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宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

イモ苗植え(麦川保育園)

 今日は麦川保育園のイモ畑で苗植えが行われました。年長の園児さん2人と先生2人の4人で紅はるかの品種を植えました。行きは9時半すぎの路線バスに乗り、バスを降りてからは15分くらい歩いてイモ畑へ到着しました。さっそく汚れても良いように着替えて、先生と一緒に苗を植えていきました。園児さんの植えた苗は20本ばかりの少数ですが、下の写真からわかるように、全体で200本ほど苗を購入し、すでに180本は保育士さんたちが植え終えていて、残りを園児さんに体験してもらいました。
 この畑の土質は赤土で、サツマイモには適しているといわれています。実際、これまで何十年とイモを栽培してきましたが、最初から完全無農薬は言うまでもなく、近年は肥料すらまったく入れない方法で育てています。でも、美味しい良いイモが収穫できるので土が合っているのでしょう。イモの苗は市内の苗屋さんが閉店したため、昨年から山口市の苗農家さんまで出向いて、直接購入しています。というのも、ホームセンターで買うよりも新鮮で安くて、とても良い苗が入手出来るので、直接購入しています。
 イモは苗が立ち上がるまでは、水やりをしますが、その後は時々、雑草取りをするくらいで、放置していても育つので、それほど手がかかりません。10月の下旬の収穫期には園児さんと保護者の皆さんとがイモ掘りに畑に来ますから、その時、また出来具合を本ブログに載せます。

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2019-06-05 : 麦川保育園 :
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ガレージサツキ展

 私たちの町内にサツキ専門の盆栽を長年にわたって手がけている方がいます。今がちょうどサツキの開花時期ということで、ふだんは自宅裏の庭で育てている何十鉢ものサツキ盆栽の中から選りすぐりのものがガレージ内に展示されています。道路に面したオープンガレージですから、通りすがりに誰でも見ることが出来ます。
 今日、見事に開花したサツキを拝見させていただきました。盆栽について無知の私でも、すぐ思い浮かぶのは式典や講演会などの演台のわきに置かれている枝ぶりの見事な黒松や五葉松などの盆栽です。盆栽には枝ぶりよりも花を愛でる種類もいろいろありますが、中でも人気のあるのがサツキだと思います。
 地植えにしたサツキは極端に言えば、放ったらかしでも毎年、花を咲かせますが、盆栽になると、水やりだけでなく、施肥、植え替え、剪定など年間を通してのいろんな手入れが必要だと町内の方から伺ったことがあります。要するに、労を惜しまず、地道な仕事が出来る人でなければ、とても盆栽など扱えないもののようです。私のようなずぼらな性格は、ただ拝見させていただくしかありません。

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2019-05-31 : 麦川地区 :
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宝林廟を拝む仏さま

 あるご門徒の方がこれまで護持して来た母方のお墓が近い将来、無縁墓になるので、今のうちに宝林廟に遺骨を移したいということで、2か月前の3月下旬にいわゆる「墓じまい」が行われました。その際に、ご門徒の方から実は自分の家のお墓のそばに御影石で造られた合掌したお姿の仏像があるので、寺で引き受けていただけないかという相談がありました。
 その合掌仏をお引き受けするかどうか、またお引き受けするなら、どこに安置したら良いかなどを検討しました。その結果、母方のご先祖の遺骨が収められた宝林廟に安置するのが最適だろうということをご門徒にお伝えし、了承を得ました。
 宝林廟の境内地はかなり広いので、合掌仏を置く場所はどこがふさわしいだろうか検討して、仏さまが宝林廟に向かって合掌しているような形に置くことにしました。場所は決まったものの、何百キロという重量のある御影石製の仏像と台座とを宝林廟まで運搬するにはどういう方法でやるか検討し、2トンユニック車を使って運ぶしかないということになりました。
 その後、「花まつり・降誕会」法要や寺の法務等があったため、運搬が伸び伸びになっていましたが、ようやく今日、知人の業者の方にユニック車で運搬してもらい、無事安置できました。今後、台座周りを整備したいと思っていますが、まずは本ブログで宝林廟に向かって合掌している仏さまを紹介します。

