骨をくだきても謝すべし (『正象末和讃』)

中尊前
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祖師前
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御代前
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右余間(旧称は左余間)
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左余間(旧称は右余間)
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3日目のご講師・田中教照師
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2016-12-05 : 西音寺 :
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大谷本廟でご法事

 昨日の土曜日、宗祖親鸞聖人の墓所であり、また本願寺派の寺院やご門徒の納骨堂がある大谷本廟で七回忌のご法事を勤めるため、京都まで日帰りで行って来ました。美祢市在住のご門徒さんが関西に親戚が多いため、美祢に来てもらうより、こちらから出向いた方が集まりやすいだろうということで、大谷本廟でのご法事になりました。
 京都は今、紅葉真っ盛りの観光シーズンで、しかも土曜日ということで、京都駅前広場に出ると、観光地へ向かう市営バスを待っている長蛇の列にびっくりしました。先日終わった美祢西組の団参でもホテルでの夕食懇親会が終わったあと、永観堂や高台寺の紅葉見物に出かけた人がライトアップされて美しかったと言っていました。大谷本廟前の通りでは清水寺の紅葉見物が目的と思われる観光客でごった返していました。紅葉する樹木が少ない本廟ですが、参道から見える真っ赤な紅葉をバックに写真を撮っている人もいました。
 さて、今回のご法事のために大阪、奈良、滋賀、神奈川、栃木の各地から16人の親戚の皆さんが本廟に集まり、11時から第一無量寿堂6階にある仏間をお借りして1時間ほどご法事を勤めました。終わったあと、本廟地下にある食事処「菜の花」に移動して昼食をいただきました。時間の余裕があれば、私も紅葉見物をしたいところでしたが、日曜日を控えて帰る都合があったので、1時間あまりお相伴にあずかって、一足先に帰路につきました。

本廟総門
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七回忌記念
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本廟仏殿(本堂)
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明著堂(親鸞聖人の墓所である祖壇の前に建つ拝堂)
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2016-11-27 : 県外 :
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美祢西組団参 (3日目)

 団参3日目の朝は潮騒の聞こえるホテルの朝風呂に入って、心地よく目覚めました。昨日と違って、今日はよく晴れた良い天気に恵まれました。朝食前にホテルの目の前に広がる砂浜を散策しているグループもいました。9時にホテルを出発して、白浜の千畳敷に向かいました。
 千畳敷は砂岩が波の侵食を受けてできたスロープ状の岩盤で、畳が千枚敷けるほどの広さがあるので、その名称が付けられたそうです。ここから望む太平洋の水平線に沈む夕日の光景は「日本の夕陽百選」にも選ばれたほど美しいとバスガイドさんから教えていただきました。千畳敷をあとにして、バスは一路、和歌山市内の本願寺鷺森別院へ向かって走りました。
 鷺森別院では本堂に参拝して、別院職員の方から別院の由来をお聞きしました。それによれば、別院は本願寺8世、蓮如上人(1415-1499))まで遡るということで、江戸時代中期には東西17間、南北16間という壮大な本堂を始めとする七堂伽藍が建ち並んでいたが、昭和20年の和歌山大空襲によってそれらが灰燼に帰したそうで、本当に残念なことです。現在は平成6年に再建された新しい本堂です。
 鷺森別院にお参りしたあとは、昼食のため市内の「がんこ六三園」に入りました。ここはもともと大正時代に事業家として財を成した人が建てた別邸で、国の登録有形文化財に10件が指定されている由緒ある建物の一部が料理屋として使用されているそうです。私たちが食べている部屋からも素晴らしい庭園が見られました。食事も懐石風に温かい物が順に出されて良かったです。
 ゆっくりと昼食をいただいたあと、バスに乗って新大阪駅へ向かいました。そして5時すぎの新幹線で新山口駅に戻りました。あっという間の2泊3日の旅行でしたが、全員が無事に帰着でき、また充実した良い団参旅行ができたのは、西組スタッフや近畿日本ツーリストの添乗員の方たちの周到な手配と行き届いた配慮があったからと感謝しています。とりわけ、事前の準備にパソコンを駆使して、旅行社のスタッフの方と旅行全般の実施計画を策定された専正寺ご住職のご尽力に敬服しました。

千畳敷(白浜)で西音寺グループの集合写真
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鷺森別院に参拝
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鷺森別院で2号車の集合写真
団参記念写真

鷺森別院本堂で2号車の集合写真
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鷺森別院の本堂
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「がんこ六三園」で昼食
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「がんこ六三園」
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西音寺グループの集合写真
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2016-11-25 : 県外 :
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美祢西組団参 (2日目)

