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イギリスから墓参に

 2年前の今日、すなわち2013年11月28日、イギリスから原本光子さんとご子息のリチャード・シンプソンさん(Richard Simpson)のお二人がお墓参りに来寺されたことは、本ブログでお伝えしました。
 今日の午前、私が「お取り越し」のお参りから戻って来たところ、待たせてあったタクシーに乗って、これから新幹線駅まで行こうとしていた原本さん親子と偶然にも出くわしました。前回、お別れするとき、また来られるときは事前にお電話をくださいと約束していたにもかかわらず、連絡なしに来寺されました。寺に誰もいなかったので、納骨堂にお参りして帰ろうとしていた矢先だったということです。本当に間一髪の再会でした。会うなり、お経を上げてほしいのですが、と所望されたので、納骨堂に戻って墓前でお勤めをしました。
 私の次のお参りの予定が入っていたので、ゆっくりお話しする暇もなく、帰りぎわに来寺記念の写真を納骨堂の前で撮りました。今年、76才になられたという原本さんは以前と変わらないお元気な様子でしたが、ヘルニアになったので、歩くのが少しきついが、息子さんと一緒だから安心です。生きていたら2年後にまたお参りに来ますよと話されて、帰って行かれました。

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2015-11-28 : 西音寺 :
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美祢坑外展望 (4)

「美祢坑外展望」と題する山陽無煙鉱業所の社内新聞の記事をこれまで(1)(2)(3)と紹介しました。今回はその4 「職場めぐり クレーン係」です。
  下の新聞記事に、「天井走行クレーン」の写真が載せられています。このクレーン建屋は現在も残っていて、宇部興産の子会社「宇部サンド工業」が使用しています。今年撮った建屋の写真を下に載せておきます。

現在、宇部サンド工業が使用している「天井走行クレーン建屋」
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「美祢坑外展望 職場めぐり」
美祢坑外展望4(修正1)
(上掲記事の本文を下に転載)

【美祢坑外展望】 職場めぐり クレーン係
 クレーン係は、機電二課の二係に属し、定員四名が甲乙方に分かれて勤務をしている職場である。終戦から二十数年の歳月が過ぎ去ったが、炭界も好不景気と時代の流れと共に現在に至ったが、戦後炭界も増産態勢に入った。出炭量が増すにつけ、それにともなって、機械設備も近代化、大型化されて来た。水洗機も大型化され、能率の良いものに、次々と増設された。昭和三十年当時、水選炭(製品)の貯炭場までの運搬設備(エンドレース)では炭の運搬能力が限界に来た。
 変って新設されたのが、現在使用している天井走行クレーン(三トン)二台である。付属設備には、全長八十メートル、巾十五メートルを八ツに仕切った二千トンの貯炭槽と積込ホッパーがあり、坑内より一連の流れ作業で、炭が落ち着く末端職場である。勤務内容は、水選機において、厳密に水洗された製品(特炭粉等)七銘柄を貯炭槽内に製品と他製品が混合しないように貯炭するのである。発送係の要望により指定された製品を積込ホッパーに送炭しながら並行して、混炭機にも送炭するのが主な仕事内容である。
 また選炭課の要請により製品中の木片等、不純物を除去する作業も援助する。その他、重量物の移動、運搬等にも重要される。最近、製品の取り扱いは特に慎重を期するようになり、発送係の都合により、貯炭槽内の製品が順調に発送出来ない場合、各炭槽は貯炭の山をつくる。その場合、他の製品が混じらないように、炭槽から炭が出ないようにする、貯炭、送炭作業中は困難と共に、神経を集中しなければならない。この時は特に要注意だ。運搬前の厳密なる機械点検、整備は充分保安の面からも注意している。機械の故障時は、地上十数メートルの高所にて、足場の悪い状態の中で修理に取り組む時は、十五年以上のベテランも恐怖をいだく。寒い時、冷たい風が吹きまくる頃になると、昼間はもちろんだが、夜間は言葉に出しては云えないきびしさがある。
 三浦主任を先頭に小人数でガッチリと組み、十五年以上勤務の者がクレーンの操作と修理に日夜勤務についている。
2015-11-24 : 麦川地区 :
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山陽無煙関係の写真

