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宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

ツバメのヒナの誕生

 保育園の園児さんが出入りする玄関口にツバメが巣を初めて作ったのは2年前の6月下旬でした。その年の様子は本ブログに3回()載せました。昨年も5月下旬にその巣でヒナが誕生したことを載せました。その後、新たな巣を作って2度めの産卵、ヒナの誕生巣立ちがあったこともお知らせしました。
 3年目の今年もツバメが戻ってきて、昨年とほぼ同じころにヒナが誕生しました。今年は横一列に顔を並べたヒナの整列を撮ることが出来なかったので、正確に何羽のヒナが誕生したのかわかりませんが、おそらく6羽だろうと思われます。巣立ちして親鳥の勤めが一段落すると、昨年作った柱の反対側の巣で二度目の産卵をするのではないだろうかと思います。
 今年4月30日の「朝日新聞」に「わが街のツバメを探しに行こうよ」というタイトルの記事が載りました。それによれば、以前からツバメの減少が心配され、その原因として巣を作る材料や餌を集める田や畑の減少、天敵のカラスの増加などが考えられるということでした。そして日本野鳥の会が3年前に全国調査「消えゆくツバメをまもろう」をスタートさせ、「子育て状況調査」と「わたしの町のツバメ情報」という2つの調査を全国規模で行っているそうです。
 保育園の玄関先に3年続けてツバメのヒナが誕生して、巣立ったことは、ここの巣がツバメにとって安心、安全な子育てに適した場所だとわかっているからでしょう。園児さんは園舎の内外でツバメのさえずりを聞き、ツバメの親鳥とヒナたちの様々な生態を身近に見ることによって、多くのことを学ぶでしょう。

顔が確認できる4羽と右端に少しだけ頭をのぞかせている1羽、左端に尻を外に向けている1羽の計6羽
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ヒナのフンを受ける新聞は毎日取り替えます
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2015-05-30 : 麦川保育園 :
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保育園のイモ植え

 今日は麦川保育園の年長さん7名がイモの苗植えに行きました。イモ畑は保育園から離れたところにあるため、行きは赤バスに乗って、バス停からは歩いて畑まで行きました。途中、いろいろ寄り道をして30分くらいかけて畑に着きました。準備を整えて、最初に先生から植え方を習います。全員、はじめての苗植えですから、どのように植えたら良いかわかりません。でも一応、なんとか苗は土の中に隠れました。
 イモ畑は広いので、一畝だけを園児さんが植え、残りは保育園の先生が植えました。イモ植えのあとは、木陰でしばらく休憩して、帰りはマイクロバスで帰りました。今度、園児さんが畑に来るのは、10月下旬のイモ掘り行事のときです。そのときに、自分の植えた苗が大きなイモとなって土の中から現れ出たとき、大きな歓声が聞こえることでしょう。

行きは赤バスに乗って
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公園の展望台で
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先生から植え方を習います
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苗植えに夢中
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植え終わってバンザイ
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おやつの時間
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疲れたので、ゴロリ一休み
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先生と記念写真
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帰りはマイクロバスに乗って
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2015-05-28 : 麦川保育園 :
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大谷本廟に納骨

 昨日から1泊2日で大谷本廟にご門徒の納骨のため、京都へ行って来ました。24日は日曜日とあって、大谷本廟はたくさんの参拝客でごった返していました。受付を終わって第二無量寿堂の納骨堂に三体を納め、仏前で読経して、無事、納骨を済ませました。
 翌25日は朝6時から本願寺(=西本願寺)の晨朝(じんじょう)にお参りしました。まず阿弥陀堂で『讃仏偈』、引き続いて御影堂で『正信偈』の勤行が勤まりました。勤行のあと、晨朝法話(大分教区・田中誠證師)を聴聞しました。今日は外陣に中央仏教学院か伝道院かわかりませんが、20代くらいと思われれる若い僧侶の一団が30人前後お参りされていたので、堂内は若々しい読経の声で満ち満ちていました。
 7時前に晨朝が終わったあと、清々しい青空の下、広い境内をしばらく散策しました。寛永13年(1636)に再建された御影堂と宝暦10年(1760)に再建された阿弥陀堂の両堂は昨年の9月、国宝に指定されました。現在ではまず入手不可能なケヤキの巨木をふんだんに用いた壮大な純木造建築は、お参りするたびに圧倒されます。
 境内の北東隅に隅櫓のように、新選組ゆかりの太鼓楼が建っています。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」は視聴率が芳しくないといわれますが、次第に話の筋が展開して面白くなって来ました。ドラマではこれから新選組が登場して長州藩士を襲撃した池田屋事件などの話が放映されることでしょう。その新選組の屯所として一時、太鼓楼が使われたということです。

