宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

台風7号の跡

 昨日は台風7号が九州地方を北上した影響で、山口県も午前中から強い風と雨が降り続きました。当地は特に午後から強風が吹き荒れ、雨も激しく降りました。市内は避難準備警報が出た所もあったようですが、大事には至らなかったようです。
 一夜明け、今朝6時の梵鐘を撞きに境内に出たところ、暴風に吹き飛ばされた木の葉と折れた木々がアチラコチラに散乱していました。また裏山から流れ出た水が、通常は本堂脇の深い貯水池に貯まって排水されるのですが、今日は水量が多かったため溢れ出て境内に滔々と流れ込んでいました。
 宝林廟はどうなっただろうかと思って、上がって見ました。被害と言えるほどのものはなかったのですが、前回の本ブログで紹介したアジサイは花を咲かせた幹が強風にあおられてかなり倒れていました。せっかくの見頃だったですが残念です。宝林廟境内地で最も目を引いたのは、下の写真に載せた砂防堰堤(えんてい)から流れ出る水です。
 この堰堤は昭和53年に治山事業と水害防止対策の一貫として造成されたものです。普段、きれいな谷水が絶えることなく水路を流れているので、水が必要な時は下に降りて、水が汲めるようにアルミの梯子が常設されています。めったに見られない光景ですが、昨日のような大雨が降ると、堰堤に3か所設けられている排水口の最上部から滝のように水が落ちて、ちょっとした迫力があります。

堰堤、手前にあるアルミ梯子を降りて水が汲める。
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堰堤の最上部から滝のように落ちる谷水
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宝林廟から見た堰堤
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水路を勢いよく水が流れている
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堰堤の背後は流れ込んだ谷水が小さな湖のように溜まっている
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2018-07-04 : 宝林廟境内 :
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宝林廟のアジサイ

 6月の中旬ごろには、各地の有名なアジサイ(紫陽花)の名所が見頃になったとニュースで報じられていました。ここ宝林廟は最近ようやく見頃になったので、写真を撮りました。アジサイが参道沿いや境内地の斜面などにびっしりと植えられていて、梅雨の時期に色とりどりの花は雨に濡れて、清涼感のある鮮やかさが目に染みます。
 今でこそ、春の桜と並んで、梅雨時のアジサイが自慢できる場所になりましたが、これも一朝一夕で出来たものではありません。8年前に宝林廟が建立された頃はアジサイがほとんど植えられていない殺風景な所でした。だが、建立に合わせて、近所の方がボランティアで小さな苗を育てて、毎年、少しずつ植えて、増やしていただいたおかげで、今日のような素敵なアジサイ園になりました。今年も下の写真のように何本かの苗木を植えていただきました。
 宝林廟にお参りに来られる方が年々、増えていますが、参拝者以外にも昼時に近所の会社の制服を着た従業員の方がスマホを片手に歩いて、宝林廟に上がる人もいます。宝林廟が「ポケモンGO」というゲームの遊び場になっているということです。ゲームを知らない私にはどんな遊びが出来るのかわかりませんが、皆さんが参道を歩きながら、アジサイも楽しんでただければと思います。

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今春、植えられた苗木がピンク色の花を咲かせました。
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2018-06-25 : 宝林廟境内 :
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新聞記事 『死を語り合い 生を見つめる』

 本日の『朝日新聞』文化欄に、「死を語り合い 生を見つめる」という見出しの記事が掲載されたので、紹介します。
 人間誰しも死は恐怖であり、忌み嫌われるものです。だから、来てほしくない、遠ざけたい、考えたくない死について、語り合うことは普通はしません。死を忘れて、生きることばかりを考えているのが私たちの生き様です。
 そうした世間の風潮の中で、お茶を飲みながら気軽に死について語る「デスカフェ」とか「死生学カフェ」と呼ばれるイベントが広がっているということです。気軽に死を考えるカフェ形式の場は、もともとスイスの社会学者が妻との死別を機に2004年に始めて、欧米を中心に50カ国以上に広がり、我が国においても、そうした試みが始められているということです。本記事は、各地で催されている「デスカフェ」の事例をあげて、「死を語り合う文化」が日本にも根付くだろうかと述べられています。記事の詳細は下に転載していますので、ご覧ください。
 