蓮台に座って合掌する仏さま
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蓮台の下に台座が置かれている
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仏さまの手前にアジサイを食べる鹿の侵入を防ぐネットが張られている
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宝林廟側から見た仏さま
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仏さまの後ろ姿
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宝林廟の方に向かって安置されている
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2019-05-29 : 宝林廟境内 :
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石村勝宣展(くまげの美術室)

 今日は友人4人で、現在「くまげの美術室」で開催されている『石村勝宣展』に行って来ました。まず、「くまげの美術室」とは何か、ということを簡単に説明しましょう。「くまげの美術室」は周南市立・熊毛中学校の校舎内に常設されている美術展示室で、開設されたのは、昨年(2018年)の5月だといいますから、ちょうど一年前のことです。「中学生という思春期の多感な時期に、いいものに触れて感性を磨き、心豊かな大人へと成長していってほしい」という思いを共有する熊毛地区の有志の方々が実行委員会を立ち上げ、熊毛中学校の空き教室約90平米を展示室に改装して開設されたということです。
 今回の石村さんの展覧会は、「くまげの美術室」の第3回企画展として開催されたもので、作品はスペースの関係で、11点ほど展示されていました。今回の展示品のほとんどは、一昨年(2017年)11月、私の母校の大嶺高校(現在の美祢青嶺高校)の同窓生の仲間が秋吉台国際芸術村で主催した石村さんの絵画展に出品されたものでしたが、石村さんの話によれば、いくつかの作品には後に加筆しているということでした。
 それにしても、石村さんの絵は何度拝見しても、ただただ素晴らしいの一言に尽きます。私の素人写真では石村作品の芸術を十分に表現できませんが、多少なりとも絵の雰囲気を感じてイメージが湧くように、石村さんの許可を得て、展示作品のいくつかを下に載せました。

石村勝宣展

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2019-05-20 : 山口県 :
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新聞記事「専門誌に聞け」『月刊住職』」(4)

 『月刊住職』の編集長である矢澤澄道氏にインタビューした4回連載記事の最終回です。今回は「人生100年時代、ぜひ『寺活』を」という見出しで、「寺活(じかつ)」の勧めが述べられています。「寺活」ということばは「就活」、「婚活」や近年すっかり認知されている「終活」などの「○活」になぞらえた造語で、「お寺での活動」、「お寺の活用」という意味です。
 寺が一般の民家とは規模が違う広い空間の本堂や庫裏を有しているのは、仏法を聴聞する法座や門徒さんの葬儀、年回法要を行なう場として本堂があり、それに付随してお斎(とき)などを提供する場として庫裏が活用されるためです。
 しかし、近年は本来の宗教活動を行なう施設としてだけでは、あまりにも利用頻度が少なく、有効活用がされていないことから、寺に馴染みのない人たちに寺を利用してもらう活動、すなわち「寺活」をする住職が増えています。例を挙げれば、落語会、早起き会、写経会、ヨガの会、お寺での婚活、お寺のカフェなど、本堂や庫裏を活用していろんな活動を行なう寺が増えているようです。
 我が寺でもささやかながら、十数年前から「お寺のコンサート」や「茶話会」を行なっていますが、熱心な寺活にはほど遠い有り様です。いずれにしても、住職が門徒さんと一緒になって寺を活性化させる試みをしなければ、ますます「寺ばなれ」が進むだろうと自戒しています。

「朝日新聞」2019年4月24日付け 
 専門誌に聞け4
(上掲の記事の本文を以下に転載)

