宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

宝林廟の桜満開

 今春のソメイヨシノ桜は少し早く満開を迎えたようです。今の時期は車で市内を走ると、アチラコチラで桜が咲いているのに気づきます。普段わからなくても、薄いピンク色の花が木を覆うように咲くと、ひと目で桜だとわかります。市内に桜がたくさん植えられているのは、「市の花」が桜であるのと関係あるのかどうか、市内には市役所そばの厚狭川沿いの桜並木を始めとして桜の名所が何か所かあります。
 毎年、4月の第一土曜日に「みね桜まつり」が開催され、今年は7日に当たりますが、その頃にはおそらく葉桜になっているのではないでしょうか。わが麦川地区の名所は、以前紹介した麦川川沿いの麦川小学校の桜並木が見事です。それに比べて、宝林廟の桜は見劣りしますが、昨日ごろ満開になったようですから、今日は写真を撮りに行きました。
 宝林廟のソメイヨシノ桜は、昭和45年に炭鉱が閉山した後、山陽無煙の建物が撤去されて荒れていた高事務所跡地に、町内会が苗木を20本あまり植えたということです。平成22年(2010)の夏、宝林廟が完成したあと、町内の方が広い境内地にアジサイやツツジなどの花木を植えたり、花壇を作っていろんな草花を育てたりして、年ごとにきれいに整備されて行きました。
 その一環として桜の苗木も植えたのですが、鹿が山から降りて来て細い幹を折ってしまい、覚えているだけでも八重桜2本、御衣黄桜2本、陽光桜1本、ソメイヨシノ1本がダメになりました。河津桜だけは被害が少なかったので生き延びました。そうしたこともあって、鹿の被害に会わない程度の大きさで、てんぐ巣病がつきにくい枝垂れ桜などの品種を今後とも植えていきます。

参道口から
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参道途中から
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参道途中から
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上方から境内地を望む。手前の若葉の出た木は花が終わった河津桜です。
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7年前の春に植えた仙台八重枝垂れ(八重紅枝垂れ)
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昨年の秋に植えたエドヒガン系の枝垂れ桜
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2018-04-02 : 宝林廟境内 :
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ハクモクレンの開花

 今日で3月も終わり、明日からもう4月に入ります。この季節に見逃せない、私の好きな花はハクモクレン(白木蓮)です。寺の境内に本堂の前と納骨堂の前の2本があります。本堂の前のハクモクレンは私の幼少期にすでに成木だった記憶があるので、相当に年数の経った木と思われます。それに比べて、納骨堂の前のは48年前に納骨堂が建てられた以降に植えられたものですから、幹の木肌そのものが歴然と違っています。
 ハクモクレンの花の美しさは気品を漂わせた純白の花びらにあります。しかし、その白磁のような美しさは「美人薄命」のことばではないが、せいぜい3日くらいしか持続しません。すぐに純白の花びらに茶色の染みが現れてに変色し、そのうちにパラパラと散ってしまいます。注意して観察していないと、一瞬の盛りを見逃してしまうような短命な花です。
 「短命」で思い出したのが、黒澤明作品の『生きる』(昭和27年公開)という映画で、主人公が夜に公園でブランコをこぎながら、『ゴンドラの唄』を歌う有名なシーンがあります。「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」という歌詞は印象的です。

本堂前のハクモクレン
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納骨堂前のハクモクレン
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ハクモクレン
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2018-03-31 : 西音寺 :
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宝林廟の春

 先日21日のお彼岸の中日は冷たい雨が降り続きましたが、翌日から天気が次第に回復して、ここ数日間はすっかり春の暖かい陽気が続いています。参道口から上った坂道の左右に町内の方が整備された花壇があり、季節ごとに花が植えられています。今はパンジー、ラッパスイセン、クリスマスローズなどの花がきれいに咲いています。レンギョウの細い枝がたくさん伸びて、黄色い花を咲かせています。
 以前、本ブログで紹介した水路のそばのフキノトウの花も咲きました。例年なら、お彼岸にはほぼ満開に咲く河津桜が、今年は少し遅れて一昨日あたりに満開になったようです。河津桜は山桜と同じように花と葉が同時に開くので、今日見ると、ピンク色の花が薄緑色の若葉とがコントラストをなして満開でした。河津桜の近くに一昨年、植えた一重咲きの枝垂れ桜がちょうど満開になっていました。宝林廟の境内には4本の枝垂れ桜が植えてありますが、一番早い満開です。
 また、参道の両側にあるソメイヨシノも七分咲きで明後日ごろには満開になるでしょうから、写真はその時に載せたいと思います。近所の会社に勤めている社員の方が昼休みに散歩がてら宝林廟に上がって来るのとたまたま出会ったので少しお話をしました。境内地には休憩場所もあるので、ソメイヨシノが満開になれば、参拝者だけでなく一般の方にとっても花見にとても良い場所だと思います。