『朝日新聞』 平成30年6月20日付け
朝日新聞 18 6 20
(以下に上掲の新聞記事を転載)

 不吉。暗い。「死」はとかくタブー視されがちだ。しかしいま、飲み物を片手に、気軽に死を語るイベントが広がっている。名付けて「デスカフェ」。あるいは「死生学カフェ」。欧州発で広がってきた「死を語り合う文化」は、日本にも根付くだろうか。

 〈「デスカフェ」催し各地で〉
 福祉施設の一室で、30~60代の男女8人がテーブルを囲んだ。
 死ぬのが怖いと語る男性がいる。親の死のほうが怖いと話す女性もいた。そんな話をしながらも時々、笑いが起きる。緩和ケア認定看護師をしている30代の女性は「自分の死生観がないと、目の前で死にゆく方を受け止められません」と語った。
 仙台市で5月に開かれたデスカフェの様子だ。
 主宰する鍼灸(しんきゅう)指圧師の庄子昌利さん(50)は2010年に妻を亡くした。周りは気を使い、触れようとしない。誰にも苦しさを語れなかった。しかしグリーフケア(悲嘆の癒やし)の専門家に巡り合い、楽になる。欧米で盛んなデスカフェを知ったのはそのころだ。死別経験者に限らず、誰でも自由に「死」について語ることができる場――。理念に共鳴し、15年からデスカフェを始めた。「良く生きるには『生』だけを考えていても限界があります」
  
 〈自分への弔辞に涙〉
 カフェのスタイルは多様だ。
 東京の築地本願寺が5月に銀座で開いたデスカフェは、ワークショップ形式を採り入れた。30~40代の女性7人がペアとなり相手の弔辞をつくる。「人生で大切にしてきたことは?」。話を聞き取り、弔辞を書いて読み上げる。一人の女性(45)は自分への弔辞に涙を浮かべた。「死んでも、私を分かってくれる人がいると想像するとうれしくて……」
 浄土真宗本願寺派の若手僧侶たちが企画し、15年から京都市などで開いている。中心メンバーの霍野廣由さん(31)は、非日常的な設定から人生を見つめ直す場の意義を説く。
 統計数理研究所のリポートによると、日本で信仰を持つ人は3割前後。京都大こころの未来研究センターの広井良典教授は著書『死生観を問いなおす』で、「死生観の空洞化」を指摘する。「死の意味がわからない」と同時に「『生の意味づけ』がよく見えない」状況という。

 〈高校生や大学生も〉
 そうした背景からか、静岡市で開かれる「死生学カフェ」には高齢者だけでなく、高校生や大学生を含め約30人が集う。代表の竹之内裕文・静岡大教授(哲学・死生学)は、「若者は年配の方とは違う切実さを持って、なぜ生きるのだろうといった問題を考えている」と見る。
 自身は19歳で父親を亡くしたことを機に、哲学の道に進んだ。「私たちはみな死すべき者。その絆を作りたい。価値観が多様化する現代では、宗教者や医療者などの専門家が死の問題を一手に引き受けるのは難しい。むしろ様々な人との対話を通じて学ぶアプローチが有効です」
 「生きることと死ぬことに境はあるのか」をテーマにした回で、ある女性は半年前に父親を亡くした体験から「川は海に流れ込んでいき、淡水と海水が混じり合う。生と死はそんな関係に思えます」。そこから話題は、そもそも「生きる」とはどういうことかへ移っていった。

 〈欧州発祥、50カ国以上に 英では政府支援、3万人参加〉
 気軽に死を考えるカフェ形式の場は、欧米を中心に50カ国以上に広がる。スイスの社会学者が、妻との死別を機に04年に始めたとされる。
 英国では09年、政府の支援を受けた「死にゆくことについて語ろう」連合が発足。医療関係者や宗教者ら3万人が参加する。死を語る文化は草の根に広がり、11年以降デスカフェが1300回以上開かれてきた。
 第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員は「欧米のカフェは安楽死問題などをテーマに、とことん死を直視させる。自分がいかに周囲の人に支えられているかに気付かされる。日本でもそんなカフェが根付いていってほしい」と話す。(磯村健太郎)
2018-06-20 : 新聞・書籍・TV :
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コンゾまたはヒメコウゾウの実

