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宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

ガイドマップ『赤間ヶ関街道(中道筋)』

 萩(山口県)と赤間ヶ関(現在の下関)とを結ぶ主要な道であった「赤間ヶ関街道」には中道筋、北浦道筋、北道筋という3つの道筋がありました。そのうちの中道筋は、萩城下から明木ー横瀬ー雲雀山ー小野ー絵堂ー秋吉ー岩永ー河原ー伊佐ー曽根ー大嶺ー四郎ヶ原ー小杉ー柳井坊ー湯谷ー吉田ー小月ー清末ー王司ー前田を経由して赤間ヶ関に至るルートで、距離が最も短く、かつ難所が少なかったため、主要街道になり、江戸時代末期の幕末に高杉晋作ら多くの志士や商人たちが往来したといわれます。
 以前、本ブログで、中道筋の宿場町としてにぎわった四郎ヶ原(美祢市西分)にある「吉田松陰投宿之碑」を紹介しました。その石碑は吉田松陰が萩から中道筋を通って九州へ遊学に向かう途中、四郎ヶ原宿に宿泊したことを記念して平成8年(1996)に建立されたものです。
 維新150年の節目の今年7月、「赤間ヶ関街道・中道筋連絡協議会」によって『赤間ヶ関街道(中道筋)ガイドマップ』が制作・刊行されました。5つの保存会からなるこの協議会は、「大田・絵堂の戦い」のような維新の先駆けとなった戦(いくさ)の舞台にもなり、歴史的に重要な中道筋を調査して、保存する活動を地道に行っているということです。連絡協議会はこれまでも中道筋を案内する標識を各所に設置し、美祢市内でもアチラコチラで見受けられます。そうした活動の一環としてガイドマップが出版されたので、中道筋の詳細なルートを知ることが出来ます。制作にはパソコンを駆使して手作りされたそうで、大変な手間暇がかかったと思われる労作です。ガイドマップは今後、中道筋を歩いてみたり、ルートをたどるためには欠かせないものです。
 ガイドマップの入手にあたっては、「赤間ヶ関街道(中道筋)をつなぐ会」の会長・岡藤泰治氏と運営委員・前田哲男氏のご協力を得ました。記して謝意を表します。
 以下、ガイドマップの中から表紙と美祢市に関係する部分の地図を参考までに載せておきます(掲載にあたっては、前田哲男氏の許可をいただきました)。

ガイドマップ表紙
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吉田、湯谷、柳井坊、小杉の地図
ガイドマップ320180921091354_00001

四郎ヶ原、大嶺、曽根、伊佐、河原の地図
ガイドマップ420180921091417_00001

河原、岩永、秋吉の地図
ガイドマップ520180921091443_00001

絵堂、小野、雲雀山、横瀬の地図
ガイドマップ620180921091504_00001
2018-09-13 : 新聞・書籍・TV :
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夏季布教大会(山口教区)

 今日は山口教区の「夏季布教大会」に出席して聴聞しました。山口教区布教団は毎年、8月下旬に教区内の個別の組(そ)の引き受けで、二日間の布教大会を開催しています。この大会は本願寺派布教使を拝命している教区内の布教使さんの法話技能の研鑽と相互の親睦を主たる目的で行われているものです。僧侶・門信徒一般に公開された大会ですから、毎年私も都合がつく限り、参拝して聴聞するようにしています。
 今年は厚狭西組の引き受けで、初日が永福寺(山陽小野田市)、二日目が西福寺(山陽小野田市)で開催されましたが、初日の一日だけ聴聞することができました。本日法話をされた教区内の布教使さんと講題は次のとおりです。
 佐々木大乗師(周南組真行寺)「往生即成仏」、二木文生師(豊浦組光善寺)「乃至十念」、伊東順浩師(宇部小野田組蓮光寺)「お浄土をいただいて生きる」、小川恵眞師(山口北組光円寺)「平生業成」の4人の他に、特別講師として北豊教区・両徳寺の舟川宏顕師が「大悲の誓願」という講題で午前の部と午後の部の最後に2席ほどお取り次ぎをされました。
 会場の永福寺は初めて参拝しました。小高い境内地に真新しい立派な本堂がそびえ建っていました。受付をされていた総代さんにお尋ねしたところ、5年くらい前に新築されたそうです。白木の美しい、明るい本堂内は聴聞者でいっぱいでしたが、天井に大きなエアコンが設置されていたので、屋外の暑さを感じないで気持ちよく聴聞できました。