参道の途中に咲くレンギョウ
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フキノトウの花
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例年より遅かった河津桜が満開
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河津桜のアップ
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一昨年植えた枝垂れ桜が満開
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2018-03-28 : 宝林廟境内 :
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春季彼岸の中日(2018)

 今日は春のお彼岸の中日でした。寒の戻りで冬に逆戻りし、しかも数日前からの雨が止むことなく、今日も一日中降り続いたあいにくの天気でした。恒例の行事として今朝は9時から宝林廟の墓前で読経する予定でしたが、雨天のため本堂で法要を勤めました。平成22年(2010)の9月、宝林廟の供用開始以来、年3回ずつ今日のお彼岸まで通算23回の宝林廟法要を勤めましたが、本堂での法要は今回が初めてでした。
 今朝、6時の梵鐘を撞いたあと、宝林廟参道上り口に建てられている石柱に、「本日の法要は寺の本堂で執り行います」という掲示板を設置したので、8時半ころから参拝者の皆さんが次々と本堂に入って来られました。開始まで少し時間があったので、まず皆さんにお茶を一服飲んでいただきました。そして定刻になったので、参拝者全員にお経本を配布して、一緒に『阿弥陀経』を読誦し、最後に「真宗宗歌」を歌いました。
 宝林廟の現場での法要は、お茶の接待はないし、お経本の配布や「真宗宗歌」を歌うこともしません。でも、そうした違いがあるものの、やはり宝林廟の墓前での法要が本来のやり方ですから、次回8月のお盆の法要は真夏の空の下で勤めることが出来ればと思います。ついでながら、ニュースでは各地の河津桜の満開がだいぶ前から伝えられていますが、宝林廟の河津桜は寒さのせいか今年はまだ一輪の開花もありません。中日は寺の境内地にある納骨堂の法要と午後からの彼岸会法座(講師 井上龍秀師)も勤めて、一日の行事が終わりました。

法要後の宝林廟参拝者の集合写真(西音寺本堂にて)
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2018-03-21 : 宝林廟 :
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イチョウの枝打ち

 今日は伐採業者さんに依頼して境内のイチョウ(公孫樹)の枝打ちをしていただきました。このイチョウはメス(雌木)で、樹齢はよくわかりませんが、地上1mの幹周りが2mあまりあります。樹高も15m以上はゆうにあると思いますが、正確にはわかりません。以前の本ブログに載せたように、秋には黄金色の葉がとても美しいので、出来れば枝打ちをしたくないのですが、横枝が本堂の屋根に接するほど伸びて、放っておくと屋根を傷める可能性があるので、この際すべての枝を払ってもらうことにしました。
 昔はもう1本同じくらいの大きさのオス(雄木)が本堂のすぐそばに立っていたのですが、20年余り前に本堂の瓦を葺き替えた際、切り倒して撤去しました。同時にメスのイチョウは幹の頭部を切って上に伸びるのを抑え、脇枝もすべて切ったので、今回はそれ以来の枝打ちです。オスの木がなくなったら、それ以前は秋にたくさんのギンナンの実が落ちて、始末に困るほどでしたが、実がならなくなりました。
 業者さんは朝8時すぎから高所作業車を搬入し、バケットに乗り込んで一人で操縦しながら、下から順にチェーンソーで枝を切り落として行きました。木の伐採には慣れているので、手際よく次々と切り落として行き、正午前にはすべての枝がなくなりました。
 この際、ついでに古い経蔵の前にあるダイオウマツ(大王松)の太い幹も1本取り除いてもらいました。当初は根本から切り倒すつもりだったのですが、父が造園業者さんに頼んで、他所から移植した木ですから残すことにしました。作業が終わったあと、枝のない幹だけのイチョウを見ると、何とも不格好な姿になりました。そのうち新しい枝が出てきて、数年うちには違う姿のイチョウが見られることでしょう。ただ、以前本ブログに載せたような保育園の園児さんたちが黄葉したイチョウの落ち葉で遊ぶ様子は今年は見られないのが残念です。

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2018-03-15 : 西音寺 :
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新聞記事 「肉食妻帯は僧の堕落?」