(太鼓楼の案内板)
 新選組は、池田屋騒動(元治元(1864)年)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元(1865)年3月10日、屯所を壬生から西本願寺に移し、境内に新選組本陣の看板を揚げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用しておりました。
 本願寺は、長州との深い縁もあり、幕末の尊皇攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士達が、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺の中に本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでありました。
 新選組は、境内で大砲の空砲を轟かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうであります。
 新選組の活動期間は6年ぐらいであり、大部分が暗殺されていった中、結成時からの元隊士、島田魁が明治維新後、本願寺の守衛を勤め、終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたという話が伝わっております。
 明治6(1873)年、北集会所は姫路市の(亀山)本徳寺に一部移設されたため、現在の西本願寺に新選組の足跡を見るのは太鼓楼だけであります。


大谷本廟山門
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国宝・阿弥陀堂(あみだどう)
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阿弥陀堂中尊、阿弥陀如来
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晨朝時の阿弥陀堂内
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国宝・御影堂(ごえいどう)
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御影堂中尊、親鸞聖人像
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晨朝時の御影堂内
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御影堂での御堂法話(田中誠證師)
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新選組ゆかりの太鼓楼
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太鼓楼の案内板 (説明文は上掲)
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2015-05-25 : 県外 :
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サツキの盆栽

 盆栽の種類は大別して松柏盆栽、雑木盆栽、花物盆栽、実物盆栽、草物盆栽の5つがあるといわれます。ご近所の下野さんは長年、花物盆栽の一つサツキの盆栽を手がけておられます。どんな盆栽でも一年中いろんな世話が必要のようで、手をかけるか、手を抜くかによって如実にその姿、形、花の咲き具合などの違いが現れるもののようです。私自身は盆栽を育てたことがないので、その苦労は分かりませんが、育てるという意味では、子育てに通じるのでしょう。普段は裏庭で管理しておられるので観ることが出来ませんが、開花すると家の前の道を通る人が鑑賞できるように鉢が並べられます。

下野冨作男さんとサツキ
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2015-05-24 : 麦川地区 :
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石村勝宣画伯の個展