 昨年6月26日、「この実、何の実?」と題してブログを書きました。その際は何の木の実が赤く熟れているのか、よくわからないまま勝手な推測をしました。後にその記事を読まれた方から、「その実は、コウゾの実、またはヒメコウゾウの実ではないでしょうか」というメールをいただきました。そこでネットで調べた結果、コウゾかヒメコウゾウかの判別はできなかったものの、指摘された通りだと思ったので、そのことを7月6日付けブログで追記し、「来年はどんな花が咲いて、実になるのか見てみたい」と書き添えました。
 今年の春になって、コウゾがいつ頃どんな花を咲かせるのか、そして赤い実になるまでを観察してみようと思いました。コウゾの藪は鐘楼のそばに繁茂しているので、朝6時に梵鐘を撞く時、時々様子を見ていました。そして5月1日、これがコウゾの花だろうと思われるもの撮り、それから1ヶ月半ちかく経って、赤く色づいた実になるまでを撮って来たので、下に時系列順に並べてみました。

(5月1日) これがコウゾの花
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(5月11日)
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(5月22日)
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(6月3日)
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(6月13日) 赤く熟れた実
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(6月13日) 赤く熟れる前の実がたくさん見える
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2018-06-13 : 西音寺 :
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睡蓮の花

 寺の本堂と庫裏とに囲まれた中庭にある小さな池に睡蓮の花が咲きました。この睡蓮はずいぶん昔から植えられていたが、艷やのある葉だけが水面を覆って、長年花が咲くことはありませんでした。ところが、昨年の今ごろのブログに載せたように、久しぶりに一輪の花が咲きました。今年もまた清楚な美しさは変わりません。
 睡蓮の名の由来は、「睡(ねむ)る蓮(はす)」といわれ、朝、萼(がく)片がまず開いて、その後に花弁が開きます。そして午後になると次第に花弁が閉じて行き、夕方には萼片も閉じて、あたかも花が睡るようなので、睡蓮という名が付けられたそうです。花は三日間ほど開花して、いのちが終わるそうです。でも、すべての花が三日のいのちではなく、もう少し長生きするものもあります。

   この三朝(みあさ) あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花 今朝はひらかず (土屋文明)

ガク(萼)片が開き始める
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ガク片が開くと閉じた花弁が現れる
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花弁が開く
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2018-06-09 : 西音寺 :
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麦川保育園のツバメ

 昨年(2017)6月3日の本ブログで、麦川保育園の玄関口に平成25年(2013)から作られ始めたツバメの巣の移り変わりついてまとめました。その後、6月27日の本ブログで、セアカツバメ(コシアカツバメ)のことを述べ、さらに7月16日の本ブログでは最も新しい巣のことを述べました。要するに、保育園の玄関口には、4つのツバメの巣が昨年までに作られました。
 今春、ツバメが戻って来て、昨年までに作られた4つの巣のどれかに産卵するかと思っていました。だが、それはしないで、新たな巣を作り始めました。その場所は玄関口のもっとも奥まったレンガ壁の所です。そこには昨年作られた巣がすでにあり、そのことは上記7月16日のブログで報告しました。なぜだかその巣を利用しないで、真横に今年の新しい巣を作りました。ツバメがその場所を選んだ理由は、天敵のカラスから最も襲われにくい所だと本能的にわかっているからでしょう。
 ツバメの天敵はカラスとヘビだといわれています。場所柄、ヘビはまず見ないのですが、カラスは飛び交っています。玄関口にある巣はどれもカラスの襲撃にあっていて、唯一、無傷の巣が昨年の巣です。だから最も安全な所とわかって新しい巣をその横に作ったのでしょう。巣は高い位置にあり、しかも常に観察しているわけでもないので、産卵や抱卵している様子はほとんどわかりません。雛が生まれ、巣から頭をのぞかせて、ようやく今年のツバメの誕生がわかる次第です。雛は毎日、にぎやかな園児さんの声を聞きながら育って、やがてどこかに飛び去って行きます。