 現在、白岩地区にお住まいの野村良子さんからお借りした山陽無煙鉱業所に関係した4枚の白黒写真を、お聞きした説明を加えて紹介します。
 最初の写真は山陽無煙・白岩社宅を撮ったものです。麦川川に架かる橋の手前に3人の女性が写っています。半袖姿で右端の女性は日傘を差しています。季節は夏のころでしょう。橋の向こうに平屋の社宅が見えます。社宅の多くは一棟が7軒からなる長屋で、地区ごとの町名がありました。写真の平屋は「南町(みなみまち)」という地区で、写真の左奥に見える二階建ての社宅は「西町(にちまち)」の第17棟で、野村さんご夫妻はこの棟に住んでいたということです。
 撮影日時は昭和30年前後だろうという話です。写真が撮影された場所と推定される所から撮ったカラー写真を参考までに載せておきます。60年前の白黒写真と比較しても、背後の山の形状に類似性がほとんど認められませんが、野村さんの言われるには、白黒写真に写っている橋は、カラー写真の「立入禁止」の看板が立つコンクリート製の橋と同じ位置であったそうです。
 二枚目の写真は白岩社宅の中にあった映画館の前での集合写真です。山陽無煙鉱業所70周年記念の行事として社宅の各地区ごとに仮装大会が行われ、西町は「大名行列」という出し物の仮装をした時の記念写真で、撮影日時は不明ということです。昭和30年代後半か40年代の始め頃ではなかろうかと推測されます。
 三枚目は今月初めに亡くなられた、良子さんのご主人の野村哲司さんが山陽無煙に入社した昭和25年かその翌年ころに、坑内入口で同僚の人たちと撮った集合写真だそうです。この坑道が山陽無煙に何本かあった坑道入口のどこに当たるのか、詳細は不明です。
 最後の四枚目は麦川のボタ山です。撮影場所は麦川町の国吉旅館の前から坂道を登って行った所にあった「お旅所(おたびしょ)」から撮影した写真だということです。現在、ボタ山はかつて私たちが見上げていた真っ黒い山の原形を留めていませんが、この写真を見ると、昔のボタ山が懐かしく思い出されます。
 かつて地域が炭鉱で栄えた時代を知る人は年々、少なくなっています。少しでもその歴史をネット上に公開して残しておきたいという思いから、今後も昔の写真を掲載して行きます。

白岩社宅の手前の平屋が南町、後方左側に二階部分が見える建物が西町
白岩野村3

現在メガソーラーを建設中の社宅跡地
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白岩映画館の前で西町の仮装行列の集合写真
白岩野村2

坑道入口での集合写真 (後列右から3人目が野村哲司さん)
白岩野村1

麦川のボタ山
野村4
2015-11-22 : 麦川地区 :
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住職継職法要 (善照寺)

 今日は下関市豊北町阿川の善照寺で第20世新住職・百済高昌君の継職法要が厳修されました。あいにく小雨が降る天気でしたので、稚児宿法要と稚児行列は中止になりました。午前9時半からお稚児さんと法中の記念撮影が行われました。お稚児さんの参加者が60人という大人数で、法中と一緒の集合写真は無理なため、別々の撮影でした。
 そのあと、10時から満堂の本堂で、喚鐘の合図と6人の楽人さんの雅楽演奏に合せて法中が入堂し、法要が始まりました。約40分の法要が終わると、記念法話は上山大峻師(浄泉寺住職)が親交の深かった前住職の思い出話と新住職に対する期待について話されました。最後に岡村謙英師(邦西組・組長)が本山からの達書を伝達して一連の儀式はとどこおりなく終わりました。午後からは本堂で盛大に祝宴が催され、午後3時すぎに無事、継職法要は終了しました。
 善照寺前住職・百済康義師は住職と龍谷大学教授とを兼務していたため、阿川と京都を毎週のように行き来していました。しかし54才のときに病魔に襲われ、まだ満58才の若さであった平成16年に往生し、以後11年間は住職が不在のまま坊守さんとご門徒の皆さんが寺を護持して来られました。
 当時、高校生であった高昌君が父親の跡を引き継いで、このたび新住職に就任したので、家族は言うまでもなく、ご門徒の皆さんもさぞ喜ばれたことでしょう。住職代務を引き受けていた私もお役御免になって一安心です。高昌君は私の甥に当たり、現在ハワイの本願寺に勤務している私の息子より一つ年下の同世代であるので、幼なじみの二人が将来は共に助け合って、ご法義の繁盛と寺の護持・発展に務めてくれるよう願っています。