  昨日の朝日新聞文化欄に 「肉食妻帯は僧の堕落?」という見出しの記事があったので紹介し、私なりの説明をしてみたいと思います。「肉食妻帯(にくじきさいたい)」とは、僧が肉を食べ、妻をめとることを意味するが、いわゆる「生臭(なまぐさ)」と称する肉や魚などを食べ、結婚しても良いのだろうか、それは堕落ではないのか、という僧侶に対する疑問が本記事のテーマです。
 仏教の歴史はインドでブッダ(釈尊)が仏教を開いて以来およそ2,500年、日本に仏教が伝来してから約1500年という長い歴史を有しています。その間、仏教は発祥国のインドから東アジア、東南アジアの諸国へと伝播し、その受容の様態はそれぞれに異なっています。とりわけ日本の仏教は、僧侶の肉食妻帯が他の仏教国に見られない大きな特徴といえます。
 肉食妻帯の僧侶といえば、鎌倉時代に活躍し、私たち浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が有名です。当時の僧侶は家を出て、家族と離れて仏道に入り、厳格な戒律を守って修行をする出家者でした。聖人も出家して比叡山で20年にわたって厳しい修行を続けた末に山を下り、法然上人の弟子になって浄土教の教えに導かれました。その後、非道徳で、伝統的な仏教の秩序を乱すと非難されたにもかかわらず、聖人は恵信尼(えしんに)を娶り、子どもをもうけ、生臭を食べて一般民衆と同じように在家者として仏の道を歩まれました。このように聖人が在家僧として生涯を貫かれたのは、出家修行や身分・家柄などに一切関係なく、誰でも阿彌陀仏の本願を信じる者は、ただ念仏を称えるだけで救われることを確信されたからに他なりません。
 出家せず、無戒の在家主義が浄土真宗の宗祖以来の伝統です。他方、出家し受戒する出家主義を旨とした他の宗派も明治政府が「肉食妻帯勝手たるべし」という法令(明治5年・1872)を出して以来、戒律を守り、出家主義を貫く一部の僧侶を除いて、すべての宗派の僧侶が肉食妻帯し、世間一般の人と同じ生き方をしているのが日本の僧侶です。このような僧侶が堕落していると言えるのかどうか、それは僧侶一人ひとりの生き様が決めるのではないかと思います。 

『朝日新聞』平成30年3月4日付け
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(上掲記事の本文を以下に転載)

古代インド。俗世から離れた出家者は、独特の規律で生きていた 。人々は出家者に食べ物などを施して功徳を積み、出家者は施されたものを頂いた。肉も食べた。諸説あるが、お釈迦さまが最後に食べたのは豚肉料理だったとも伝わる。出家者が食べなかった肉は、国王が所有する象や卑しい動物と考えられた犬だった。
  東京大大学院の蓑輪顕量教授(インド哲学・仏教学)によると、仏教には、殺しや飲酒など、してはいけない五戒があるが、肉食は含まれていない。
  時代が下り、一般にも輪廻(りんね)思想が広まった。先祖が動物に生まれ変わったかもしれない。その肉を食べられるのか。さらに、肉を食べるには生き物を殺さなければならず、殺生を禁ずる五戒に背く。そんな考え方が広がり、3~4世紀には肉を食べなくなった。異性とは、よこしまな関係が禁止されていた。

6世紀、仏教が日本に伝わった。肉は薬として食べられるだけだった。だが平安時代、出家した貴族が妻を持ち、子孫を残すようになった。神と仏が結びつく神仏習合も影響した。神宮寺という寺が神社にできたが、神社のありように影響され、その住職が結婚していた可能性も考えられる。蓑輪さんは「貴族の出家と神仏習合が、日本の僧侶が妻を持つ基礎になったのではないか」と言う。
  独特な発展をとげた日本仏教の特徴も大きい。古代インドと違い、日本では、世俗のなかで普通の人たちと暮らしながら、仏道を歩む出家者がいた。
  その1人が「非僧非俗」を生きた親鸞(1173~1262)だ。29歳で比叡山を下り、浄土宗の開祖・法然に弟子入りした。その後、結婚し、子どもをもうけた。親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派の総合研究所の満井秀城副所長は「妻帯を公言した初めての僧侶」と言う。
  結婚した理由に法然の言葉が考えられる。「念仏をとなえることが第一。結婚しないと念仏をとなえにくいのであれば妻を迎えなさい」という内容だ。親鸞はこの教えを実践し、浄土真宗の僧侶は肉食妻帯をしてきた。他宗からは非道徳的、伝統的な秩序を乱すと批判された。

  転機は1872(明治5)年。明治政府が太政官布告という法令を出した。「肉食妻帯勝手たるべし」。僧侶が肉を食べるのも結婚するのも、ご自由に――。そんな内容だ。
  明治政府は欧米にならって近代化をはかり、神道の国教化を進めた。68年に神仏判然令を出し、それまで結びついていた神と仏を分けた。仏像やお堂などを壊す廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が全国に広まった。仏教の力がさらに弱まったのが肉食妻帯だ。浄土真宗以外の僧侶も結婚するようになった。世俗とは違う価値観で生きていた僧侶が普通の人たちと同じような生活になることで、聖性が薄まっていった。
  明治から150年の今も禅宗の臨済宗では、結婚した僧侶はトップの管長になれない。だが、大半の寺は世襲だ。
  満井さんは「僧侶が地域に根づくことで、地域の人に安心感を与えられる」と世襲のメリットを挙げる。一方、安住することで向上心に欠けるというマイナス面もある。「僧侶が肉食妻帯のように同じ生活形態に身を置き、同じ目線を持って人々の苦に向きあうことが大切だ」
 (岡田匠)

