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新聞記事 『死を語り合い 生を見つめる』

 本日の『朝日新聞』文化欄に、「死を語り合い 生を見つめる」という見出しの記事が掲載されたので、紹介します。
 人間誰しも死は恐怖であり、忌み嫌われるものです。だから、来てほしくない、遠ざけたい、考えたくない死について、語り合うことは普通はしません。死を忘れて、生きることばかりを考えているのが私たちの生き様です。
 そうした世間の風潮の中で、お茶を飲みながら気軽に死について語る「デスカフェ」とか「死生学カフェ」と呼ばれるイベントが広がっているということです。気軽に死を考えるカフェ形式の場は、もともとスイスの社会学者が妻との死別を機に2004年に始めて、欧米を中心に50カ国以上に広がり、我が国においても、そうした試みが始められているようです。本記事は、各地で催されている「デスカフェ」の事例をあげて、「死を語り合う文化」が日本にも根付くだろうかという。
 
『朝日新聞』 平成30年6月20日付け
朝日新聞 18 6 20
(以下に上掲の新聞記事を転載)

 不吉。暗い。「死」はとかくタブー視されがちだ。しかしいま、飲み物を片手に、気軽に死を語るイベントが広がっている。名付けて「デスカフェ」。あるいは「死生学カフェ」。欧州発で広がってきた「死を語り合う文化」は、日本にも根付くだろうか。

 〈「デスカフェ」催し各地で〉
 福祉施設の一室で、30~60代の男女8人がテーブルを囲んだ。
 死ぬのが怖いと語る男性がいる。親の死のほうが怖いと話す女性もいた。そんな話をしながらも時々、笑いが起きる。緩和ケア認定看護師をしている30代の女性は「自分の死生観がないと、目の前で死にゆく方を受け止められません」と語った。
 仙台市で5月に開かれたデスカフェの様子だ。
 主宰する鍼灸(しんきゅう)指圧師の庄子昌利さん(50)は2010年に妻を亡くした。周りは気を使い、触れようとしない。誰にも苦しさを語れなかった。しかしグリーフケア(悲嘆の癒やし)の専門家に巡り合い、楽になる。欧米で盛んなデスカフェを知ったのはそのころだ。死別経験者に限らず、誰でも自由に「死」について語ることができる場――。理念に共鳴し、15年からデスカフェを始めた。「良く生きるには『生』だけを考えていても限界があります」
  
 〈自分への弔辞に涙〉
 カフェのスタイルは多様だ。
 東京の築地本願寺が5月に銀座で開いたデスカフェは、ワークショップ形式を採り入れた。30~40代の女性7人がペアとなり相手の弔辞をつくる。「人生で大切にしてきたことは?」。話を聞き取り、弔辞を書いて読み上げる。一人の女性(45)は自分への弔辞に涙を浮かべた。「死んでも、私を分かってくれる人がいると想像するとうれしくて……」
 浄土真宗本願寺派の若手僧侶たちが企画し、15年から京都市などで開いている。中心メンバーの霍野廣由さん(31)は、非日常的な設定から人生を見つめ直す場の意義を説く。
 統計数理研究所のリポートによると、日本で信仰を持つ人は3割前後。京都大こころの未来研究センターの広井良典教授は著書『死生観を問いなおす』で、「死生観の空洞化」を指摘する。「死の意味がわからない」と同時に「『生の意味づけ』がよく見えない」状況という。

 〈高校生や大学生も〉
 そうした背景からか、静岡市で開かれる「死生学カフェ」には高齢者だけでなく、高校生や大学生を含め約30人が集う。代表の竹之内裕文・静岡大教授(哲学・死生学)は、「若者は年配の方とは違う切実さを持って、なぜ生きるのだろうといった問題を考えている」と見る。
 自身は19歳で父親を亡くしたことを機に、哲学の道に進んだ。「私たちはみな死すべき者。その絆を作りたい。価値観が多様化する現代では、宗教者や医療者などの専門家が死の問題を一手に引き受けるのは難しい。むしろ様々な人との対話を通じて学ぶアプローチが有効です」
 「生きることと死ぬことに境はあるのか」をテーマにした回で、ある女性は半年前に父親を亡くした体験から「川は海に流れ込んでいき、淡水と海水が混じり合う。生と死はそんな関係に思えます」。そこから話題は、そもそも「生きる」とはどういうことかへ移っていった。