善照寺門前の高札   (和田長広氏撮影)
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満堂の本堂内   (和田長広氏撮影)
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内陣のお荘厳
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新住職の入堂
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法中の行道
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お稚児さんの内陣行道   (和田長広氏撮影)
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雅楽奏者の楽人さん
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上山大峻師の記念法話    (小海ももこ氏撮影)
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達書の伝達   (和田長広氏撮影)
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法中の集合写真   (和田長広氏撮影)
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お稚児さんの集合写真
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善照寺総代、世話人、仏婦役員の記念写真    (和田長広氏撮影)
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新住職・高昌君と若坊守の香織さん
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2015-11-14 : 山口県 :
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茶話会 (第21回)

 小春日和の今日、午後2時から久しぶりの茶話会を開催しました。今年が戦後70年ですから、今回は過酷な戦争体験をされた市内大嶺町曽根に在住の小田市夫さんに「私の戦争体験」というテーマでお話ししていただきました。
 大正15年生まれの小田さんは17才の昭和17年、海軍志願兵に応募して広島の大竹海兵団に入隊。その後、19年9月に大阪造船所で艤装員として1,500トンの輸送艦の建造に携わり、完成した19年11月、フィリピンに食料などの物資を輸送する乗組員を命じられ、大阪から出港したということです。 当時、南方戦線は米軍の攻撃によって日本軍は劣勢に立たされ、フィリピン諸島まで退却を余儀なくされていた戦況でした。小田さんら乗組員143名の輸送艦はフィリピンの目的地に到着する直前の昭和20年2月、米軍のグラマン戦闘機の攻撃を受けて輸送艦は沈没。小田さんらは泳いで近くのフィリピン・カミギン島にたどり着くことができそうです。
 助かった110名余りは食料も衣服も何もない中、トカゲ、ヘビ、ヤドカリ、バナナ、ヤシやパンの実など、食べられるものは何でも食べて、どうにか飢えをしのいだが、半数近い乗組員は、マラリアに罹って死んだそうです。そして、生き残った50数人は20年11月、米軍の捕虜になり、フィリピン・ルソン島の二か所の捕虜収容所で1年2か月余り捕虜生活を送り、幸いにも昭和22年1月、名古屋港に生還できたというお話しでした。
 下の写真からもわかるように、今年、満90才を迎えられるとは思えないほど若々しい小田さんはメモすら用意せずに年号、地名、人名などがすらすらと口から出る確かな記憶力に驚くばかりでした。それも青年期に体験された戦争の悲惨さが忘れられないせいであろうと思いました。多くの同僚の尊い命が異郷の地で散って行った最後の様子とその悲しみを語られたお話しは、実際の戦争を知らない私たちも戦争の悲劇と平和の尊さを後の世代に伝えなければと思いました。今日の出席者は15名でした。

お話しされる小田市夫さん
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2015-11-11 : 西音寺 :
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黄葉・紅葉 (西音寺)

 秋が日ごとに深まって行きます。寺の境内地にあるイチョウとモミじの樹もすっかり黄葉、紅葉に色づき、落葉も始まりました。本堂の脇にそびえるイチョウの大木は黄葉がだいぶ落ちて、あたり一面、黄色いジュータンを敷いたようになりました。毎日のように落ち葉が増えていますので、あと一週間もすれば樹は丸裸になるでしょう。

    鐘撞けば 銀杏散るなり 建長寺 (夏目漱石)

 寺の境内地の隅に納骨堂があります。その前にあるモミジの木がすっかり紅葉しました。近くには数本のモミジがありますが、このモミジが最も早く色づきます。モミジが散ってしまうと、冬が訪れとともに今年の終わりが近づきます。一年があっという間、過ぎ去り、一生があっという間に終わると実感する、命を見つめる季節です。

    奥山に もみじ踏みわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸太夫 『古今集』)

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2015-11-10 : 西音寺 :
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第9回 お寺のコンサート (西音寺)