 西組団参の2日目は本願寺への晨朝参拝から始まりました。ホテルのロビーに早朝5時半に集合して、まだ夜の明けない暗い中を街灯を頼りに歩いて本願寺へ行きました。阿弥陀堂に入ると、広い堂内はすでに参拝者でいっぱいで、定刻の6時の喚鐘の音に合せて、『讃仏偈』の勤行が始まりました。読経の声が堂内に響き渡って、寒さを忘れさせてくれるような荘厳な気持ちになります。大人数での読経はふだん自坊の本堂で一人でお勤めをするのと違って、お経の響きを楽しむ余裕があります。
 阿弥陀堂でのお勤めが終わると、引き続いて御影堂に移動して、『正信偈』のお勤めがありました。晨朝参拝が終わったあと、ホテルに戻って朝食をいただき、9時に貸切バスに乗って、一路高野山へ向かいました。団参の目的である法要参拝が昨日終わったので、今日と明日の二日間は観光旅行です。
 最初の観光地の高野山は言うまでもなく、弘法大師空海さんの開かれた真言宗の総本山です。西音寺グループの中には高野山が初めての人も何人かいらっしゃって、当初は誰もが心配していた11月下旬の山上の寒さが思ったほどでもなくてホットしました。正午ごろに山上に到着すると、まず昼食をいただきました。食事が済むと、お店で胡麻豆腐などの高野山名物をお土産に皆さん買い求めていました。中には、自宅に植えたいと高野槇の苗木を数本買った人もいました。
 高野山での観光に奥の院は外せないところですが、今回は総本山・金剛峯寺と根本大塔、金堂などの壇上伽藍だけを見学しました。広大な境内地に建ち並んでいる歴史的由緒ある仏教建築を、定年退職後に研修を受けて、ボランティアガイドになったというガイドさんに軽妙な語り口で案内していただきました。、私自身は大学時代の親しい友人が高野山の別格本山の出身でしたから、これまで何度も高野山に遊びに行ったことがありますが、ガイドさんから話しを聞くのは初めてだったので、とても良くわかりました。建物内は撮影禁止の所が多かったのと、次々と案内していただいたため、あまり写真が撮れませんでした。
 予定通りに見学を終わって、今日の宿泊先の南紀・白浜温泉「白良荘グランドホテル」に向かいました。到着したのが、すでに日も暮れた6時すぎになり、チェックインしたあと男性グループはまず先にひと風呂浴びてリフレッシュし、浴衣姿で夕食懇親会に臨みました。団参最後の夜ですから、大いに飲み、ワイワイ語り合い、のど自慢の人は舞台に上って次々とカラオケでした。懇親会のあとも、夜の更けるまで二次会が続きました。

晨朝参拝
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晨朝での阿弥陀堂本尊の荘厳
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晨朝での御影堂本尊の荘厳
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高野山での昼食
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金剛峯寺で
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壇上伽藍で
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白浜温泉での夕食懇親会
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2016-11-24 : 県外 :
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美祢西組団参 (1日目)

 11月20日~22日の2泊3日の日程で、現在、本山・本願寺(西本願寺)で開催されている伝灯奉告法要に美祢西組が団体参拝しました。伝灯奉告法要とは一昨年の平成26年6月6日、浄土真宗本願寺派のご門主が第24代即如門主(大谷光真師)から第25代専如門主(大谷光淳師)に継承されたので、それを内外に知らせるための法要で、途中休止期間を含めて来年5月までの予定で先月1日から始まりました。ちなみに、私たち本願寺派の各寺院でも住職が退任して新住職が就任した時は、同様に継職法要が勤められます。
 さて、今回の団参は美祢西組の各寺から123名の参加者がありました。そのうち西音寺からは17名が参加し、朝7時半すぎに寺の前から送迎バスに乗って新山口駅へ、そして新幹線で新大阪駅まで行きました。そこから本願寺までは貸切バスに乗って午後1時すぎに到着しました。さっそく参拝の準備を整えて阿弥陀堂前の白洲に整列しました。伝灯奉告法要は毎回、参拝者が多数のため、阿弥陀堂と御影堂とにそれぞれ別れて同時参拝する方式が取られ、私たち美祢西組は阿弥陀堂で法要に臨みました。
 午後2時からの法要は阿弥陀堂と御影堂の両堂で同時進行して始まり、ご門主と前門様とが両堂に別れて出勤され約1時間勤められました。法要の一環として前門様と前裏方様、ご門主とお裏方にお二人のお子様の6人の大谷家ご一家が出勤されて、「伝灯のつどい」が開催されました。ご門主お話し、本願寺中央幼稚園の園児さんの花束贈呈、前門様とご門主それぞれ記録映像の放映、ご門主とお二人のお子様を連れたお裏方のインタビューなどが行なわれました。これはご門主ご一家に親近感を持つのに良い試みだと思いました。そして最後は両堂で『恩徳讃』を斉唱して約1時間半の法要がとどこおりなく終了しました。
 引き続いて、帰敬式を受式された方は御影堂でご門主からお剃刀(おかみそり)を受けました。西音寺からは3名の方が受式され、それ以外の皆さんは宿泊先である本願寺のすぐそばの京都東急ホテルに向かいました。夜は6時からは宴会場でにぎやかに夕食をいただきました。アルコールもふんだんに出て、西音寺のご門徒だけでなく、ふだんお話しする機会のない西組の他寺のご門徒の皆さんとも楽しく歓談できました。