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佐々木大乗師(周南組)
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二木文生師(豊浦組)
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伊東順浩師(宇部小野田組)
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小川恵眞師(山口北組)
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特別講師 舟川宏顕師(北豊教区京仲組)
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2018-08-24 : 山口県 :
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台湾から知人の来訪

 昨日(17日)は昔からの知人である台湾のポリー・チャンさんが遊びに来られました。ポリーさんは台湾中部の台中市にある国立台中科技大学で教鞭をとっている先生です。大学は現在、夏休み中で講義がないので、この期間を利用して福岡、京都、金沢などの都市のコンベンションビューローを訪問して、MICE誘致戦略の取り組みに関するヒアリング調査をする目的で先日、来日されました。調査の合間をぬって、滞在中の博多から日帰りで初めて我が家を訪問されました。
 朝8時半すぎに厚狭駅の新幹線口で出迎えて戻ったあと、寺の内外を案内しました。日本の寺は台湾とは外観や内部の様式が大きく異なるため、興味深そうでした。せっかく美祢に来られたので、秋吉台にお連れしました。台上の観光案内所兼休憩所であるカルスターでひと休みして、そばの展望台に上がって、緑の草原の中に白い石灰岩が点在する雄大な風景を楽しみました。今日の秋吉台は気温は高かったのですが、爽やかな風が吹き渡っていて、とても気持ち良かったです。
 夕方から長門へ向かい、青海島の橋を渡って仙崎の町並みが一望できる王子山公園に上がりました。青い海原のパノラマが広がる絶景は素晴らしい眺めです。そのあと長門湯本の温泉に入って夕食をし、厚狭駅まで送りました。またの再会を約束してお別れしました。

西音寺山門にて
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西音寺本堂にて
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秋吉台展望台にて
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王子山公園展望台(青海島)
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2018-08-18 : 西音寺 :
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盆法要(宝林廟)

 今年の夏は猛暑というより酷暑といわれるような暑さが続くなか、7月下旬からご門徒のお宅でのお盆参りが始まりました。昨日(15日)でそれが終わって、今日は寺でのお盆の法要が勤められました。例年のように、まず朝8時から寺の境内地にある納骨堂での読経をすませたあと、9時から宝林廟での法要を勤めました。ところが、今年は思いもよらないハプニングが宝林廟で発生しました。ハプニングの主(ぬし)は他ならぬ私でした。
 宝林廟での法要は、納骨者が年々増加しているため、それに応じてとりわけお盆の参拝者が多くなり、今日も子どもさんを連れた家族や夫婦一緒のお参りなど、およそ40人近い参拝者でにぎわいました。墓前で定刻通りに、経本を持参されている皆さんと一緒に、私が『仏説阿弥陀経』の読経を始めました。だが、後半あたりから声が出にくい感じがして、これは最後まで読経できるだろうかと、おぼつかなくなったのですが、なんとか終わって、参拝者の皆さんに、焼香を促すと同時に急に意識を失って、その場にバッタリ倒れてしまいました。
 幸いなことに参拝者の中に看護師さんがいらっしゃって、すぐに濡れタオルと冷たいペットのお茶を持って来られて、介抱していただいたので、すぐに体調は問題なく回復しました。ほんの一瞬の出来事でした。今日は曇り空で、陽は射していなかったのですが、ごく軽い熱中症になったのでしょう。参拝者の皆さんにご迷惑とご心配をおかけして、大変申し訳なく思っています。このハプニングのせいで、通常は複数枚アップする宝林廟での写真は1枚しか載せることができませんでした。
 
参拝者の皆さん
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2018-08-16 : 宝林廟 :
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アサガオ(朝顔)