 最近、「終活」がブームですが、私は「寺活」もしてほしいと言っています。自分の老いや死と向き合うときに、寺をもっと活用してほしいからです。
 死や死後について本音で話せる場が寺。愚痴もこぼせるし、半日話しこんでもいい。病院が必要なように、寺も必要です。
 「檀家離れ」「寺離れ」といいますが、離れなくてはいけないほど、寺にお金を使っていません。総務省の家計調査では、2018年の所帯あたりの信仰・祭祀費は、平均で年1万2250円にとどまっています。
 遠くの寺に墓を持つ方なら、二つの寺の檀家になってもいいと思います。先祖代々の寺との関係は保ちつつ、近くの寺の檀家にもなる。金銭的な負担は多少増えても、精神的には豊かになれるはずです。
 墓を守る人がいなくなったなどを理由に、先祖代々の墓から遺骨を移す「墓じまい」をする人が増えています。でも故人は生前、そこに埋められることを望んでいたはずです。その遺志を無視する権利が誰にあるのでしょうか。安らかに眠っている先祖を動かすのは、極端な言い方をすれば「墓あばき」です。
 実は、墓を守る人が絶えた墓は、寺が墓守をしてきましたから、墓も二つあっていい。昔は、埋葬地とお参りする墓が別の「両墓制」がありました。先祖が眠る墓はそのままに、近くの寺に別に墓を作ってお参りすればいいのです。
 ただ、知らない寺にはなかなか行きにくいものです。寺の側も敷居を下げて地域に開いていく努力が必要です。若い住職らはすでに動き始めています。ボランティア活動の拠点にするなど、寺を地域コミュニティーの中心にしようとしています。
 「人生100年時代」に、幸せな余生を送るためには、健康だけでなく、宗教的なものが必要です。「寺活」で人生を豊かにしてほしいと思います。  (聞き手 シニアエディター・尾沢智史)
2019-04-24 : 新聞・書籍・TV :
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新緑の風(宝林廟)

 まだ4月というのに、すでに夏日になるような気温の高い日もありますが、心地よい日々が最近続いています。宝林廟の境内地も桜の花が散ってしまったあと、またたく間に柔らかい黄緑色の若葉が萌え出て、今ではあたり一面が目にも鮮やかな新緑に包まれています。時折、梢を渡る爽やかな風が吹いて来ると、ういういしい若葉の香りが感じられます。
 宝林廟の境内地に上がった時は、御影石で造られた両手で支えた丸テーブルと動物の象をかたどった椅子が置かれている休憩所でしばらく座っています。今の時期は、山あいからウグイス(鶯)が”ホーホケキョ、ホーホケキョ”とさえずる美しい鳴き声が何度も聞こえるので、思わず聞き惚れてしまいます。
 宝林廟が道路脇の参道を上がった所の小高い所にあるため、参拝が目的の人以外には、普段、人は誰もいません。ひとり静かに散策するにはうってつけの場所です。お昼時に近くにある宇部興産系列の子会社の従業員の人がスマホを眺めながら参道を歩いているのに出会うことがあります。聞くところによれば、この場所がポケモンゴー(Pokemon GO)のポケストップやポケジムに指定されているので、ゲームを楽しむために宝林廟に上がっているということです。その愛好者にも別な意味でここはよく知られた場所だそうです。

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2019-04-23 : 宝林廟境内 :
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新聞記事「専門誌に聞け 『月刊住職』」(1)

 だいぶ以前から定期購読している雑誌に『月刊住職』という月刊誌があります。今日の朝日新聞のコラムに、「専門誌に聞け 『月刊住職』」という見出しで、その雑誌の創刊時からの編集長である矢澤澄道編集長にインタビューした4回連載記事の初回が載っていました。
 本誌は1974年に創刊され、今年が45周年になるということです。だが、正確にいえば、途中1998年に出版社が倒産したため、廃刊になりましたが、数か月後に倒産時の編集スタッフらによって新会社が設立され、『寺門興隆』という新たな誌名で1998年12月号から再刊されました。私が定期購読を始めたのは、『寺門興隆』の当時からです。その誌名は2013年から再び元の『月刊住職』に戻って、現在に至っています。定価は税込みで1冊1,404円、年間定期購読料は税・送料込みで15,000円です。
 本誌は誌名から類推されるように、日本仏教界のすべての宗派の住職のみならず、寺族、すなわち坊守や衆徒(寺院に所属する僧侶)など、寺院関係者を主要な読者対象にしています。今日の目まぐるしく移り変わる世相を反映して、仏教界の動向も急激に変化しています。例えば、現代の少子高齢化や大都市への人口集中による地方の過疎化、あるいは核家族化の進行と地域社会の崩壊による相互扶助や人間関係の希薄化などが原因で、「家族葬』、「直葬」、「墓じまい」などが近年の傾向として指摘できます。他にも、檀家(門徒)さんの減少や寺ばなれ、また寺の後継者不足や住職がいない無住寺院の増加など、寺自体がかかえる問題も深刻になりつつあります。
 こうした寺をめぐるさまざまな問題を多角的な視点から本誌が取り上げているので、これを見れば私たち浄土真宗のことだけでなく、すべての宗派の活動がおおよそわかります。日本の仏教界は宗派が異なれば、寺院や僧侶間の情報交換や交流がほとんどないと言えるので、そうした意味からもとても役に立つ雑誌です。