玄関口の奥に昨年作られた巣
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左側が今春4月下旬に作られた新しい巣
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5月23日撮影 5羽の雛が誕生。大きく口を開けている4羽の左端に口を閉じている1羽がいる。
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5月26日撮影 大きくなった雛。4羽見えるが、もう1羽いるはず。
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2018-05-26 : 麦川保育園 :
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炭鉱写真集の紹介

 先日、ご門徒の方から今では入手出来ない貴重な2冊の炭鉱写真集を寄贈されました。その一つは平成7年(1995)12月に発行された『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』、もう一つは平成10年(1998)3月に発行された『炭鉱ー有限から無限へー』で、両書とも炭鉱写真集編集委員会が編集し、宇部市が発行したものです。
 この2冊のうち、前書は、4年前の本ブログ(「大嶺炭田の歴史」)の中で紹介しました。その記事は、山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真を掲載する目的で、一時的に借用したその本の写真を利用したものですから、本自体については詳しく触れませんでした。このたび改めて編集後記を読んだところ、両書が刊行されたいきさつが次のように述べられています。
 平成4年秋、宇部市立図書館は、炭鉱と炭鉱にたずさわった人々を顕彰する意図をもって、写真展『宇部炭鉱展』を企画したところ、写真集の刊行の希望が寄せられたため、宇部市立図書館に事務局を設置し、宇部炭田のみならず、大嶺炭田、津布田炭田など、いわゆる山口炭田の炭鉱跡の現状調査や炭鉱関係の写真約6,000点が収集されたということです。
 収集された写真を整理・選別して戦前篇と戦後篇の二部構成に編集し、最初に戦後篇が『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』として、続いて戦前篇が『炭鉱ー有限から無限へー』として刊行されました。現在では入手不可能な貴重な写真が多数掲載された2冊の写真集が寄贈されたので、今後、私が最も関心のある大嶺炭田関係の写真を中心に折を見て紹介したいと思います。
 なお、著作権の問題ですが、前述した4年前の本ブログに鳥瞰写真を利用する際、宇部市立図書館に書面でもって写真をブログに転載する許可を求め、了解を得ていることを付記しておきます。

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(表紙)、平成7年(1995)12月刊行
炭鉱1表

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(裏表紙)
炭鉱1裏

『炭鉱ー有限から無限へー』(表紙)、平成10年(1998)3月刊行
炭鉱2表

『炭鉱ー有限から無限へー』(裏表紙)
炭鉱2裏
2018-05-10 : 新聞・書籍・TV :
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エビネ(中庭)

 寺の中庭にラン科の多年草のエビネが秘めやかに花を咲かせていました。真っ黄色の花は黄エビネという種類ですが、その他に呼び名のわからない2種と合わせて3種類のエビネの花が咲いています。栽培種ではない、野生のエビネが、なぜ中庭にあるのだろうか。誰が植えたのだろうか。
 私が思い出すのは、19年前に亡くなった花好きの母のことです。母は洋ランのシンビジウムの鉢植えをたくさん育てていました。そのせいか、野生のエビネの花が咲いている今ごろに寺の裏山に入って、エビネを採って来て移植していました。私も昨年、宝林廟境内地でほとんど日の当たらない場所にエビネが群生して花を咲かせているのをたまたま見つけました。一株だけ持ち帰って鉢に植えてあります。おそらく中庭のエビネも母が山で採ったものを植えたものと思われます。
 エビネは草丈も小さく、目立たない植物ですが、細長い茎の先に花を咲かせているのを見ると、今年もまた咲いたね、と声をかけたくなるような可憐な花です。

黃エビネ、その1
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エビネ、その2
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エビネ、その3
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2018-04-30 : 西音寺 :
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秋吉台の響きコンサート