 〈欧州発祥、50カ国以上に 英では政府支援、3万人参加〉
 気軽に死を考えるカフェ形式の場は、欧米を中心に50カ国以上に広がる。スイスの社会学者が、妻との死別を機に04年に始めたとされる。
 英国では09年、政府の支援を受けた「死にゆくことについて語ろう」連合が発足。医療関係者や宗教者ら3万人が参加する。死を語る文化は草の根に広がり、11年以降デスカフェが1300回以上開かれてきた。
 第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員は「欧米のカフェは安楽死問題などをテーマに、とことん死を直視させる。自分がいかに周囲の人に支えられているかに気付かされる。日本でもそんなカフェが根付いていってほしい」と話す。(磯村健太郎)
2018-06-20 : 新聞・書籍・TV :
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炭鉱写真集の紹介

 先日、ご門徒の方から今では入手出来ない貴重な2冊の炭鉱写真集を寄贈されました。その一つは平成7年(1995)12月に発行された『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』、もう一つは平成10年(1998)3月に発行された『炭鉱ー有限から無限へー』で、両書とも炭鉱写真集編集委員会が編集し、宇部市が発行したものです。
 この2冊のうち、前書は、4年前の本ブログ(「大嶺炭田の歴史」)の中で紹介しました。その記事は、山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真を掲載する目的で、一時的に借用したその本の写真を利用したものですから、本自体については詳しく触れませんでした。このたび改めて編集後記を読んだところ、両書が刊行されたいきさつが次のように述べられています。
 平成4年秋、宇部市立図書館は、炭鉱と炭鉱にたずさわった人々を顕彰する意図をもって、写真展『宇部炭鉱展』を企画したところ、写真集の刊行の希望が寄せられたため、宇部市立図書館に事務局を設置し、宇部炭田のみならず、大嶺炭田、津布田炭田など、いわゆる山口炭田の炭鉱跡の現状調査や炭鉱関係の写真約6,000点が収集されたということです。
 収集された写真を整理・選別して戦前篇と戦後篇の二部構成に編集し、最初に戦後篇が『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』として、続いて戦前篇が『炭鉱ー有限から無限へー』として刊行されました。現在では入手不可能な貴重な写真が多数掲載された2冊の写真集が寄贈されたので、今後、私が最も関心のある大嶺炭田関係の写真を中心に折を見て紹介したいと思います。
 なお、著作権の問題ですが、前述した4年前の本ブログに鳥瞰写真を利用する際、宇部市立図書館に書面でもって写真をブログに転載する許可を求め、了解を得ていることを付記しておきます。

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(表紙)、平成7年(1995)12月刊行
炭鉱1表

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(裏表紙)
炭鉱1裏

『炭鉱ー有限から無限へー』(表紙)、平成10年(1998)3月刊行
炭鉱2表

『炭鉱ー有限から無限へー』(裏表紙)
炭鉱2裏
2018-05-10 : 新聞・書籍・TV :
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新聞記事 「肉食妻帯は僧の堕落?」

  昨日の朝日新聞文化欄に 「肉食妻帯は僧の堕落?」という見出しの記事があったので紹介し、私なりの説明をしてみたいと思います。「肉食妻帯(にくじきさいたい)」とは、僧が肉を食べ、妻をめとることを意味するが、いわゆる「生臭(なまぐさ)」と称する肉や魚などを食べ、結婚しても良いのだろうか、それは堕落ではないのか、という僧侶に対する疑問が本記事のテーマです。
 仏教の歴史はインドでブッダ(釈尊)が仏教を開いて以来およそ2,500年、日本に仏教が伝来してから約1500年という長い歴史を有しています。その間、仏教は発祥国のインドから東アジア、東南アジアの諸国へと伝播し、その受容の様態はそれぞれに異なっています。とりわけ日本の仏教は、僧侶の肉食妻帯が他の仏教国に見られない大きな特徴といえます。
 肉食妻帯の僧侶といえば、鎌倉時代に活躍し、私たち浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が有名です。当時の僧侶は家を出て、家族と離れて仏道に入り、厳格な戒律を守って修行をする出家者でした。聖人も出家して比叡山で20年にわたって厳しい修行を続けた末に山を下り、法然上人の弟子になって浄土教の教えに導かれました。その後、非道徳で、伝統的な仏教の秩序を乱すと非難されたにもかかわらず、聖人は恵信尼(えしんに)を娶り、子どもをもうけ、生臭を食べて一般民衆と同じように在家者として仏の道を歩まれました。このように聖人が在家僧として生涯を貫かれたのは、出家修行や身分・家柄などに一切関係なく、誰でも阿彌陀仏の本願を信じる者は、ただ念仏を称えるだけで救われることを確信されたからに他なりません。
 出家せず、無戒の在家主義が浄土真宗の宗祖以来の伝統です。他方、出家し受戒する出家主義を旨とした他の宗派も明治政府が「肉食妻帯勝手たるべし」という法令(明治5年・1872)を出して以来、戒律を守り、出家主義を貫く一部の僧侶を除いて、すべての宗派の僧侶が肉食妻帯し、世間一般の人と同じ生き方をしているのが日本の僧侶です。このような僧侶が堕落していると言えるのかどうか、それは僧侶一人ひとりの生き様が決めるのではないかと思います。 