(コラム) 花開いた「半僧半俗」 (宗教学者・釈徹宗さん)
  日本仏教の特徴は、世俗にあって仏道を歩むことです。僧侶が普通に社会生活を営み、仏教をわかりやすく説いてきました。一方、世俗から離れるという本来の仏教が持つ出世間性は薄まりました。でもなんとか続いてきた。この微妙なバランスが、明治政府の「肉食妻帯勝手たるべし」で崩れたと言えます。
  半僧半俗のような独特な日本仏教を「在家中心の仏教」とみれば相当、花開いたと言えます。死と向きあい、悲しみに寄り添い、多くの文化を生みました。出家者が身を清潔に保つことから歯磨きも入浴も仏教がもたらしたと言われます。ローカリズム仏教と呼んでいますが、地域ごと寺を支えてきました。地域コミュニティーが崩れ、日本仏教は衰退したと思われがちですが、むしろ可能性に満ちている。若い僧侶を中心に、地縁血縁に頼らず公共性の高い取り組みが広まっています。
  日本仏教には密教、念仏、禅、法華経、華厳経など様々な系統が途切れることなく続いています。世界でも、まれです。仏縁豊かな日本仏教をたどって頂きたいと思います。
2018-03-05 : 新聞・書籍・TV :
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春を探して

 今日は全国的に春の陽気になったようで、当地も朝から暖かい日差しに恵まれた良い天気になりました。寺の境内を歩いて春を探しに行きました。ロウバイが甘い香りを漂わせて満開になっていました。また境内地の端にある納骨堂の前には梅の老木やハクモクレン(白木蓮)の木々があり、梅の木は満開ではないのですが、清楚な白い花が開いていました。ハクモクレンは蕾が少し膨らんできました。
 ついでに宝林廟にも上がって見ました。毎年フキノトウ(蕗の薹)が出る所に行って見たところ、数は少ないものの、頭をのぞかせていました。これからたくさん出てくるはずです。このフキノトウの花が開くのは3月下旬ころです。また宝林廟には7年前に植えた、早咲きで有名な河津桜が1本あります。ニュースによれば、県内ではすでにピンク色の花が咲いて、花見客が訪れているということですが、当地の河津桜は例年、春の彼岸ころにようやく咲くので、まだ固い蕾の状態でした。
 宝林廟で最も多く植えられているのがアジサイです。このアジサイは町内の方が毎年少しずつ植栽して増えていったもので、今では境内地全体にいろんなアジサイが見られます。とりわけ参道の周辺はアジサイ坂と呼ぶのにふさわしいほどになりました。すでに葉芽はたくさん出ていますので、もうじきみずみずしい葉が開くでしょう。このまま一気に春になればと思うのですが、まだ3月も上旬ですから寒の戻りがあるでしょう。

満開のロウバイ(西音寺境内)
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納骨堂前の梅が開花(西音寺境内)
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納骨堂前のハクモクレンの蕾(西音寺境内)
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頭をのかせたフキノトウ(宝林廟)
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河津桜の蕾(宝林廟)
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アジサイの葉芽(宝林廟)
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2018-03-04 : 西音寺 :
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東日本大震災の話を聞く会

 昨夜7時から善照寺(豊北町阿川)で開催された「東日本大震災の話を聞こう」という公開講座に友人と一緒に出席しました。お話をされたのは岩手県大船渡市在住で印刷・撮影業を経営している村田友裕さんです。
 村田さんはもうじき丸7年になる2011(平成23)年3月11日の東日本大震災が発生した当時、大船渡の自宅を兼ねた事務所にいました。地震の揺れの大きさに、津波が来ることを直感した村田さんはカメラ一台だけを持って奥さんと一緒に、ただちに近くの高台にある加茂神社の境内に避難したそうです。そのあと間もなくして襲って来た大津波によって、多額の借り入れローンが残っていた村田さんの自宅兼事務所は全壊したということです。
 村田さんのお話は大船渡湾から大船渡市内に向かって襲って来た大津波で、密集している住宅や工場が壊滅的被害を受けた一部始終を高台の神社から目撃した生々しい体験談でした。お話と合わせて村田さんが津波襲来当時とその後撮影された数々の震災の写真と大船渡市で「かもめの玉子」という銘菓を製造販売しているさいとう製菓の社長さんが撮影した動画が映写されました。
 その動画は大震災の翌年の2012年に設立された「大船渡津波津波伝承館」に収蔵され、YouTubeでも見られるので下に載せておきました。また会場の一角には、村田さんが撮影した震災の写真がパネル展示され、平成26年(2014)に出版された、大船渡、陸前高田市における東日本大震災記録写真集『気仙の惨状』(特別版、初版は平成23年7月)が展示即売されていたので、購入しました。