『月刊住職』 2019年4月号表紙
 月刊住職 te
「朝日新聞」2019年4月3日付け
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(上掲の記事の本文を以下に転載)

 寺の住職のための実務情報誌「月刊住職」は1974年の創刊で、今年で45周年になります。私は横浜市の寺の住職ですが、創刊時からの編集長でもあります。全住職の約4分の1が、この雑誌を読んでいます。
 「月刊住職」という誌名にしたのは、寺は住職で決まるからです。スポーツ好きの住職がいればスポーツをする人が集まるし、茶道をやる住職の寺には茶をたしなむ人が集う。大きな寺でも閑散としていたり、過疎地の小さな寺がにぎわっていたりする。規模や環境より、住職の個性で寺は決まるものです。
 51年に宗教法人法ができて、住職のあり方が大きく変わりました。昔は、大本山、中本山、地域の本山、末寺という階層組織が厳然とあり、住職は本山や施政者の意向に従っていました。また、寺の経営は地域ぐるみでなされてきました。
 しかし戦後の宗教法人法により、全ての寺が単位宗教法人になりました。それで住職は本山から自由になると同時に、寺の経営の一切の責任を負うことになったんです。
 住職の役に立つ情報を載せるというコンセプトは創刊当時から変わりません。寺に関係した事件や裁判、税金・法律相談や布教法などの記事が中心です。「人工知能との付き合い方」など最新の話題も取り上げています。
 法律問題への関心は高いですね。創刊当時は墓地の使用権が問題になっていました。檀家が別の新興宗教などに入信した場合、寺の墓地を使い続けられるかを巡り各地で裁判が起きていました。この問題を取り上げると、非常に反響がありました。
 最近では、僧衣を着て運転するのが道路交通法違反かが問題になりました。それは次回にお話ししましょう。(聞き手 シニアエディター・尾沢智史)
2019-04-03 : 新聞・書籍・TV :
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桜が満開(宝林廟)

 先日、27日付けの本ブログで宝林廟境内地のソメイヨシノや枝垂れ桜が開花したことを載せました。昨日、宝林廟に上がって見たところ、ソメイヨシノが爛漫と咲き乱れていました。そこで、今日のお昼前に満開のソメイヨシノを撮りました。宝林廟にソメイヨシノが植えられた経緯については、前回のブログで述べたので省略しますが、S字状に曲がった坂道を上がって宝林廟に至る参道に沿ってソメイヨシノが15本ほどあるので、参道口から写真を撮りながら、歩いて上がりました。
 平安末期から鎌倉時代初期の歌人・西行が、「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」と詠った和歌のように、花すなわち桜が咲き誇ったころに死にたいと思ったほど、桜の花の美しさは例えようのないものです。
 我が美祢市の「市の花」が桜であるように、今の時期、厚狭川沿いの見事な桜並木を始めとして、アチラコチラに桜が満開になりました。麦川地区では麦川小学校のそばの川沿いにも素晴らしい桜並木があります。そのいずれも樹齢50~60年は経っているように思いますが、宝林廟の桜も私の次の世代の人々に、どのような感動を与えることが出来るだろうかと思いつつ眺めました。

満開のソメイヨシノ
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参道口から撮る
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参道途中から
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宝林廟の前方から
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象さん椅子の休憩所から
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境内地の高台から
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2019-04-01 : 宝林廟境内 :
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ソメイヨシノの開花(宝林廟)