『朝日新聞』平成30年3月4日付け
修正20180305183353_00001
(上掲記事の本文を以下に転載)

古代インド。俗世から離れた出家者は、独特の規律で生きていた 。人々は出家者に食べ物などを施して功徳を積み、出家者は施されたものを頂いた。肉も食べた。諸説あるが、お釈迦さまが最後に食べたのは豚肉料理だったとも伝わる。出家者が食べなかった肉は、国王が所有する象や卑しい動物と考えられた犬だった。
  東京大大学院の蓑輪顕量教授(インド哲学・仏教学)によると、仏教には、殺しや飲酒など、してはいけない五戒があるが、肉食は含まれていない。
  時代が下り、一般にも輪廻(りんね)思想が広まった。先祖が動物に生まれ変わったかもしれない。その肉を食べられるのか。さらに、肉を食べるには生き物を殺さなければならず、殺生を禁ずる五戒に背く。そんな考え方が広がり、3~4世紀には肉を食べなくなった。異性とは、よこしまな関係が禁止されていた。

6世紀、仏教が日本に伝わった。肉は薬として食べられるだけだった。だが平安時代、出家した貴族が妻を持ち、子孫を残すようになった。神と仏が結びつく神仏習合も影響した。神宮寺という寺が神社にできたが、神社のありように影響され、その住職が結婚していた可能性も考えられる。蓑輪さんは「貴族の出家と神仏習合が、日本の僧侶が妻を持つ基礎になったのではないか」と言う。
  独特な発展をとげた日本仏教の特徴も大きい。古代インドと違い、日本では、世俗のなかで普通の人たちと暮らしながら、仏道を歩む出家者がいた。
  その1人が「非僧非俗」を生きた親鸞(1173~1262)だ。29歳で比叡山を下り、浄土宗の開祖・法然に弟子入りした。その後、結婚し、子どもをもうけた。親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派の総合研究所の満井秀城副所長は「妻帯を公言した初めての僧侶」と言う。
  結婚した理由に法然の言葉が考えられる。「念仏をとなえることが第一。結婚しないと念仏をとなえにくいのであれば妻を迎えなさい」という内容だ。親鸞はこの教えを実践し、浄土真宗の僧侶は肉食妻帯をしてきた。他宗からは非道徳的、伝統的な秩序を乱すと批判された。

  転機は1872(明治5)年。明治政府が太政官布告という法令を出した。「肉食妻帯勝手たるべし」。僧侶が肉を食べるのも結婚するのも、ご自由に――。そんな内容だ。
  明治政府は欧米にならって近代化をはかり、神道の国教化を進めた。68年に神仏判然令を出し、それまで結びついていた神と仏を分けた。仏像やお堂などを壊す廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が全国に広まった。仏教の力がさらに弱まったのが肉食妻帯だ。浄土真宗以外の僧侶も結婚するようになった。世俗とは違う価値観で生きていた僧侶が普通の人たちと同じような生活になることで、聖性が薄まっていった。
  明治から150年の今も禅宗の臨済宗では、結婚した僧侶はトップの管長になれない。だが、大半の寺は世襲だ。
  満井さんは「僧侶が地域に根づくことで、地域の人に安心感を与えられる」と世襲のメリットを挙げる。一方、安住することで向上心に欠けるというマイナス面もある。「僧侶が肉食妻帯のように同じ生活形態に身を置き、同じ目線を持って人々の苦に向きあうことが大切だ」
 (岡田匠)