善照寺本堂
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さいとう製菓の社長さんが撮影した動画
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村田友裕さんのお話
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村田友裕さんのお話を聞く来場者
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会場の写真展
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大船渡津波伝承館の提供動画 (YouTube)


村田友裕氏撮影 『気仙の惨状ー東日本大震災、大船渡、陸前高田市記録写真集ー』
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2018-02-26 : 山口県 :
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麦川川改修工事

 今冬の厳しい寒さも2月の後半に入ると、日中の日差しに春が感じさられるようになりました。「光の春」という言葉があります。一年のうちで最も昼の時間が短い冬至を過ぎてから2ヶ月近くになると、朝6時の梵鐘を撞く時間には、まだ夜明けは感じられないのですが、夕方6時の梵鐘のころは、日暮れが伸びたなあ、とはっきりわかるようになりました。気温の上昇よりも、日中の光の強さと日暮れが遅くなったことから、春が日に日に近づいていると感じられます。
 さて、昨年10月から寺の前を流れる「麦川川(むぎがわがわ)」の川幅を拡張する改修工事が始まり、ようやく全体の半分ほどの改修が終わったようです。この麦川川の改修工事に関して、2年半前に橋の付け替え工事が行われたことを本ブログで報告しました。川幅を拡張するには、川にそって走っている県道の位置を宇部サンド工業側にずらす必要があったため、その一環で橋の付け替え工事が行われました。県道の改修工事が終わって、ようやく当初の目的である川幅の拡張工事に入ったということです。
 平成22年夏の豪雨で、麦川地区が床上浸水被害を被ってから8年近くになります。近年は全国的にゲリラ豪雨の被害が多発しているので、もともと狭隘な川幅をわずかばかりの拡幅工事で安心できるとはとても思えません。とは言っても、一日も早く残りの工事を完了してほしいものです。

麦川川の拡幅工事が終わった部分
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改修工事が終わった県道38号線
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積んだ土嚢が見える所から先が今後の工事予定部分
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拡幅工事完了後に舗装される県道
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2018-02-20 : 麦川地区 :
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新聞記事 『美祢で貴重な化石発見』

 美祢市で2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、国内で初めて発見されたという記事が本日の新聞各紙に掲載されたので紹介します。このニュースは昨日のNHKや民放テレビ各局でも報道されていたので、大変貴重な発見だということでしょう。
 この発見の詳細については、「山口新聞」の記事を下に転載したので参照してください。また、読売、朝日、毎日の各紙の記事も合わせて載せておきます。

『山口新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時10分53秒修正
(上掲の「山口新聞」記事の本文を以下に転載)

 美祢市は13日、2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、同市にある約2億3千万年前の地層から見つかったと発表した。同類の化石発見は国内で初めてで、衰退期の分布を知る上で重要な手掛かりになるという。
 化石は2010年5月に同市大嶺町奥畑の市化石採集場で見つかった。採集体験に訪れていた周南市の建設会社社長、原田基也さん(60)が家族、親族とともに歯と顔の骨の一部の化石を発見し、市に寄贈した。歯冠部の大きさは3センチほど。市から調査の依頼を受けた愛媛大大学院理工学研究科の楠橋直助教が歯の形や位置などからディキノドン類と判断した。
 楠橋助教らによると、ディキノドン類の衰退期の化石の発見は世界的に珍しく、アルゼンチンやアメリカなどで見つかってはいるが、東アジアでは初めて。陸上の脊椎動物では日本最古の発見という。楠橋助教は「衰退期のディキノドン類がどのように分布していたかを知るための重要な手掛かりとなる」と話している。
 化石を”掘り当てた“原田さんは「化石のまち美祢市にふさわしい発見に携われたことをうれしく思う」と笑顔。西岡晃市長は「今回の発見が美祢市の自然史に対する理解、ジオパーク活動の活性化につながり、市民の皆さんのさらなる郷土への愛着醸成につながることを願っている」と期待を込めた。
 化石について市教委は、「できるだけ早い時期」に市歴史民俗資料館で展示する予定。市化石採集場は追加調査のため、11日から一時閉鎖している。
 同類は3億年前から2億年前に生息していたとされる植物食の動物。太い犬歯状の歯が特徴で、世界的に見ると現在までに体長がネコからカバほどの大きさだったとみられる数十種の化石が見つかっている。

『読売新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時09分50秒修正

『朝日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時33分17秒修正

『毎日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時08分30秒修正
2018-02-14 : 新聞・書籍・TV :
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新聞記事 『これからの弔い』