 ここ数日、気温が上がって暖かい日が続いたので、宝林廟のソメイヨシノも開花しただろうと思って上がってみました。今年の冬が例年に比べて暖かかったせいか、先日、本ブログに載せた満開の河津桜はほとんど散ってしまって、葉桜になっていました。それに代わってソメイヨシノが開花していて、あと数日で満開になるような状態でした。
 もともと宝林廟の敷地には山陽無煙鉱業所の建物が建っていましたが、昭和45年の炭鉱閉山後、建物が解体され殺風景な所になり、人も寄りつかなくなりました。そこで寺町地区の人たちがソメイヨシノを十数本ほど植樹しました。今から30年以上も昔のことです。その当時の地区の人たちのおかげで、今の私たちは毎年、花見が楽しめる憩いの場所になりました。先人の方々のご恩を忘れてはならないと思います。
 さて、山陽無煙の跡地に宝林廟が建立されてからは、てんぐ巣病にかかりやすいソメイヨシノではなく、河津桜や枝垂れ桜などを周辺に植えて来ました。昨年は河津桜、枝垂れ桜の他に、仙台屋というあまり知られていない桜の3本を植えました。今日見たところ、それぞれに花が咲いていました。一昨年も枝垂れ桜を2本植え、これにも花が咲いていました。今年も半月ほど前に八重咲きの枝垂れ桜を1本植えましたが、これはまだ固い蕾の状態でした。
 このように、今春は桜の開花が例年より早くなり、満開も間近になりました。親鸞聖人が「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかわ」と詠まれた和歌のように、明日はどうなるかわからない花のいのちですから、満開の状態を逃さないように気を付けて、本ブログで後日また紹介したいと思います。

ソメイヨシノの開花
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ソメイヨシノの満開まであと数日でしょう
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開花したソメイヨシノ
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一昨年の春に植えた枝垂れ桜が開花
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上掲の枝垂れ桜のアップ写真
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この枝垂れ桜も一昨年に植えたもの
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上掲の枝垂れ桜のアップ写真
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昨年の春に植えた枝垂れ桜の若木も開花
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上掲の枝垂れ桜のアップ写真
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葉桜になった河津桜
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2019-03-27 : 宝林廟境内 :
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春季彼岸会法要(2019)

 今日は春のお彼岸の中日でした。寺では恒例の春季彼岸会法要が勤まりました。天気予報どおり夜半から降り続く雨は止む様子がなかったので、午前9時から予定していた宝林廟での法要は現地で行うことができませんでした。その場合は寺の本堂で行うことは事前にお知らせしてあったので、宝林廟の参拝に来られた皆さんは次々と本堂に上がって、幼いお子さん2人を含めて26人の参拝者がありました。
 年3回ほど勤まる宝林廟法要は昨年の春彼岸において、初めて現地での開催が雨で中止になり、昨年に続いて今回が2度目の本堂での法要でした。現地では出来ない試みとして、皆さんで仏教讃歌を歌うことにしました。最初に「真宗真宗」を歌い、続いて経本を配布して『仏説阿弥陀経』を全員で読経しました。読経が終わると参拝者が焼香し、最後に「恩徳讃」を歌って閉式しました。
 今年は雪が少ない暖冬傾向だったせいか、先日13日の本ブログに載せた写真のように宝林廟の河津桜がすでに満開になり、もし今日雨が降らなければ、参拝者の方々も河津桜を愛でることが出来たのに残念でした。今日のニュースによれば、東京や福岡でソメイヨシノの開花が宣言されたということですが、宝林廟はあと数日はかかりそうです。
 宝林廟での法要は以上のようでしたが、寺の境内にある納骨堂での午前、午後2回の読経や午後1時半からの本堂での法座(講師:寺田教昭師)は予定どおり勤まりました。
 
宝林廟参拝者の集合写真(本堂にて)
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2019-03-21 : 宝林廟 :
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宝林廟へ園外散歩(麦川保育園)

 最近は雨の日が多かったのですが、今日は風は冷たいものの、晴れた良い天気になりました。宝林廟の河津桜が今、ちょうど満開に咲いているので、保育園の園児さんと先生が私も同道して、宝林廟へ散歩に行きました。園児さんたちは、ふだん天気が良い時は園庭で遊ぶのですが、時には園外散歩に出かけます。でも宝林廟へ上がることは、あまりありません。というのも、周囲を山と樹木に囲まれ、谷水の流れる水路が走っている、自然豊かな宝林廟境内地は、自由奔放に動き回る園児さんたちが遊ぶには危険な場所が少なくないし、時たま猿の群れが現れる恐れもあるからです。というわけで、今日はめったに行かない宝林廟へ河津桜の花見に行きました。宝林廟にはソメイヨシノや枝垂れ桜もありますが、蕾はまだ固いですから開花は3月下旬以降になるでしょう。
 