 窓辺の日除けを兼ねて、連れ合い(坊守)がプランターにアサガオ(朝顔)のポット苗を4つ買ってきて植え、ついでに空いている所にユウガオ(夕顔)も一つ植えました。7月の下旬ころからアサガオは早朝に、ユウガオは日暮れ時から花が咲き始めました。アサガオは、「朝顔の花一時(ひととき)」ということわざがあるように、早朝5時すぎの夜明け時分に花が咲いて、午前中に萎れてしまうほど短命の花です。他方、ユウガオは夕方に咲いて、夜の何時まで花開いているかわかりませんが、明け方には萎んでいます。
 アサガオを詠んだ俳句で有名なのは加賀(今の石川県)の千代女(ちよじょ)の次の句です。

    朝顔につるべとられてもらい水 (加賀千代女)
 
 千代女は句頭の「朝顔に」を、後に「朝顔や」に推敲したといわれ、両方の句が流布しているということです。それはさておき、「つるべ(釣瓶)」で思い出すのは、はるか遠い昔、私が小学生だったころのことです。毎年夏休みになると、長門市仙崎にある母の実家の寺に遊びに行って、海で遊ぶのが楽しみでした。遊んだあとは海水に濡れた体を、境内地にある井戸から縄に付けられた「つるべ」で水を汲み上げて、体を洗い流していました。そうしないと、体が乾くと白い塩があちこちに浮かび出るからです。手押しポンプがないので、「つるべ」を井戸の中に落とし、水をすくって縄を手繰り寄せて汲み上げたことを今でもよく覚えています。「つるべ」を見ない昨今、千代女の句は今の若者には理解しがたいかなと思ったりします。

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午前5時すぎにフラッシュを使って撮影
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午前5時すぎにフラッシュを使って撮影
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ユウガオ (午後19時すぎ撮影)
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午前5時すぎにフラッシュを使って撮影
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2018-08-10 : 西音寺 :
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清掃奉仕(納骨堂)

 今日は年一回の納骨堂の清掃奉仕作業が行われました。昭和45年(1970)に建立された納骨堂は毎年お盆を迎える8月の第一日曜日の早朝、納骨堂関係者のご門徒の方々によって、納骨堂内部と外回りの境内地の清掃奉仕作業をしていただいています。それと同時に、納骨堂脇の山の斜面の草刈りもしていただき、普段なかなか手が回らない所まで、またたく間にきれいにしていただけるので、大変ありがたいことです。
 この夏はこれまでに経験したことのないような暑さが続いています。今日も朝7時半の作業が始まる前から燦々と日が照っていましたが、多くの出席者のご協力のおかげで、1時間あまりの作業で納骨堂内外は見違えるようにきれいになりました。これから日々、納骨堂の参拝者が増えて来ますが、気持ちよくお参りしていただけることと思います。

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2018-08-05 : 西音寺 :
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同級生と再会(福岡)

 昨日(26日)の午後は大嶺高校時代の同級生との再会を兼ねて、博多(福岡県)で開催されている「全日本アートサロン福岡展」に行きました。この絵画展は、絵を描くことを趣味としている日曜画家の人たちの作品を公募して、発表の場を提供する趣旨で長年、続けられている催し物のようです。同級生の松原君は40代の後半にサラリーマンを辞めて、家族と共に福岡に戻り、以後自由人を楽しみながら、唯一絵を描くのを趣味に日暮らししているということです。
 松原君とは大嶺高1年生の時、同じクラスになったことで知り合ったのですが、2年生の秋にはお父さんの転勤で、宇部市に引っ越したので、彼との高校時代は1年半ばかりの短い付き合いでした。お互いが大学生になってから再び交流が始まり、彼が新婚旅行で私の住んでいた仙台に寄ったり、私が新婚間もない彼の東京の住まいに泊めてもらったり、楽しかった思い出は今でもよく覚えています。
 このたび彼から上記の絵画展で自作が展示されるという案内をいただいたので、せっかくの機会だから博多に住んでいる高校の同級生を誘って、一緒にミニ同級会をやろうということになり、田中潮夫君、篠原智佳子さんとの4人で夜の更けるのを忘れて、語り合いました。
 下の写真は福岡展に展示されている松原君やその他の方々の作品を撮りました。