 今日は秋吉台国際芸術村ホールで午後3時から開演されたクラシックコンサート、「秋吉台の響き2018」を聴きに行きました。本コンサートは今日から29日まで開催されている「秋吉台室内楽セミナー」の講師・指導者のメンバーによる演奏会です。
 本日の演奏曲目は3曲で、最初がシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」(第1楽章)でした。奏者は第1ヴァイオリンが漆原啓子氏、第2ヴァイオリンが川田知子氏、ヴィオラが須田祥子氏、チェロが金木博幸氏です。2曲目がJ..S.バッハの合奏協奏曲集「ブランデンブルク協奏曲第3番」で、奏者はヴァイオリンが川田知子、白井圭、漆原啓子の各氏、ヴィオラが大島亮、須田祥子、鈴木康浩の各氏、チェロが上森祥平、関原弘二、金木博幸氏の各氏、コントラバスが黒木岩寿氏の10人の演奏でした。休憩をはさんで、3曲目がシューベルトのピアノ五重奏曲「ます(鱒)」で、奏者はピアノが松本和将氏、ヴァイオリンが白井圭氏、ヴィオラが鈴木康浩氏、チェロが上森祥平氏、コントラバスが黒木岩寿氏による演奏でした。
 以上、3つの演奏曲目はいずれも有名な楽曲ばかりで、しかも奏者が錚々たる一流のプロによる素晴らしい演奏でしたから、聴き応えのあるコンサートでした。多目的利用のためなのか、一般的なコンサートホールとは異なる変わった設計の小さなホールですが、音響も良く、少人数の演奏会にはうってつけだと思いました。毎年この時期に開催されている「秋吉台の響き」と題するコンサートは、昨年4月に続いて今回2度目の機会でしたが、美祢の片田舎でこんなに素敵なクラシック音楽が聴けるのは、ありがたいことです。

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2018-04-26 : 美祢市 :
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春の花(宝林廟)

 花が咲き乱れ、光あふれる今時分の季節を春爛漫(らんまん)と呼びます。わが寺の近辺で爛漫が感じられるのは、緑豊かな山の木々に包まれ、加えて桜やアジサイなどの草木が植栽されている宝林廟境内地です。ソメイヨシノが散ったころから、アジサイなどのみずみずしい若葉が一斉に開き始めました。
 ツツジ科の落葉樹で、薄紫色の花が咲くミツバツツジが自生しているのに気づいたのは数年前で、今年はアチラコチラで花が咲いていました。他にも自生して繁茂する多年草のシャガは、いまアヤメのような白い花が咲いています。細長い葉は生花にも使えるので、連れ合いは重宝しています。
 宝林廟建物の背後に急斜面があり、近所の方が7年前に植えたツツジの苗木が年とともに大きく生長し、赤や白の花を咲かせています。この境内地は花壇があちこちに作られていて、クリスマスローズやラッパスイセン、パンジーなどの花がきれいに咲いています。時節ごとにいろんな花が楽しめるのように植栽されているので、今後とも本ブログで紹介します。

赤と白の花が咲いたツツジ
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シャガの群生
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シャガの花
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ミツバツツジ
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ミツバツツジの花
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スズランスイセン (宝林廟展望台)
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参道口の花壇のパンジー
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ラッパスイセン (宝林廟花壇)
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クリスマスローズ (宝林廟花壇)
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ツルキキョウ (参道)
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2018-04-20 : 宝林廟境内 :
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宝林廟の桜満開