 昨日は周東文化会館パストラルホールで開催されている洋画家・石村勝宣さん(周防大島在住)の絵画展「ヒロシマー祈り」を友人二人と一緒に観に行きました。5年ほど前に高校の2学年下の同窓である石村さんの存在を初めて知り、その後、九州のデパートで開催された個展を見て以来、すっかりファンの一人になりました。
 今回の個展は石村さんが40年来、心を動かされながらも描けなかった原爆被災地・ヒロシマをテーマにしたということです。石村さんの話によれば、今から40年前に1年ほど広島に住んでいたとき、自転車で原爆ドームの前を通って画材店に行ったり、原爆資料館を訪れたりしているうちに原爆のむごたらしさを知り、いつかはそれを絵で表現したいと思っていたそうです。でも被爆者の悲惨な有り様を知れば知るほど、作品として仕上げることが憚られ、絵筆が持てなくなったそうです。今回の個展の依頼が1年前にあったとき、石村さんは精神的なプレッシャーと苦闘しながら長年の重い課題を果たそうと決意されたようです。
 作品「炎Ⅱ」と「炎」では、紅蓮の炎が燃え上がる中で蝶で表現された人間のいのちが悲しく昇天する姿を表しているのでしょう。ボタンの花が尽きせぬ悲しみを慈しみ、癒してくれるように思われます。
 作品「祈り」は、修学旅行生と思われる一団が「原爆の子の像」の前で黙祷している後ろ姿から、白血病の回復を願って鶴を折りながら亡くなった同じ年頃の少女に対する悲しみが観るものに共感を与えます。
 作品「記憶」も生徒の一団が社会見学に原爆ドームを訪れている様子です。原爆の惨状を今に伝えるドームを自分の目で見て、感受性豊かな若者たちが戦争の悲惨さを心に刻むことでしょう。
 作品「青葉したたれ」は、奇跡的に残った外壁とドーム天井の鉄骨が剥き出しなった原爆ドームは解体すべきとの根強い意見があったそうですが、1歳で被曝し、16歳で白血病で亡くなった楮山ヒロ子さんが「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」と書き残したことが保存運動のきっかけになったそうです。
 作品「泉」は、喉の渇きを訴えて、しきりに水を欲しがった被爆者を黒い岩で表し、その岩の間から清らかな一条の水が流れ落ちて、被爆者の喉を潤している様を描いているのでしょう。
 作品「肖像」は一見、広島や原爆と無関係のように思われますが、人が纏っている新聞に原爆忌の式典などを伝えるニュース記事が実際に読み取れるように正確に再現されています。その精緻を極めた新聞記事の微細表現に驚嘆を禁じえません。石村さんによれば、この作品はかなり若いときに描いたもので、今は目が悪くなったので、もう二度とこうした細密描写は不可能という話です。展示されている9つの作品は50号から150号までの大作ばかりです。
 なお作品の撮影とブログへの掲載は石村さんの許可を得ています。

パストラルホール入口前の看板
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作品「炎Ⅱ」の前の石村勝宣画伯
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作品「炎」]
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作品「祈り」
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作品「記憶」
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作品「青葉したたれ」
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作品「泉」
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作品「肖像」
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作品「ドーム」
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作品「船」
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2015-05-22 : 山口県 :
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昔の麦川地区の写真

 ご門徒の池田実さん(美祢市大嶺町中村)から昔の貴重な写真をご提供いただいたので3枚を掲載します。
 1枚目は下に載せた山神社のお祭りに麦川小学校のグランドで開かれた田舎相撲の写真です。撮影されたのは昭和14年です。行事役は白足袋に草履を履いて正式な装束を身に付けた本職のような格好の行事さんです。土俵の隅に座っている背広を着た二人は勝負審判の役でしょう。土俵上で構えている力士や出番を待って土俵下にいる力士の体格や格好を見ると素人力士であることがわかります。盛り土をして土俵をこしらえ、四方に柱を立てて屋根を付けたちゃんとした土俵のようですから、熱の入れようがわかります。写真中央に白く写った建物が見えます。これは戦前に奉安殿と呼ばれた建物で、中に天皇の写真(御真影)と教育勅語とが収められていたということです(池田さんのお話)。左奥に見えるのが建て替わって今はない小学校の昔の校舎です。
 2枚目の写真は石炭を運ぶ空中索道です。私たちは「ナベ」と呼んでいたものです。この索道は海軍省が大嶺炭田を経営していた時代の明治38年に最初に架設され、そののち大正8年と昭和12年に新索道が完成し、昭和36年に廃止になるまで稼働していたそうです。桃ノ木や櫨ヶ谷の坑内から搬出した石炭を半トン積めるバケット(ナベ)で麦川の選炭場まで運んでいたもので、写真の上方にケーブルに吊るされたバケットが見えます。索道の下にネットが張ってあるのは、万一バケットが落下しても被害を及ぼさないための保護ネットです。後方に三角形をした麦川のボタ山が見えます。
 3枚目の写真は白岩地の市の事にあった山神社です。この神社は炭鉱で働く従業員の安全を祈祷する目的で建てられたようです。池田さんのお話では、建立されたのは昭和11年に日産化学が炭鉱の経営権を得た直後ころだろうということです。昭和45年に山陽無煙が閉山したあと宇部電気化学が山神社に煙突を立てるまで建物は存在していたようです。今は参道が封鎖されたため、神社のあった山に上がることは出来ません。近所の人の話では今は何も残っていないそうです。私たちが子どものころはこの山神社にたびたび上がって遊んだり、中学のクラブ活動で山神社まで走ってトレーニングする所でした。写真を見ると、ずいぶん大きな社殿が建てられていたようで、その前に一対の石灯籠と獅子が置かれています。昔の記憶を呼び起こす懐かしい写真です。