(コラム) 花開いた「半僧半俗」 (宗教学者・釈徹宗さん)
  日本仏教の特徴は、世俗にあって仏道を歩むことです。僧侶が普通に社会生活を営み、仏教をわかりやすく説いてきました。一方、世俗から離れるという本来の仏教が持つ出世間性は薄まりました。でもなんとか続いてきた。この微妙なバランスが、明治政府の「肉食妻帯勝手たるべし」で崩れたと言えます。
  半僧半俗のような独特な日本仏教を「在家中心の仏教」とみれば相当、花開いたと言えます。死と向きあい、悲しみに寄り添い、多くの文化を生みました。出家者が身を清潔に保つことから歯磨きも入浴も仏教がもたらしたと言われます。ローカリズム仏教と呼んでいますが、地域ごと寺を支えてきました。地域コミュニティーが崩れ、日本仏教は衰退したと思われがちですが、むしろ可能性に満ちている。若い僧侶を中心に、地縁血縁に頼らず公共性の高い取り組みが広まっています。
  日本仏教には密教、念仏、禅、法華経、華厳経など様々な系統が途切れることなく続いています。世界でも、まれです。仏縁豊かな日本仏教をたどって頂きたいと思います。
2018-03-05 : 新聞・書籍・TV :
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新聞記事 『美祢で貴重な化石発見』

 美祢市で2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、国内で初めて発見されたという記事が本日の新聞各紙に掲載されたので紹介します。このニュースは昨日のNHKや民放テレビ各局でも報道されていたので、大変貴重な発見だということでしょう。
 この発見の詳細については、「山口新聞」の記事を下に転載したので参照してください。また、読売、朝日、毎日の各紙の記事も合わせて載せておきます。

『山口新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時10分53秒修正
(上掲の「山口新聞」記事の本文を以下に転載)

 美祢市は13日、2億年以上前に生息していたとされる陸上脊椎動物「ディキノドン類」の化石が、同市にある約2億3千万年前の地層から見つかったと発表した。同類の化石発見は国内で初めてで、衰退期の分布を知る上で重要な手掛かりになるという。
 化石は2010年5月に同市大嶺町奥畑の市化石採集場で見つかった。採集体験に訪れていた周南市の建設会社社長、原田基也さん(60)が家族、親族とともに歯と顔の骨の一部の化石を発見し、市に寄贈した。歯冠部の大きさは3センチほど。市から調査の依頼を受けた愛媛大大学院理工学研究科の楠橋直助教が歯の形や位置などからディキノドン類と判断した。
 楠橋助教らによると、ディキノドン類の衰退期の化石の発見は世界的に珍しく、アルゼンチンやアメリカなどで見つかってはいるが、東アジアでは初めて。陸上の脊椎動物では日本最古の発見という。楠橋助教は「衰退期のディキノドン類がどのように分布していたかを知るための重要な手掛かりとなる」と話している。
 化石を”掘り当てた“原田さんは「化石のまち美祢市にふさわしい発見に携われたことをうれしく思う」と笑顔。西岡晃市長は「今回の発見が美祢市の自然史に対する理解、ジオパーク活動の活性化につながり、市民の皆さんのさらなる郷土への愛着醸成につながることを願っている」と期待を込めた。
 化石について市教委は、「できるだけ早い時期」に市歴史民俗資料館で展示する予定。市化石採集場は追加調査のため、11日から一時閉鎖している。
 同類は3億年前から2億年前に生息していたとされる植物食の動物。太い犬歯状の歯が特徴で、世界的に見ると現在までに体長がネコからカバほどの大きさだったとみられる数十種の化石が見つかっている。

『読売新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時09分50秒修正

『朝日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時33分17秒修正

『毎日新聞』 平成30年2月14日付け
2018年02月16日17時08分30秒修正
2018-02-14 : 新聞・書籍・TV :
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新聞記事 『これからの弔い』