参道の坂道を上がって宝林廟へ
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宝林廟境内の休憩所で
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満開の河津桜の下で
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ヒマラヤスギの周囲に落ちている松ぼっくりやスギの花を拾って
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拾ったスギの花と松ぼっくり
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ヒマラヤスギの大木の根本で
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坂を下って帰園します
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満開の河津桜
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河津桜は宝林廟の背後にあります
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2019-03-13 : 麦川保育園 :
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讃仰会特別法座(宝泉寺)

 今日は午後1時半より美祢西組・親鸞聖人鑚仰会主催の特別法座が宝泉寺(美祢市東分上領)で開催されました。わが西音寺からもご門徒と一緒に8人で参拝しました。今回の講師は佐賀教区・三根組・徳常寺前住職の塚本慈顕師で、「弥陀大悲の胸のうち」という講題で3時半すぎまで2席の法話を聴聞をしました。
 さて、現代の本願寺派布教使さんは演台を使い立ったままで法話をするスタイルが一般的ですが、塚本師は今では極めて珍しい高座に上がり、正座して抑揚のあるフシ(節)を付けた語りをする節談説教でした。高座というと、落語家が芸を演じる高い場所を連想しますが、寺の本堂での説教も昔は高座に正座して法話をするスタイルが一般的でした。私が中学生の頃くらいまででしょうか、わが寺の本堂にも下の写真に見られるのと同じくらいの高さの高座が常設されていて、布教使さんが高座で法話をされていた記憶がかすかに残っています。いつの間にか、その高座が演台に置き換わって、今日に至っています。
 このように、現在では高座を所有している寺は組内にないので、今回は讃仰会担当者が長門市の寺からわざわざ高座を借用したということです。下の写真からわかるように、この高座は昔からの古い物ではなく、近年作られたかなり新しい高座のように見えました。いずれにせよ、100人近い満堂の参拝者の皆さんともども、極めて珍しい高座に上がっての巧みな節談説教をありがたく聴聞しました。

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2019-03-12 : 美祢市 :
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ジオサイト「荒川坑」の見学

 今日は同級生の落合紀久子さんや隆光寺の若坊守さんらと一緒に、「Mine秋吉台ジオパーク」(以下、「みねジオパーク」)のジオサイトの1つである大嶺炭田遺構の「荒川坑」(大嶺町奥分荒川)をジオガイドさんの案内で見学しました。そもそもジオパークという言葉自体、あまりなじみがありませんが、ウィキペディア(Wikipedia)によれば、地球・大地の「ジオ;Geo」と、公園の「パーク;Park」とを組み合わせた「大地の公園」を意味し、地球科学的な価値を持つ大地の遺産を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラムだということです。
 さて、我が美祢市は7年前の平成24年(2012)からまず「日本ジオパーク」、将来的には「世界ジオパーク」の認定を目指して活動を開始し、今から3年半前の平成27年(2015)9月、「日本ジオパーク」に認定されました。「みねジオパーク」は次の3つの地域から成ります。まずカルスト台地の秋吉台と日本最大規模の鍾乳洞である秋芳洞、次に東大寺の大仏に使われた銅を産出した長登銅山跡、そしてかっては日本最大の無煙炭が産出された大嶺炭田跡の3つで、それぞれの地域ごとにジオサイトと呼ばれる見どころの場所が指定されています。
 しかし、見物者がただジオサイトを訪れても、現地の知識がなければよく理解ができないので、案内するガイドさんを養成する講座が平成24年秋から毎年開かれています。現在、受講を修了して認定されたジオガイドさんは数十人いるということで、依頼すれば現地の案内をしてもらえます。今日の荒川坑見学も落合さんが事前に依頼していたジオガイドさんの案内によって、荒川坑をわかりやすく説明していただきました。この荒川坑の歴史については平成13年に美祢市教育委員会が現地に設置した案内板に概略が説明してあるので、下にその写真を載せました。

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2019-03-03 : 麦川地区 :
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法語掲示板