美祢西組団参が本願寺阿弥陀堂前に集合
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阿弥陀堂で法要開始を待つ参拝者
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阿弥陀堂での法要
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左から前裏方様、前門様、ご門主、お裏方と二人のお子様、
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ご門主のお言葉
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阿弥陀堂を退出して、御影堂に移られる大谷家
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阿弥陀堂ご本尊の荘厳
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夕食懇親会
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西音寺グループ
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西音寺グループ
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西音寺グループ
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西音寺グループ
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2016-11-23 : 県外 :
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台湾仏教との交流

 11日から17日まで釋性一師、釋悟寧師、釋真定師という3人の台湾の尼僧の方々が仏教交流の一環として西音寺に来て、一週間ほど滞在されました。台湾仏教の出家者が厳格な戒律を守って日々生活していることは、先日の第22回茶話会でその一端をお話ししていただきました。実際、私もこれまで何度も台湾の寺院にゲストとして泊めていただき、台湾の寺院やそこで集団生活を送っている出家者の姿を見聞きしてきました。
 インドで生まれた仏教は中央アジアから東アジア一帯にかけて伝播しましたが、受容された仏教はそれぞれの国や地域によって歴史・文化・風土などがそれぞれ異なるので、本来の仏教も大きく変容しました。したがって、台湾仏教と日本仏教とはそれぞれ独自の歴史や文化の中で寺院や僧侶の実態はとても違いますが、ここではその詳細を省きます。
 私が不思議なご縁によって台湾の出家者の方と出遇い、長年にわたって親交が続いて来たのも仏教という共通の基盤があるからこそだと思います。仏の教えに学ぶ立場は共に同じであり、私も台湾仏教から多くのことを教えられました。おそらく来日された尼僧の方々も日本仏教について彼我の違いをいろいろ感じ取られたことと思います。
 西音寺では朝、6時に梵鐘を突いたあと、お朝事(朝の勤行)を勤めますが、滞在中は毎朝、私と一緒に揃って本堂でお朝事を勤められました。3人のうち、2人は日本語が流暢ですから『正信偈』の勤行を一緒にしました。食事も一緒にいただきましたから、家内が作った精進料理に私も付き合いました。一週間という短い期間ですから耐えられますが、一生それを続けることは肉も魚も好きな私にはとても無理です。合間を見ては仏教についていろんなことを話し合って、学ぶところが多くありました。せっかく来日されたのですから、県内の観光地をお連れしたかったのですが、あいにく連日、私の仕事が入っていて、萩、角島、元乃隅稲成神社、千畳敷だけしかご案内できなかったのが残念でした。

西音寺玄関にて
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西音寺本堂にて
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萩城址にて
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角島大橋を望む高台にて
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元乃隅稲成神社にて
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元乃隅稲成神社にて
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千畳敷にて
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2016-11-18 : 西音寺 :
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茶話会 (第22回)