 今春のソメイヨシノ桜は少し早く満開を迎えたようです。今の時期は車で市内を走ると、アチラコチラで桜が咲いているのに気づきます。普段わからなくても、薄いピンク色の花が木を覆うように咲くと、ひと目で桜だとわかります。市内に桜がたくさん植えられているのは、「市の花」が桜であるのと関係あるのかどうか、市内には市役所そばの厚狭川沿いの桜並木を始めとして桜の名所が何か所かあります。
 毎年、4月の第一土曜日に「みね桜まつり」が開催され、今年は7日に当たりますが、その頃にはおそらく葉桜になっているのではないでしょうか。わが麦川地区の名所は、以前紹介した麦川川沿いの麦川小学校の桜並木が見事です。それに比べて、宝林廟の桜は見劣りしますが、昨日ごろ満開になったようですから、今日は写真を撮りに行きました。
 宝林廟のソメイヨシノ桜は、昭和45年に炭鉱が閉山した後、山陽無煙の建物が撤去されて荒れていた高事務所跡地に、町内会が苗木を20本あまり植えたということです。平成22年(2010)の夏、宝林廟が完成したあと、町内の方が広い境内地にアジサイやツツジなどの花木を植えたり、花壇を作っていろんな草花を育てたりして、年ごとにきれいに整備されて行きました。
 その一環として桜の苗木も植えたのですが、鹿が山から降りて来て細い幹を折ってしまい、覚えているだけでも八重桜2本、御衣黄桜2本、陽光桜1本、ソメイヨシノ1本がダメになりました。河津桜だけは被害が少なかったので生き延びました。そうしたこともあって、鹿の被害に会わない程度の大きさで、てんぐ巣病がつきにくい枝垂れ桜などの品種を今後とも植えていきます。

参道口から
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参道途中から
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参道途中から
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上方から境内地を望む。手前の若葉の出た木は花が終わった河津桜です。
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7年前の春に植えた仙台八重枝垂れ(八重紅枝垂れ)
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昨年の秋に植えたエドヒガン系の枝垂れ桜
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2018-04-02 : 宝林廟境内 :
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ハクモクレンの開花

 今日で3月も終わり、明日からもう4月に入ります。この季節に見逃せない、私の好きな花はハクモクレン(白木蓮)です。寺の境内に本堂の前と納骨堂の前の2本があります。本堂の前のハクモクレンは私の幼少期にすでに成木だった記憶があるので、相当に年数の経った木と思われます。それに比べて、納骨堂の前のは48年前に納骨堂が建てられた以降に植えられたものですから、幹の木肌そのものが歴然と違っています。
 ハクモクレンの花の美しさは気品を漂わせた純白の花びらにあります。しかし、その白磁のような美しさは「美人薄命」のことばではないが、せいぜい3日くらいしか持続しません。すぐに純白の花びらに茶色の染みが現れてに変色し、そのうちにパラパラと散ってしまいます。注意して観察していないと、一瞬の盛りを見逃してしまうような短命な花です。
 「短命」で思い出したのが、黒澤明作品の『生きる』(昭和27年公開)という映画で、主人公が夜に公園でブランコをこぎながら、『ゴンドラの唄』を歌う有名なシーンがあります。「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」という歌詞は印象的です。

本堂前のハクモクレン
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納骨堂前のハクモクレン
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ハクモクレン
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2018-03-31 : 西音寺 :
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宝林廟の春

 先日21日のお彼岸の中日は冷たい雨が降り続きましたが、翌日から天気が次第に回復して、ここ数日間はすっかり春の暖かい陽気が続いています。参道口から上った坂道の左右に町内の方が整備された花壇があり、季節ごとに花が植えられています。今はパンジー、ラッパスイセン、クリスマスローズなどの花がきれいに咲いています。レンギョウの細い枝がたくさん伸びて、黄色い花を咲かせています。
 以前、本ブログで紹介した水路のそばのフキノトウの花も咲きました。例年なら、お彼岸にはほぼ満開に咲く河津桜が、今年は少し遅れて一昨日あたりに満開になったようです。河津桜は山桜と同じように花と葉が同時に開くので、今日見ると、ピンク色の花が薄緑色の若葉とがコントラストをなして満開でした。河津桜の近くに一昨年、植えた一重咲きの枝垂れ桜がちょうど満開になっていました。宝林廟の境内には4本の枝垂れ桜が植えてありますが、一番早い満開です。
 また、参道の両側にあるソメイヨシノも七分咲きで明後日ごろには満開になるでしょうから、写真はその時に載せたいと思います。近所の会社に勤めている社員の方が昼休みに散歩がてら宝林廟に上がって来るのとたまたま出会ったので少しお話をしました。境内地には休憩場所もあるので、ソメイヨシノが満開になれば、参拝者だけでなく一般の方にとっても花見にとても良い場所だと思います。