 今日の朝日新聞に『これからの弔い』という見出し(表題)で、「高齢化社会は、多死社会の到来でもあります。核家族化や過疎化が進み、家族や地域のつながりが薄れました。これまでのような葬儀や墓のあり方が成り立たなくなり、寺や僧侶の存在意義も問われています。これからの弔いは、どうなっていくのでしょうか。」という問いについて、小谷みどりさん(第一生命経済研究所主席研究員)が急激に変化している現代社会において葬式や墓をめぐって生じている様々な問題について事例をあげて述べています。
 そして、それに答えるかたちで、僧侶の松本紹圭さんは葬儀や墓といった死者供養も世相を反映して変わっていくのは当然であるけれど、葬儀や法事がなぜ大切な儀式であるか、墓の持つ意味は何かについて述べ、それに関わる僧侶や寺のこれからのあり方として、存在価値が認められ、気軽に相談できる「かかりつけの寺や僧侶」になれるようにと提言しています。この新聞記事の詳細は下記に転載していますのでお読みください。、

『朝日新聞』 平成30年1月20日付け
朝日(18 1 22)
上掲記事の本文を以下に転載します。

「従来の葬式・墓、意味が希薄に」  
           小谷みどりさん(第 一生命経済研究所主席研究員)
 終活ブームです。家族に迷惑をかけたくないと、自分の葬送を準備する人が増えましたが、よく考えるとおかしな社会です。昔は自分の死は、残された家族が考え、子どもがいなくても町内の人が総出で葬式をしてくれた。社会は手間のかけあいですが、手間が迷惑かどうかは人間関係によります。迷惑をかけたくないということは、相手との信頼関係がないということです。死者と残される人の関係が大きく変わってきました。
 背景にあるのは、地域という横のつながりの崩壊、家族という縦のつながりの希薄化です。
 核家族化が進む一方、死亡年齢は高齢化しています。1980年まで65歳以上の半分は3世代同居でした。近所づきあいがあり、死亡年齢も高くありません。今は、死亡した男性のうち80歳以上が半数、女性にいたっては90歳以上が4割近くもいます。子どもや親戚、友人も高齢のうえ、残される人自体も少ないのです。
 孤独な死を迎える人もさらに増えるでしょう。50歳の時点で1回も結婚したことのない割合(生涯未婚率)も増えています。2015年の統計で男性は23%に上ります。厚生労働省の調査では、65歳以上の一人暮らしの男性のうち6人に1人は2週間に1回も会話しません。親族は疎遠で、遺骨の受け取りすら拒否されます。
     
 社会が急激に変化していくなか、葬式や墓を巡る様々な問題が顕在化しています。
 葬式や法事を仏式でするのは日本の慣習でしたが、葬式や法事が変わった今、信仰がない人には、お布施は不透明で高いと感じられます。明瞭廉価な料金でのインターネットによる派遣僧侶も登場しています。これまでのように経営基盤を葬儀や墓に頼っているだけでは寺や僧侶は不要になります。
 そもそも葬式には、死者をあの世に送る宗教的な葬儀式と、死者との告別式とがありますが、宗教儀式の意味は薄れています。バブル期には多くの僧侶を呼び、長い戒名をつけ、高いお布施を払っていましたが、信仰心より見えと世間体の表れでした。今は家族葬のような小規模化が進んでいます。直接火葬場に行く直葬など葬儀をしない人もいます。
 一方、親の意思で葬式をしなかった遺族が、親の死を頭で理解しても五臓六腑(ごぞうろっぷ)で受け入れられない、という例もあります。
 墓を巡っては、故郷の墓を閉じる墓じまい、近くの寺や公営墓地に移す墓の引っ越しも盛んです。その際、離檀料(りだんりょう)と称して金銭を要求する寺があります。金額の根拠が不明なのが問題です。都内の寺に墓のある人は、遺骨20人分で1千万円を請求されました。
 無縁墓の増加も深刻です。墓地の3割程度が無縁化している自治体もあります。草ボウボウの墓がたくさん見られます。
 家を母体にした墓石から散骨、納骨堂、樹木葬の墓など多様化しています。姑(しゅうとめ)と同じ墓は嫌という人もいます。共通するのは次世代への継承を前提にしていないことです。墓は生きた証しや死後の住みかと捉える人が増えています。
 数々の問題は、弔いが無形化していることを示しています。
     
 日本人は二つの死生観を持っています。「死んだら無になる」と考えるのは、自分が死んだ場合。大切な人が死んでも無になるとは思いません。「千の風になって」でも、風になって見守ってくれると考える。宗教を信じない、信仰はないと言いながら、大切な人が無になるとは思っていません。
 団塊の世代の多死社会が本格化し、経験したことのない時代が目の前にやって来ています。誰に死後を託すのか。どう生き、どう逝きたいのか。一人ひとりに突きつけられた問いです。