 今日の朝日新聞に『これからの弔い』という見出し(表題)で、「高齢化社会は、多死社会の到来でもあります。核家族化や過疎化が進み、家族や地域のつながりが薄れました。これまでのような葬儀や墓のあり方が成り立たなくなり、寺や僧侶の存在意義も問われています。これからの弔いは、どうなっていくのでしょうか。」という問いについて、小谷みどりさん(第一生命経済研究所主席研究員)が急激に変化している現代社会において葬式や墓をめぐって生じている様々な問題について事例をあげて述べています。
 そして、それに答えるかたちで、僧侶の松本紹圭さんは葬儀や墓といった死者供養も世相を反映して変わっていくのは当然であるけれど、葬儀や法事がなぜ大切な儀式であるか、墓の持つ意味は何かについて述べ、それに関わる僧侶や寺のこれからのあり方として、存在価値が認められ、気軽に相談できる「かかりつけの寺や僧侶」になれるようにと提言しています。この新聞記事の詳細は下記に転載していますのでお読みください。、

『朝日新聞』 平成30年1月20日付け
朝日(18 1 22)
上掲記事の本文を以下に転載します。

「従来の葬式・墓、意味が希薄に」  
           小谷みどりさん(第 一生命経済研究所主席研究員)
 終活ブームです。家族に迷惑をかけたくないと、自分の葬送を準備する人が増えましたが、よく考えるとおかしな社会です。昔は自分の死は、残された家族が考え、子どもがいなくても町内の人が総出で葬式をしてくれた。社会は手間のかけあいですが、手間が迷惑かどうかは人間関係によります。迷惑をかけたくないということは、相手との信頼関係がないということです。死者と残される人の関係が大きく変わってきました。
 背景にあるのは、地域という横のつながりの崩壊、家族という縦のつながりの希薄化です。
 核家族化が進む一方、死亡年齢は高齢化しています。1980年まで65歳以上の半分は3世代同居でした。近所づきあいがあり、死亡年齢も高くありません。今は、死亡した男性のうち80歳以上が半数、女性にいたっては90歳以上が4割近くもいます。子どもや親戚、友人も高齢のうえ、残される人自体も少ないのです。
 孤独な死を迎える人もさらに増えるでしょう。50歳の時点で1回も結婚したことのない割合(生涯未婚率)も増えています。2015年の統計で男性は23%に上ります。厚生労働省の調査では、65歳以上の一人暮らしの男性のうち6人に1人は2週間に1回も会話しません。親族は疎遠で、遺骨の受け取りすら拒否されます。
     
 社会が急激に変化していくなか、葬式や墓を巡る様々な問題が顕在化しています。
 葬式や法事を仏式でするのは日本の慣習でしたが、葬式や法事が変わった今、信仰がない人には、お布施は不透明で高いと感じられます。明瞭廉価な料金でのインターネットによる派遣僧侶も登場しています。これまでのように経営基盤を葬儀や墓に頼っているだけでは寺や僧侶は不要になります。
 そもそも葬式には、死者をあの世に送る宗教的な葬儀式と、死者との告別式とがありますが、宗教儀式の意味は薄れています。バブル期には多くの僧侶を呼び、長い戒名をつけ、高いお布施を払っていましたが、信仰心より見えと世間体の表れでした。今は家族葬のような小規模化が進んでいます。直接火葬場に行く直葬など葬儀をしない人もいます。
 一方、親の意思で葬式をしなかった遺族が、親の死を頭で理解しても五臓六腑(ごぞうろっぷ)で受け入れられない、という例もあります。
 墓を巡っては、故郷の墓を閉じる墓じまい、近くの寺や公営墓地に移す墓の引っ越しも盛んです。その際、離檀料(りだんりょう)と称して金銭を要求する寺があります。金額の根拠が不明なのが問題です。都内の寺に墓のある人は、遺骨20人分で1千万円を請求されました。
 無縁墓の増加も深刻です。墓地の3割程度が無縁化している自治体もあります。草ボウボウの墓がたくさん見られます。
 家を母体にした墓石から散骨、納骨堂、樹木葬の墓など多様化しています。姑(しゅうとめ)と同じ墓は嫌という人もいます。共通するのは次世代への継承を前提にしていないことです。墓は生きた証しや死後の住みかと捉える人が増えています。
 数々の問題は、弔いが無形化していることを示しています。
     