参道の途中に咲くレンギョウ
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フキノトウの花
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例年より遅かった河津桜が満開
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河津桜のアップ
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一昨年植えた枝垂れ桜が満開
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2018-03-28 : 宝林廟境内 :
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春季彼岸の中日(2018)

 今日は春のお彼岸の中日でした。寒の戻りで冬に逆戻りし、しかも数日前からの雨が止むことなく、今日も一日中降り続いたあいにくの天気でした。恒例の行事として今朝は9時から宝林廟の墓前で読経する予定でしたが、雨天のため本堂で法要を勤めました。平成22年(2010)の9月、宝林廟の供用開始以来、年3回ずつ今日のお彼岸まで通算23回の宝林廟法要を勤めましたが、本堂での法要は今回が初めてでした。
 今朝、6時の梵鐘を撞いたあと、宝林廟参道上り口に建てられている石柱に、「本日の法要は寺の本堂で執り行います」という掲示板を設置したので、8時半ころから参拝者の皆さんが次々と本堂に入って来られました。開始まで少し時間があったので、まず皆さんにお茶を一服飲んでいただきました。そして定刻になったので、参拝者全員にお経本を配布して、一緒に『阿弥陀経』を読誦し、最後に「真宗宗歌」を歌いました。
 宝林廟の現場での法要は、お茶の接待はないし、お経本の配布や「真宗宗歌」を歌うこともしません。でも、そうした違いがあるものの、やはり宝林廟の墓前での法要が本来のやり方ですから、次回8月のお盆の法要は真夏の空の下で勤めることが出来ればと思います。ついでながら、ニュースでは各地の河津桜の満開がだいぶ前から伝えられていますが、宝林廟の河津桜は寒さのせいか今年はまだ一輪の開花もありません。中日は寺の境内地にある納骨堂の法要と午後からの彼岸会法座(講師 井上龍秀師)も勤めて、一日の行事が終わりました。

法要後の宝林廟参拝者の集合写真(西音寺本堂にて)
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2018-03-21 : 宝林廟 :
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イチョウの枝打ち

 今日は伐採業者さんに依頼して境内のイチョウ(公孫樹)の枝打ちをしていただきました。このイチョウはメス(雌木)で、樹齢はよくわかりませんが、地上1mの幹周りが2mあまりあります。樹高も15m以上はゆうにあると思いますが、正確にはわかりません。以前の本ブログに載せたように、秋には黄金色の葉がとても美しいので、出来れば枝打ちをしたくないのですが、横枝が本堂の屋根に接するほど伸びて、放っておくと屋根を傷める可能性があるので、この際すべての枝を払ってもらうことにしました。
 昔はもう1本同じくらいの大きさのオス(雄木)が本堂のすぐそばに立っていたのですが、20年余り前に本堂の瓦を葺き替えた際、切り倒して撤去しました。同時にメスのイチョウは幹の頭部を切って上に伸びるのを抑え、脇枝もすべて切ったので、今回はそれ以来の枝打ちです。オスの木がなくなったら、それ以前は秋にたくさんのギンナンの実が落ちて、始末に困るほどでしたが、実がならなくなりました。
 業者さんは朝8時すぎから高所作業車を搬入し、バケットに乗り込んで一人で操縦しながら、下から順にチェーンソーで枝を切り落として行きました。木の伐採には慣れているので、手際よく次々と切り落として行き、正午前にはすべての枝がなくなりました。
 この際、ついでに古い経蔵の前にあるダイオウマツ(大王松)の太い幹も1本取り除いてもらいました。当初は根本から切り倒すつもりだったのですが、父が造園業者さんに頼んで、他所から移植した木ですから残すことにしました。作業が終わったあと、枝のない幹だけのイチョウを見ると、何とも不格好な姿になりました。そのうち新しい枝が出てきて、数年うちには違う姿のイチョウが見られることでしょう。ただ、以前本ブログに載せたような保育園の園児さんたちが黄葉したイチョウの落ち葉で遊ぶ様子は今年は見られないのが残念です。

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2018-03-15 : 西音寺 :
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