「人生の苦に『かかりつけ寺』を」  
            松本紹圭さん(僧侶)
 仏教は歴史があまりに長く、寺や僧侶の本来的な存在意義が見失われがちです。社会や家族のあり方が加速度的に変わり、葬儀や墓といった死者供養でも今までの型は維持できません。今こそ、より深く原点に返るべきです。しがみついているものを手放し、より大きな視点で見る必要があります。
 寺や住職のあり方を見つめ直す「未来の住職塾」を開いています。卒業生は約500人。自分の寺を守れるのか、次世代にどうバトンを渡すのか。このままだと寺は若者にとって負の遺産になります。住職塾では寺が何のためにあるのか考え、檀家(だんか)や住民と率直に話す機会を持ちます。だんだんと地域の抱える苦が見えてきます。
 葬儀や法事だけすればいいという今までの寺のあり方が単純すぎました。価値観、経済力、家族構成など多様性が増すなかで、寺との関係がしっくりきていない人たちに、ちょうどいい距離感で関係を持つことができる柔軟な仕組みを示すべきです。ポスト檀家制度時代における寺の新しい会員制度のデザインが求められています。
 この世は諸行無常です。一切は変化すると、仏教自身が言っています。当然、葬儀も墓も世相を反映して変わっていきます。
 葬儀や墓はいらないと言う年配者が増えていますが、かつてのお年寄り世代は「死では終わらない命の物語」を持っていました。浄土、天国、あの世、来世、極楽……。最近の若い世代では再び死後の物語を信じる人が増えているのが面白い傾向です。
     
 いま個人的に重視しているのは「トランジション(遷移、変わり目)」というキーワードです。誕生、受験、就職、結婚、病気、そして死。長寿時代の人生はさまざまな変化に満ちています。
 人生をこうしたいと願っても思い通りにならないことを、仏教では苦と言います。トランジションのタイミングは、自らの苦を見つめ、苦に学び、苦を抱きつつ、それにとらわれない生き方へと転換するきっかけを与えてくれます。最たるものが近しい人の死です。
 遺族は何を失うのでしょうか。人生相談に来た女性の話です。仲の良かった母が急死した。彼女は、母という存在だけでなく、母といたときに起こってきた私自身の感情や考え、行動も失います。母の死によって「私の一部」も失うのです。その意味で、亡き人の葬儀は私自身の葬儀でもあるのです。法事も墓もそう。亡き人を追慕し、亡き人を失った新しい私を少しずつ受容するプロセスです。葬儀なし、墓なしは、そのような大切な機会を奪っています。葬儀は、残された人にこそ重要です。
     
 インターネットで僧侶派遣を頼む人が増えています。お経をあげてくれれば誰でもいいなら僧侶の将来はAIロボットに取って代わられるでしょう。戒律は破らず、お経も完璧。合理性なら人間に勝ち目はありません。しかし、その時代には「人間とは何か」という根本が問われます。合理性で解決できない領域を扱うのが宗教であり、僧侶が根本の問いを持ち続ける限り、役割はあると思います。
 経済的合理性という観点からも僧侶派遣は、やや疑問です。お布施を定額にして明朗会計をうたっていますが、中間業者が入れば余分なコストが生まれます。また、短い間に利益をめざす企業の論理は、死を受け入れるという長期のプロセスを扱うのに適しません。
 顔の見えない派遣に頼る前に、まずは近くの寺に相談してはどうでしょうか。ホームページを工夫してコミュニケーションの入り口を開いているので、葬儀や法事を直接頼める寺が増えています。あなたにぴったりの「かかりつけのお坊さん」を見つけて下さい。
 (聞き手・いずれも岡田匠)
2018-01-20 : 新聞・書籍・TV :
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通夜布教 (西本願寺)

 浄土真宗本願寺派では宗祖・親鸞聖人のご命日の1月16日(新暦)に合わせて、1月9日から16日まで本山・西本願寺で「御正忌報恩講」法要が勤められます。この報恩講は1263年(弘長2年)に往生された親鸞聖人の33回忌にあたり、その遺徳を讚仰するため、本願寺第3世の覚如上人(1271-1351)が『報恩講私記』を作って報恩講を営み、今日に至るまで毎年、勤められています。
 昨夜は本願寺派布教使が交代で夜通し法話をする「通夜布教」が聞法会館(西本願寺)で行われたので、インターネットを通して聴聞しました。通夜というのは、もともと故人のこの世での最後の夜を遺族、親族らが集まって、葬儀の準備や故人のことを語り合いながら一夜を共に過ごすことでした。しかしながら、今では葬儀に準じた前夜葬のような儀式が行われるようになりました。
 それはさておき、通夜布教は親鸞聖人が亡くなられる前夜に、門弟や縁者らが集まって夜を明かしたことに始まると言われます。そのため毎年15日の夜から16日の朝まで、一人40分の持ち時間で、13人の布教使が法話をされます。私はネットで7人の法話を午前1時前まで聴聞しました。