 山門前の掲示板を昨年10月末に再設置したことは以前、本ブログに載せました。それからほぼ月替りで、掲示板担当の坊守が本願寺関係の本や新聞などを参考にして法語を選んで掲示しています。今回の法語は私がネットから選んだもので、「輝け!お寺の掲示板大賞2018」の大賞を受賞した言葉です。
 この「お寺の掲示板大賞」は、公益財団法人仏教伝道協会が主催して昨年(2018)から始まった新企画です。宗派を問わずお寺の掲示板の法語で、ありがたいとかユニークと思われるものを写真に撮って、ツイッターやインスタグラムに投稿したものの中から入賞作品が決定されるということです。第1回の大賞は願蓮寺(岐阜県郡上市)の掲示板に掲示されていた「おまえも死ぬぞ」という、短くてインパクトのある言葉が選定されました。今回の掲示はその言葉を借用しました。
 ところで、我が国では「死」という言葉は、直接口に出して言うのがはばかられるとして、「逝去」に言い換えるとか、あるいは「死」を連想させるから数字の「4」は病院などで使わないというように、「死」はタブー視される傾向にあります。私たちはいかにして健康で、長生きできるか、という「生」、すなわち生きることにしか目が向いていません。死を忘れて生きているのが、老いも若きも普通の人間の生き様です。死を忘れていても、忌み嫌う死は遅かれ早かれ必ず我が身に訪れます。今回の法語は死を見つめようとしない私たちに向かって、お前も必ず死ぬぞ、死を忘れるな、と訴えかける警句です。

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2019-02-28 : 西音寺 :
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新聞記事 「『墓じまい』してどこに移す?」

 本日の『朝日新聞』の別紙 "be on Saturday"、に「お骨の行き先、『墓じまい』してどこに移す?」という見出しの記事が載っていたので、紹介します。
 「墓じまい」とは、現在あるお墓を撤去して、遺骨を他の所に移動することを意味します。この言葉がマスコミに登場するようになったのは、そんなに古いことではありません。おそらく4~5年ぐらい前ではないかと思います。今ではすっかり一般的な用語として定着するほど、「墓じまい」の意味がよく知られるようになったことを物語っています。
 本日の新聞記事の主題は、「墓じまい」した遺骨をどこに持って行くかということです。記事によれば、遺骨の改葬先として人気が高いのが地方自治体による公営合葬墓や樹木型合葬墓で、都会で急増しているのが宗教法人による屋内納骨堂であるといわれます。また、いわゆる「墓じまい」ではないが、火葬した遺骨を海などに散骨するとか、あるいは遺族が火葬場で骨を一切拾わないというのも、墓と関係しないという意味で「墓じまい」と見なしているようです。ただ、そのような解釈は一般的とは言いがたいでしょう。
 いずれにせよ、お骨の行き先にはいろんな選択肢がありますが、本人の生前の意思をよく聞いておくことが大事と述べられています。今後数十年は死亡者数が年々増加して行く「多死社会」を迎える我が国は、少子化や過疎化による「墓じまい」だけでなく、火葬後の遺骨をどこに持って行くかという選択も可能な世の中になってきました。
 なお、記事の左欄上部に「いまどきのお骨事情」で、全国県庁所在地の市(東京都も含む)において、「火葬したお骨を一切拾わない選択は可能か?」という問いに対する答えが一覧表にして示されています。その表によれば、お骨を「一切拾わないことが可能」、「一部分拾わないことが可能」、「拾わないことは不可で、全部持ち帰る」という選択が市によって異なるようです。我が美祢市では原則、6寸サイズの骨壷に入るだけ収めて、残った灰や遺骨は火葬場が後始末をしています。

『朝日新聞』 "be on Saturday" 平成31年2月23日付け
墓じまい(朝日新聞) 2019-02-24 16-51-36
(上掲の記事本文を以下に転載)