 日本人は二つの死生観を持っています。「死んだら無になる」と考えるのは、自分が死んだ場合。大切な人が死んでも無になるとは思いません。「千の風になって」でも、風になって見守ってくれると考える。宗教を信じない、信仰はないと言いながら、大切な人が無になるとは思っていません。
 団塊の世代の多死社会が本格化し、経験したことのない時代が目の前にやって来ています。誰に死後を託すのか。どう生き、どう逝きたいのか。一人ひとりに突きつけられた問いです。

「人生の苦に『かかりつけ寺』を」  
            松本紹圭さん(僧侶)
 仏教は歴史があまりに長く、寺や僧侶の本来的な存在意義が見失われがちです。社会や家族のあり方が加速度的に変わり、葬儀や墓といった死者供養でも今までの型は維持できません。今こそ、より深く原点に返るべきです。しがみついているものを手放し、より大きな視点で見る必要があります。
 寺や住職のあり方を見つめ直す「未来の住職塾」を開いています。卒業生は約500人。自分の寺を守れるのか、次世代にどうバトンを渡すのか。このままだと寺は若者にとって負の遺産になります。住職塾では寺が何のためにあるのか考え、檀家(だんか)や住民と率直に話す機会を持ちます。だんだんと地域の抱える苦が見えてきます。
 葬儀や法事だけすればいいという今までの寺のあり方が単純すぎました。価値観、経済力、家族構成など多様性が増すなかで、寺との関係がしっくりきていない人たちに、ちょうどいい距離感で関係を持つことができる柔軟な仕組みを示すべきです。ポスト檀家制度時代における寺の新しい会員制度のデザインが求められています。
 この世は諸行無常です。一切は変化すると、仏教自身が言っています。当然、葬儀も墓も世相を反映して変わっていきます。
 葬儀や墓はいらないと言う年配者が増えていますが、かつてのお年寄り世代は「死では終わらない命の物語」を持っていました。浄土、天国、あの世、来世、極楽……。最近の若い世代では再び死後の物語を信じる人が増えているのが面白い傾向です。
     
 いま個人的に重視しているのは「トランジション(遷移、変わり目)」というキーワードです。誕生、受験、就職、結婚、病気、そして死。長寿時代の人生はさまざまな変化に満ちています。
 人生をこうしたいと願っても思い通りにならないことを、仏教では苦と言います。トランジションのタイミングは、自らの苦を見つめ、苦に学び、苦を抱きつつ、それにとらわれない生き方へと転換するきっかけを与えてくれます。最たるものが近しい人の死です。
 遺族は何を失うのでしょうか。人生相談に来た女性の話です。仲の良かった母が急死した。彼女は、母という存在だけでなく、母といたときに起こってきた私自身の感情や考え、行動も失います。母の死によって「私の一部」も失うのです。その意味で、亡き人の葬儀は私自身の葬儀でもあるのです。法事も墓もそう。亡き人を追慕し、亡き人を失った新しい私を少しずつ受容するプロセスです。葬儀なし、墓なしは、そのような大切な機会を奪っています。葬儀は、残された人にこそ重要です。
     
 インターネットで僧侶派遣を頼む人が増えています。お経をあげてくれれば誰でもいいなら僧侶の将来はAIロボットに取って代わられるでしょう。戒律は破らず、お経も完璧。合理性なら人間に勝ち目はありません。しかし、その時代には「人間とは何か」という根本が問われます。合理性で解決できない領域を扱うのが宗教であり、僧侶が根本の問いを持ち続ける限り、役割はあると思います。
 経済的合理性という観点からも僧侶派遣は、やや疑問です。お布施を定額にして明朗会計をうたっていますが、中間業者が入れば余分なコストが生まれます。また、短い間に利益をめざす企業の論理は、死を受け入れるという長期のプロセスを扱うのに適しません。
 顔の見えない派遣に頼る前に、まずは近くの寺に相談してはどうでしょうか。ホームページを工夫してコミュニケーションの入り口を開いているので、葬儀や法事を直接頼める寺が増えています。あなたにぴったりの「かかりつけのお坊さん」を見つけて下さい。
 (聞き手・いずれも岡田匠)
2018-01-20 : 新聞・書籍・TV :
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プロフィール


浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

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