松原君と右側の2点は彼のクレパス画
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鉛筆画
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油彩画
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ミクストメディア画
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アクリル画
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水彩画
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2018-07-27 : 県外 :
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台風7号の跡

 昨日は台風7号が九州地方を北上した影響で、山口県も午前中から強い風と雨が降り続きました。当地は特に午後から強風が吹き荒れ、雨も激しく降りました。市内は避難準備警報が出た所もあったようですが、大事には至らなかったようです。
 一夜明け、今朝6時の梵鐘を撞きに境内に出たところ、暴風に吹き飛ばされた木の葉と折れた木々がアチラコチラに散乱していました。また裏山から流れ出た水が、通常は本堂脇の深い貯水池に貯まって排水されるのですが、今日は水量が多かったため溢れ出て境内に滔々と流れ込んでいました。
 宝林廟はどうなっただろうかと思って、上がって見ました。被害と言えるほどのものはなかったのですが、前回の本ブログで紹介したアジサイは花を咲かせた幹が強風にあおられてかなり倒れていました。せっかくの見頃だったですが残念です。宝林廟境内地で最も目を引いたのは、下の写真に載せた砂防堰堤(えんてい)から流れ出る水です。
 この堰堤は昭和53年に治山事業と水害防止対策の一貫として造成されたものです。普段、きれいな谷水が絶えることなく水路を流れているので、水が必要な時は下に降りて、水が汲めるようにアルミの梯子が常設されています。めったに見られない光景ですが、昨日のような大雨が降ると、堰堤に3か所設けられている排水口の最上部から滝のように水が落ちて、ちょっとした迫力があります。

堰堤、手前にあるアルミ梯子を降りて水が汲める。
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堰堤の最上部から滝のように落ちる谷水
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宝林廟から見た堰堤
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水路を勢いよく水が流れている
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堰堤の背後は流れ込んだ谷水が小さな湖のように溜まっている
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2018-07-04 : 宝林廟境内 :
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宝林廟のアジサイ

 6月の中旬ごろには、各地の有名なアジサイ(紫陽花)の名所が見頃になったとニュースで報じられていました。ここ宝林廟は最近ようやく見頃になったので、写真を撮りました。アジサイが参道沿いや境内地の斜面などにびっしりと植えられていて、梅雨の時期に色とりどりの花は雨に濡れて、清涼感のある鮮やかさが目に染みます。
 今でこそ、春の桜と並んで、梅雨時のアジサイが自慢できる場所になりましたが、これも一朝一夕で出来たものではありません。8年前に宝林廟が建立された頃はアジサイがほとんど植えられていない殺風景な所でした。だが、建立に合わせて、近所の方がボランティアで小さな苗を育てて、毎年、少しずつ植えて、増やしていただいたおかげで、今日のような素敵なアジサイ園になりました。今年も下の写真のように何本かの苗木を植えていただきました。
 宝林廟にお参りに来られる方が年々、増えていますが、参拝者以外にも昼時に近所の会社の制服を着た従業員の方がスマホを片手に歩いて、宝林廟に上がる人もいます。宝林廟が「ポケモンGO」というゲームの遊び場になっているということです。ゲームを知らない私にはどんな遊びが出来るのかわかりませんが、皆さんが参道を歩きながら、アジサイも楽しんでただければと思います。

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今春、植えられた苗木がピンク色の花を咲かせました。
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2018-06-25 : 宝林廟境内 :
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新聞記事 『死を語り合い 生を見つめる』

 本日の『朝日新聞』文化欄に、「死を語り合い 生を見つめる」という見出しの記事が掲載されたので、紹介します。
 人間誰しも死は恐怖であり、忌み嫌われるものです。だから、来てほしくない、遠ざけたい、考えたくない死について、語り合うことは普通はしません。死を忘れて、生きることばかりを考えているのが私たちの生き様です。
 そうした世間の風潮の中で、お茶を飲みながら気軽に死について語る「デスカフェ」とか「死生学カフェ」と呼ばれるイベントが広がっているということです。気軽に死を考えるカフェ形式の場は、もともとスイスの社会学者が妻との死別を機に2004年に始めて、欧米を中心に50カ国以上に広がり、我が国においても、そうした試みが始められているということです。本記事は、各地で催されている「デスカフェ」の事例をあげて、「死を語り合う文化」が日本にも根付くだろうかと述べられています。記事の詳細は下に転載していますので、ご覧ください。
 