麦川小学校グランドでの相撲大会
麦川小学校 相撲

桃木から麦川までの空中索道(通称ナベ)
山陽無煙 策動(修正)

市の事にあった山神社
山神社
2015-05-16 : 麦川地区 :
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5月の花

 5月も中旬になり、日によっては汗ばむほど気温が上がることもあります。寺や宝林廟の境内地にはいろんな花が次々と咲いては散り、咲いては散っていく様を見ると、花のいのちの短さを感じるとともに、はかない人の一生も同じだと思います。下に載せた写真は5月に入ってから撮ったので、すでに散り終えたもの、まだ咲いているものなど様々です。肥料もやらず、放ったらかしにしていても、ひと時の美しさを楽しませてくれる花は無償の恵みを人に与えるものと思います。

シャクナゲ (寺の境内)
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シャクヤク (寺の境内)
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オクラレルカ (宝林廟参道)
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名前は不詳 (宝林廟参道)
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シラン (宝林廟参道)
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2015-05-15 : 西音寺 :
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花まつり、降誕会法要

 西音寺の「花まつり・降誕会法要」は9日(土)・10日(日)の二日間、勤められました。9日は「花まつり」で、これは仏教の開祖であるお釈迦さまのお誕生をお祝いする法要です。そして10日の「降誕会」は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のお誕生をお祝いする法要です。西音寺ではこの二つの法要を毎年、麦川保育園との共催で行い、両日とも園児さんが参加します。
 園児さんが献花をし、甘茶を灌いで、歌を歌い、踊りをして、象さんのパレードなど、園児さん主体の行事になっています。また、抹茶を接待するお茶席、いろんな景品が当たる福引、園児さんの保護者の方によって軽食喫茶、不要品バザーなども開かれます。最後に餅まきが行われて、二日間の行事を盛大かつ無事に終えることが出来ました。
 園児さんにとって、こうした行事に参加した思い出はいつまでも心に残っているようで、成人したあと縁あって寺にお参りされたとき、昔を懐かしんで、保育園のころこの本堂で踊りましたとか、白象を引くパレードに参加しましたと、回顧して話される方がいらっしゃいます。

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献花
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お釈迦さまに甘茶を潅ぎます
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麦川町をパレード
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白象を引きます
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園児さんの踊り
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新入学のお祝いに出席した一年生
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2015-05-12 : 西音寺 :
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新緑に包まれた宝林廟

 こどもの日の今日は初夏を思わせる陽気になり、行楽地はさぞ多くの人で賑わったことでしょう。私は寺の仕事のため、一日家に居ましたが、朝から真っ晴れのお天気でしたので、新緑の美しい宝林廟に上がって写真を撮りました。宝林廟の花筒にはどなたかお参りされたようで、新鮮な生花が供えられていました。
 参道脇は若葉に覆われた桜の木々やアジサイがすっかり緑の装いをして、ゆっくりと歩いて上がると気持ち良いです。昨年は、夜間に鹿が出没してアジサイの新芽や花芽を食べる被害があったので、近所の方が侵入防止用にネットを張ってくださいました。さて、今年は鹿の被害が防げるかどうか、これからが注意して見守る時期になりました。

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2015-05-05 : 宝林廟境内 :
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浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
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