 今日は午後2時から久しぶりの「茶話会」を開催しました。今回は今月11日に来日して、現在、西音寺に滞在している3人の台湾の尼僧(釋性一師、釋悟寧師、釋真定師)の方に台湾仏教についてお話ししていただきました。台湾仏教と日本仏教とは同じ仏教と言っても、実態は様々な点で異なっています。そこで、出席者の皆さんに少しでも理解しやすいようにスライドを使ってお話しされました。
 話題のテーマは尼僧になるための出家と、尼僧として守るべき三種の戒を受けることに関してです。題材として3人のうち一人の悟寧師が今から10年前に仏光山(台湾・高雄)で出家し、8年前に光徳寺(高雄・阿蓮)で三壇大戒を受戒した時の写真を、自身がパワーポイントで編集して、プロジェクターで映しながら、日本語に堪能な性一師が解説されました。
 さて、茶話会で話された内容を私なりに要約すれば、以下のようです。台湾仏教は厳格な出家主義が守られているので、OLなどの仕事をして普通の暮らしをしている女性がその生活を一切捨て去って出家する第一歩は剃髪です。まさに女の命ともいわれる髪を切り落として、ツルツル頭になるのは並大抵の決意がなければ出来ないことと思います。
 出家して剃髪が済むと、それからは家族とも別れて寺院での集団生活が始まります。毎日の食事は言うまでもなく肉や魚を食べない精進料理です。朝4時に起床して朝課(早朝の勤行)、作務(掃除などの仕事)、仏教の学習、座禅などの修行を続けます。しばらく寺院で修行をしたのち、次は沙弥尼戒、具足戒(比丘尼戒)、菩薩戒の三戒を受ける三壇大戒の受式を2か月くらいかけて受けます。
 三戒の最後の菩薩戒を受けるには、戒疤というしるし(印)を頭に最低3つは付けます。”もぐさ”のようなものを頭に載せて、線香の火で燃やします。頭がとても熱くなり、火傷(やけど)の跡が永久に残ります。そのしるしが頭にあれば、菩薩戒を受けたことの証明になります。ちなみに、悟寧師は戒疤が6つも頭にあります。
 このように性一師がわかりやすく説明され、そのあと、出席者の皆さんからのいろんな質問に丁寧に答えていただきました。女性は守りべき戒条も多く、また一度還俗すると二度と出家できないなど、男性の出家者より厳格な戒律がありますが、仏の教えを信じ、浄土への往生を願って清淨な毎日を送る生き方に教えられることが多いです。

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托鉢行
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釋悟寧師が菩薩戒を受ける時の戒疤をつける
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三壇大戒を受式した出家者全員の記念写真
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2016-11-15 : 西音寺 :
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お見舞いに信州へ

 長野県松本市の病院に入院されている大学時代の恩師のお見舞いに行って来ました。日曜(6日)の夕方に新幹線に乗って名古屋まで行き、駅近くのホテルに一泊して、翌7日は中央本線で塩尻まで行きました。あらかじめ連絡しておいたので、先生の奥様とご子息とが駅に出迎えておられて、お昼時分に近かったので、まず昼食をすることにしました。信州といえば、「そば(蕎麦)」が食の名物として有名なところですから、信州そばの老舗店に案内していただきました。
 昼食後、先生の自坊である光輪寺(東筑摩郡朝日村)が近いので、先にお寺に寄ることになりました。光輪寺は真言宗高野山派のお寺ですが、寺伝によれば、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)によって薬師如来のお堂(薬師堂)が建てられ、後にそれを守るお寺として開創されたということです。現在の薬師堂は江戸時代に建てられたもので、光輪寺から100mくらい離れたところにあります。本尊の薬師如来は平安期もしくは鎌倉期の作と推定されているそうです。お堂の中には薬師如来の他に、脇侍の日光・月光菩薩、四天王像、十二神将などの諸仏が安置されているそうですが、数年に一度の御開帳以外の時は閉じられているそうです。
 真言宗と私たちの浄土真宗とは同じ仏教ですが、開祖や本尊を始めとして様々な違いがあり、久しぶりに真言宗の本堂にお参りしました。ご子息から本堂内をいろいろ説明していだだき、宗派のちがいで本堂の内陣、外陣の様式が大きく異ることを改めて実感しました。
 庫裡でお茶をよばれ、薬師堂を拝観したあと、先生のお見舞いに松本市民病院に行きました。長年、高野山大学の教授を勤めた功績で、この秋の叙勲を受けられたということで、お祝いとお見舞を兼ねた先客が数人来られていました。久しぶりに先生にお会いして、お元気そうであったことに安心しました。先生はお寺のことはご子息に任せて、今も専門のインド・チベット仏教の研究を続けておられる話をお伺いして、衰えることの先生の学問一筋の生き方に感銘を受けました。病院を辞して、駅まで送っていただく途中に、りんご畑がアチラコチラに見られたので、ちょっと寄ってみました。ちょうど今、品種の「ふじ」が収穫期ということで、たわわに実った真っ赤なりんごが晩秋の光に照り輝いていました。

塩尻駅
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そば処「もえぎ野」
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光輪寺
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紅葉に彩られた光輪寺
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光輪寺参道脇の六地蔵
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光輪寺薬師堂
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薬師堂の向拝(ごはい)
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収穫中のりんご畑
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たわわに実ったりんご畑
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2016-11-09 : 県外 :
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プロフィール

Author:西音寺住職
住所:山口県美祢市大嶺町奥分2058  浄土真宗本願寺派 西音寺  
電話 0837-52-0415

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