『朝日新聞』 平成30年6月20日付け
朝日新聞 18 6 20
(以下に上掲の新聞記事を転載)

 不吉。暗い。「死」はとかくタブー視されがちだ。しかしいま、飲み物を片手に、気軽に死を語るイベントが広がっている。名付けて「デスカフェ」。あるいは「死生学カフェ」。欧州発で広がってきた「死を語り合う文化」は、日本にも根付くだろうか。

 〈「デスカフェ」催し各地で〉
 福祉施設の一室で、30~60代の男女8人がテーブルを囲んだ。
 死ぬのが怖いと語る男性がいる。親の死のほうが怖いと話す女性もいた。そんな話をしながらも時々、笑いが起きる。緩和ケア認定看護師をしている30代の女性は「自分の死生観がないと、目の前で死にゆく方を受け止められません」と語った。
 仙台市で5月に開かれたデスカフェの様子だ。
 主宰する鍼灸(しんきゅう)指圧師の庄子昌利さん(50)は2010年に妻を亡くした。周りは気を使い、触れようとしない。誰にも苦しさを語れなかった。しかしグリーフケア(悲嘆の癒やし)の専門家に巡り合い、楽になる。欧米で盛んなデスカフェを知ったのはそのころだ。死別経験者に限らず、誰でも自由に「死」について語ることができる場――。理念に共鳴し、15年からデスカフェを始めた。「良く生きるには『生』だけを考えていても限界があります」
  
 〈自分への弔辞に涙〉
 カフェのスタイルは多様だ。
 東京の築地本願寺が5月に銀座で開いたデスカフェは、ワークショップ形式を採り入れた。30~40代の女性7人がペアとなり相手の弔辞をつくる。「人生で大切にしてきたことは?」。話を聞き取り、弔辞を書いて読み上げる。一人の女性(45)は自分への弔辞に涙を浮かべた。「死んでも、私を分かってくれる人がいると想像するとうれしくて……」
 浄土真宗本願寺派の若手僧侶たちが企画し、15年から京都市などで開いている。中心メンバーの霍野廣由さん(31)は、非日常的な設定から人生を見つめ直す場の意義を説く。
 統計数理研究所のリポートによると、日本で信仰を持つ人は3割前後。京都大こころの未来研究センターの広井良典教授は著書『死生観を問いなおす』で、「死生観の空洞化」を指摘する。「死の意味がわからない」と同時に「『生の意味づけ』がよく見えない」状況という。

 〈高校生や大学生も〉
 そうした背景からか、静岡市で開かれる「死生学カフェ」には高齢者だけでなく、高校生や大学生を含め約30人が集う。代表の竹之内裕文・静岡大教授(哲学・死生学)は、「若者は年配の方とは違う切実さを持って、なぜ生きるのだろうといった問題を考えている」と見る。
 自身は19歳で父親を亡くしたことを機に、哲学の道に進んだ。「私たちはみな死すべき者。その絆を作りたい。価値観が多様化する現代では、宗教者や医療者などの専門家が死の問題を一手に引き受けるのは難しい。むしろ様々な人との対話を通じて学ぶアプローチが有効です」
 「生きることと死ぬことに境はあるのか」をテーマにした回で、ある女性は半年前に父親を亡くした体験から「川は海に流れ込んでいき、淡水と海水が混じり合う。生と死はそんな関係に思えます」。そこから話題は、そもそも「生きる」とはどういうことかへ移っていった。