 多死社会となり、「お骨」をめぐる状況が大きく変わろうとしている。核家族化が進み、墓の維持が困難になったとして「墓じまい」する人が増えている。お骨の引っ越し先として合葬墓や最新式納骨堂などが続々と誕生。「家」から「個」へ。墓のかたちが多様化する一方、遺骨を墓に入れない選択をする人も。最新のお骨事情とは。
 日本の年間の死亡数は2017年、戦後最多の約134万人(厚生労働省)となった。内閣府は40年にピークの約168万人になるとみている。
 墓のニーズが高まる一方で、増えているのが「墓じまい」だ。高齢化、核家族化が極まるなか、墓の管理継承ができなくなったなどとしてお骨の引っ越しである改葬が17年度には約10万4千件行われた。ここ10年で4割増である。問題はお骨をどこに移すかだ。
 人気が高いのが、地方自治体による公営合葬墓だ。血縁を超えて、遺骨を共同埋葬する。18年、秋田市営の合葬墓地に希望者が殺到して話題となったが、各地で新設されている。樹木葬タイプ、樹木型合葬墓は特に人気だ。
 改葬先として都会で急増中なのが、宗教法人による屋内納骨堂だ。多くが宗教宗派を問わずに遺骨を受け入れ、コンピューター制御で管理する。東京のJR目黒駅から徒歩3分の「目黒御廟(ごびょう)」。約2千平方メートルの敷地の3階建てビルに9500基の「墓」がある。ブースで仕切られた参拝室で、ICカードをホルダーに挿入すると、お骨の入った厨子が自動搬送で運ばれてきた。
 運営する浄土真宗本願寺派應慶寺住職の樹谷淳昌さん(71)は「寺が寄進に頼っていた昔と時代が違う。寺も変わらねば」と語る。価格は1基136万円、108万円、85万円の3種類。すでに約1千基が売れたという。

 〈「骨を拾わない」 話し合って約束〉
 今や自動搬送式納骨堂は都内で25カ所前後、「墓」は約10万基、全国では約80カ所、約50万基あるとみられる。
 「いまどきの納骨堂」などの著書があるノンフィクションライターの井上理津子さん(63)は納骨堂について「管理費の値上げや破産しないかなど不安要素もある」と見るが、時代の流れに注目する。「戦後、家制度はなくなったのに祭祀財産の墓には家督相続的な古い習慣や意識が残っていた。家族の形や価値観が多様化するなか、やっと時代に追いついてきた」
実は従来型の墓の歴史はそう古くはない。今のような墓石を建てるようになったのは江戸中期。「○○家之墓」という墓碑も天皇制を支えた家制度の道徳規範が行き渡る明治末期からだ。
 改葬先としては、骨を墓に入れないという選択もある。1991年、「葬送の自由をすすめる会」は日本初の海での散骨を行い、「自然葬」を市民運動の形で行ってきた。同会副会長の西田真知子さん(68)は「死後の自己決定は保障されるべきだ」という。
 火葬場で遺族が骨を一切拾わないという究極の選択を、宗教学者の島田裕巳さんは「0(ゼロ)葬」と呼んだ。
 京都の世界人権問題研究センター嘱託研究員で女性学が専門の源淳子さん(71)は16年に「つれあい」をがんで亡くしたが、「元気なときから、互いにどちらが先に逝っても骨を拾わないと話し合っていた」といい、大阪の火葬場でその約束を守った。源さんは「親鸞の思想によって立った」と語る。自身も浄土真宗本願寺派で得度。「親鸞は、自分の遺体は鴨川に流して魚に食べさせよ、と遺言しました」
 もともと、東日本では遺族が遺骨を全部持って帰るのに対して、西日本では「部分収骨」として一部しか持ち帰らない風習がある。各都道府県庁所在地の公営火葬場で遺骨を一切拾わない選択ができるかどうかを調べると=表=、やはり東日本では不可が多く、地域差が大きいことがわかった。

 〈自治体も始めた、終活のサポート〉
 近年問題となっているのは一人暮らしの高齢者の引き取り手のない遺骨の増加だ。身元も親族もわかっているのに引き取りを拒否される場合が多い。
 神奈川県横須賀市では2000年代半ばから無縁納骨堂に入る遺骨が急増したため、15年「エンディングプラン・サポート事業」を開始。葬儀や納骨について葬儀社と生前契約をかわすなどの手続き支援も行い、自治体による終活支援として注目されている。18年には全市民を対象にした終活サポートもスタート。同市福祉部次長の北見万幸さん(60)は「お骨の行き先の選択肢は多いが、それが本人の希望かどうか、生前に意思を聞いているかどうかが大事」と言う。死後の尊厳を社会で考える時代が来ている。(林るみ)
2019-02-23 : 新聞・書籍・TV :
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