開会前の会場
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西原祐治師 (東京教区 西方寺)
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日置宗明師 (東海教区 信明寺)
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冬野正隆師 (奈良教区 正福寺)
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岡智徳師 (山口教区 妙久寺)
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中山信之師 (福岡教区 光妙寺)
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水之江陽子師 (大分教区 法林寺)
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山崎教真師 (東北教区 浄泉寺)
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2018-01-16 : 県外 :
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ロウバイの開花

 寺の庫裏のそばにロウバイ(蝋梅)の木があります。ふと見たら、花の咲いている枝が目に入りました。ロウバイの種類には、福寿ロウバイ、満月ロウバイ、実生ロウバイ、素心ロウバイなどがあり、黄色い花の形が微妙に違うようです。下の写真からこのロウバイは素心ロウバイではないだろうかと思うのですが、確かなことはわかりません。
 寒い冬のこの時期に甘い香りを漂わせるロウバイは中国では梅、水仙、山茶花と共に「雪中四友」とされていますが、山茶花の代わりに椿を入れた四種を「雪中四花」ともいうそうです。雪の中でも凛として花を咲かせるからでしょう。いずれにしても、花の少ない冬にロウバイは生花や茶花として使われ、我が家でも玄関に生けられています。まだ蕾の状態のものが多いですが、寒さに負けずこれから次々と開花していくことでしょう。

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2018-01-15 : 西音寺 :
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今季一番の寒波

 一昨日の10日は夜半から降り続いた雪で朝6時の梵鐘を撞くころは5センチ近く積もっていました。昨年12月17日以来の今冬2度目の雪でした。水分を含んだベタ雪でしたから、屋根に積もった雪も午前中からずるずるとなだれ落ちてしまって、雪景色を撮影する暇がありませんでした。昨日の新聞では美祢市で19センチの積雪と出ていましたが、それはおそらく秋吉台あたりの観測データであって、当地は5センチぐらいのベタ雪でしたから、道路の通行は何の支障もありませんでした。
 ところが、今朝は一昨日のベタ雪と違って、サラサラとした雪がしんしんと降り続いて、夜が明けると一面の白銀の世界が広がっていました。今冬3度目の雪です。今朝のテレビニュースでは今季一番の寒波によって北海道や北陸地方では記録的な大雪が降って、列車や車が長時間立ち往生したと言っていました。幸いにも当地の積雪は5~6センチくらいでたいしたことはなかったのですが、雪が溶けていない道路はスノータイヤを付けてない私の車で走るのは躊躇されましたが、お参りがあったので乗りました。
 下の写真は午前10時すぎに、宝林廟に上がって撮りました。近年の地球温暖化のせいか、昔に比べて雪が少なくなった当地では冬季に3~4回しか見られないモノクロームの世界が広がっていました。

宝林廟の参道口
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宝林廟
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宝林廟
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宝林廟の境内地全体を望む
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宝林廟境内地
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宝林廟の休憩所
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西音寺
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2018-01-12 : 宝林廟境内 :
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新年のご挨拶

     皆さまには、健やかに新年をお迎えのことと思います。
   
    今年もよろしくお願いします。


                          平成30年(2018年)元日

 大晦日の夜は除夜会が終わったあと午前2時前に寝て、穏やかな新年の朝を迎えました。昨年の秋は新しい山門の落慶法要を勤め、また実行委員として大嶺第二中学の同級会と石村勝宣絵画展を行って、忙しい中にも充実した日々を送ることができました。おかげさまで、連れ合い共々、健康に新しい年が迎えられたことは、何物にも代えがたいありがたいことと感謝しています。
 本ブログは本来、永代供養墓の宝林廟をネットで紹介する目的で、平成24年(2012年)1月6日に始めたので、もうじき丸6年になり、7年目に入ります。この間、多くの皆さんに見ていただき、ありがとうございました。とりわけ本ブログで初めて宝林廟の存在を知って、納骨やその予約をされた方が多くいらっしゃることから、ネットの影響力の大きさを痛感しています。
 ブログを開設した本来の目的は上述の通りですが、それ以外にも西音寺や麦川保育園の行事、美祢市や麦川の地域情報などをお知らせして来ました。また大嶺炭田の歴史や、長年にわたって奥分地域の基幹交通機関であった国鉄・JRの大嶺線の歴史なども何度か取り上げました。今後とも現在では跡形もなく姿を消してしまった、過去の繁栄した時代の写真などを入手して載せようと思っています。最近は滞りがちなブログの更新ですが、新年にあたって気持ちを新たに精進したいと思います。

     明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
                        インド独立の父 マハトマ・ガンジー(1869ー1948)

平成30年元日の朝の寺の風景
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2018-01-01 : 西音寺 :
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プロフィール


浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

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宗旨、宗派を問わず、どなたでも納骨できる宝林廟の納骨方法や納骨費用など、詳細は上記のメニューバーをご覧になるか、お電話(0837-52-0415)をください。パンフレットをご希望の方は下のメールフォームからご連絡ください。

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