 〈欧州発祥、50カ国以上に 英では政府支援、3万人参加〉
 気軽に死を考えるカフェ形式の場は、欧米を中心に50カ国以上に広がる。スイスの社会学者が、妻との死別を機に04年に始めたとされる。
 英国では09年、政府の支援を受けた「死にゆくことについて語ろう」連合が発足。医療関係者や宗教者ら3万人が参加する。死を語る文化は草の根に広がり、11年以降デスカフェが1300回以上開かれてきた。
 第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員は「欧米のカフェは安楽死問題などをテーマに、とことん死を直視させる。自分がいかに周囲の人に支えられているかに気付かされる。日本でもそんなカフェが根付いていってほしい」と話す。(磯村健太郎)
2018-06-20 : 新聞・書籍・TV :
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コンゾまたはヒメコウゾウの実

 昨年6月26日、「この実、何の実?」と題してブログを書きました。その際は何の木の実が赤く熟れているのか、よくわからないまま勝手な推測をしました。後にその記事を読まれた方から、「その実は、コウゾの実、またはヒメコウゾウの実ではないでしょうか」というメールをいただきました。そこでネットで調べた結果、コウゾかヒメコウゾウかの判別はできなかったものの、指摘された通りだと思ったので、そのことを7月6日付けブログで追記し、「来年はどんな花が咲いて、実になるのか見てみたい」と書き添えました。
 今年の春になって、コウゾがいつ頃どんな花を咲かせるのか、そして赤い実になるまでを観察してみようと思いました。コウゾの藪は鐘楼のそばに繁茂しているので、朝6時に梵鐘を撞く時、時々様子を見ていました。そして5月1日、これがコウゾの花だろうと思われるもの撮り、それから1ヶ月半ちかく経って、赤く色づいた実になるまでを撮って来たので、下に時系列順に並べてみました。

(5月1日) これがコウゾの花
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(5月11日)
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(5月22日)
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(6月3日)
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(6月13日) 赤く熟れた実
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(6月13日) 赤く熟れる前の実がたくさん見える
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2018-06-13 : 西音寺 :
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睡蓮の花

 寺の本堂と庫裏とに囲まれた中庭にある小さな池に睡蓮の花が咲きました。この睡蓮はずいぶん昔から植えられていたが、艷やのある葉だけが水面を覆って、長年花が咲くことはありませんでした。ところが、昨年の今ごろのブログに載せたように、久しぶりに一輪の花が咲きました。今年もまた清楚な美しさは変わりません。
 睡蓮の名の由来は、「睡(ねむ)る蓮(はす)」といわれ、朝、萼(がく)片がまず開いて、その後に花弁が開きます。そして午後になると次第に花弁が閉じて行き、夕方には萼片も閉じて、あたかも花が睡るようなので、睡蓮という名が付けられたそうです。花は三日間ほど開花して、いのちが終わるそうです。でも、すべての花が三日のいのちではなく、もう少し長生きするものもあります。

   この三朝(みあさ) あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花 今朝はひらかず (土屋文明)

ガク(萼)片が開き始める
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ガク片が開くと閉じた花弁が現れる
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花弁が開く
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2018-06-09 : 西音寺 :
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麦川保育園のツバメ

 昨年(2017)6月3日の本ブログで、麦川保育園の玄関口に平成25年(2013)から作られ始めたツバメの巣の移り変わりついてまとめました。その後、6月27日の本ブログで、セアカツバメ(コシアカツバメ)のことを述べ、さらに7月16日の本ブログでは最も新しい巣のことを述べました。要するに、保育園の玄関口には、4つのツバメの巣が昨年までに作られました。
 今春、ツバメが戻って来て、昨年までに作られた4つの巣のどれかに産卵するかと思っていました。だが、それはしないで、新たな巣を作り始めました。その場所は玄関口のもっとも奥まったレンガ壁の所です。そこには昨年作られた巣がすでにあり、そのことは上記7月16日のブログで報告しました。なぜだかその巣を利用しないで、真横に今年の新しい巣を作りました。ツバメがその場所を選んだ理由は、天敵のカラスから最も襲われにくい所だと本能的にわかっているからでしょう。
 ツバメの天敵はカラスとヘビだといわれています。場所柄、ヘビはまず見ないのですが、カラスは飛び交っています。玄関口にある巣はどれもカラスの襲撃にあっていて、唯一、無傷の巣が昨年の巣です。だから最も安全な所とわかって新しい巣をその横に作ったのでしょう。巣は高い位置にあり、しかも常に観察しているわけでもないので、産卵や抱卵している様子はほとんどわかりません。雛が生まれ、巣から頭をのぞかせて、ようやく今年のツバメの誕生がわかる次第です。雛は毎日、にぎやかな園児さんの声を聞きながら育って、やがてどこかに飛び去って行きます。

玄関口の奥に昨年作られた巣
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左側が今春4月下旬に作られた新しい巣
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5月23日撮影 5羽の雛が誕生。大きく口を開けている4羽の左端に口を閉じている1羽がいる。
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5月26日撮影 大きくなった雛。4羽見えるが、もう1羽いるはず。
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2018-05-26 : 麦川保育園 :
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炭鉱写真集の紹介

 先日、ご門徒の方から今では入手出来ない貴重な2冊の炭鉱写真集を寄贈されました。その一つは平成7年(1995)12月に発行された『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』、もう一つは平成10年(1998)3月に発行された『炭鉱ー有限から無限へー』で、両書とも炭鉱写真集編集委員会が編集し、宇部市が発行したものです。
 この2冊のうち、前書は、4年前の本ブログ(「大嶺炭田の歴史」)の中で紹介しました。その記事は、山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真を掲載する目的で、一時的に借用したその本の写真を利用したものですから、本自体については詳しく触れませんでした。このたび改めて編集後記を読んだところ、両書が刊行されたいきさつが次のように述べられています。
 平成4年秋、宇部市立図書館は、炭鉱と炭鉱にたずさわった人々を顕彰する意図をもって、写真展『宇部炭鉱展』を企画したところ、写真集の刊行の希望が寄せられたため、宇部市立図書館に事務局を設置し、宇部炭田のみならず、大嶺炭田、津布田炭田など、いわゆる山口炭田の炭鉱跡の現状調査や炭鉱関係の写真約6,000点が収集されたということです。
 収集された写真を整理・選別して戦前篇と戦後篇の二部構成に編集し、最初に戦後篇が『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』として、続いて戦前篇が『炭鉱ー有限から無限へー』として刊行されました。現在では入手不可能な貴重な写真が多数掲載された2冊の写真集が寄贈されたので、今後、私が最も関心のある大嶺炭田関係の写真を中心に折を見て紹介したいと思います。
 なお、著作権の問題ですが、前述した4年前の本ブログに鳥瞰写真を利用する際、宇部市立図書館に書面でもって写真をブログに転載する許可を求め、了解を得ていることを付記しておきます。

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(表紙)、平成7年(1995)12月刊行
炭鉱1表

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(裏表紙)
炭鉱1裏

『炭鉱ー有限から無限へー』(表紙)、平成10年(1998)3月刊行
炭鉱2表

『炭鉱ー有限から無限へー』(裏表紙)
炭鉱2裏
2018-05-10 : 新聞・書籍・TV :
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エビネ(中庭)

 寺の中庭にラン科の多年草のエビネが秘めやかに花を咲かせていました。真っ黄色の花は黄エビネという種類ですが、その他に呼び名のわからない2種と合わせて3種類のエビネの花が咲いています。栽培種ではない、野生のエビネが、なぜ中庭にあるのだろうか。誰が植えたのだろうか。
 私が思い出すのは、19年前に亡くなった花好きの母のことです。母は洋ランのシンビジウムの鉢植えをたくさん育てていました。そのせいか、野生のエビネの花が咲いている今ごろに寺の裏山に入って、エビネを採って来て移植していました。私も昨年、宝林廟境内地でほとんど日の当たらない場所にエビネが群生して花を咲かせているのをたまたま見つけました。一株だけ持ち帰って鉢に植えてあります。おそらく中庭のエビネも母が山で採ったものを植えたものと思われます。
 エビネは草丈も小さく、目立たない植物ですが、細長い茎の先に花を咲かせているのを見ると、今年もまた咲いたね、と声をかけたくなるような可憐な花です。

黃エビネ、その1
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エビネ、その2
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エビネ、その3
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2018-04-30 : 西音寺 :
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プロフィール


浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
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