 今日の午後2時から本堂で「お寺のコンサート」(寺コン)を開催しました。9回目の今回は指揮と指導を担当されている有田知永さんのご協力のおかげで、長門市の女声合唱団「コール・チュラカーギ」の皆さんに来演いただきました。本合唱団は今年が創立して37年目という長い活動歴を有し、来月13日に長門市中央公民館で第31回の定期演奏会が予定されているということです。
 今回の「寺コン」では、指揮の有田さん、ピアノの津室ひとみさんを含めて25名の団員さんが演奏されました。プログラムは二部構成で、第1部「Songs for Peace ~戦後70年~」は、今年が戦後70年ということで、平和を願って作られた5曲を有田さんの解説を交えて歌われました。
 途中、休憩をはさんで後半の第2部「女声合唱とピアノのための『近代日本名歌抄』」は、大正から昭和の始めにかけて作られた童謡や歌謡曲を6曲ほど歌われました。「女声合唱とピアノのための」とあるように、津室さんのピアノ演奏もとても聴き応えがありました。年配者にとって馴染み深い曲ばかりですから、いっしょに口ずさみながら聴いている方もいました。
 予定のプログラムが終わると、指揮者に花束が贈呈され、アンコールに応えて2曲ほど歌っていただきました。こうして、本堂全体に響き渡る、透き通った女声ハーモニーに1時間20分近い演奏会があっという間に終わったように感じました。ふだん美祢の片田舎において、生の音楽に触れる機会はめったいないことですから、56人の来場者の皆さんも晩秋のひとときを、さぞ楽しまれたことと思います。
 終演後、団員の皆さんが庫裡の大広間でお茶を飲みながら、ワイワイガヤガヤと話が弾んでいる様子に、指揮者の有田さんが団員同士とても仲が良いのが団の特色です、とおっしゃるのも頷けました。帰りぎわに本堂向拝前で記念写真を撮らせていただきました。

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指揮の有田さん
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団長の重村さんのご挨拶
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終演後に庫裡の控室でお茶
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帰りぎわに本堂前で記念撮影
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2015-11-07 : 西音寺 :
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過去の大嶺二中・同期会集合写真

 今回(11月4日)、大阪での大嶺第二中学校同期会で東海市在住の東輝昌君が過去の同期会で撮られた写真をアルバムに整理して持参していました。各会の集合写真を本ブログに掲載する了承を得たので、同期会の記録として下に載せます。前回(平成25年)と今回の同期会の写真はすでに掲載したので、省略します。なお、第1回の同級会は昭和43年3月18日に美祢市伊佐町の喫茶店・パルミエで開催したという記録が残っていますが、写真はありません。

第7回 平成23年11月13日 「浜辺のホテル 松濤 」(愛知県知多郡南知多町)
同期会平成23年


第6回 平成21年11月10日 「ホテル楊貴館 」(長門市油谷伊上)
同期会平成21年

第5回 平成19年11月18日 「ウェルシティ広島」 (広島市中区)
同期会 平成19年

小学校の恩師を囲む会 平成16年10月9日 「美祢グランドホテル 」(美祢市大嶺町)
同期会 平成16年

第4回 平成15年10月25日 「ホテル松政 」(山口市湯田温泉)
同期会 平成15年

第3回 平成12年11月11日 「美祢グランドホテル」 (美祢市大嶺町)
平成12年

第2回 昭和59年8月14日 「秋芳館」 (美祢郡秋芳町)
同期会1984
2015-11-06 : 未分類 :
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大嶺第二中学校 同期会 (大阪)

 2年ぶりの「大嶺第二中学校 同期会」が昨日4日に大阪で開催され、45名が参加しました。恩師の広瀬次久先生もわざわざ名古屋から駆けつけて出席されました。9回目になる今回は大阪地域在住の同級生5名が幹事・世話人を担当して、会場は「ホテル阪急エキスポパーク」(吹田市千里万博公園)でした。
 いわゆる団塊の世代である私たちは昭和38年(1963)3月、大嶺二中を223名が卒業しました。当時はまだ山陽無煙鉱業所、榎山炭鉱、大明炭鉱など、各地の炭鉱が操業していたことに加えて、戦後のベビーブームに生まれた子ども達がちょうど在学中であったことから、大嶺二中の生徒が最も多かったころでした。その校舎は麦川小学校の真向かいにあって、グランドは小学校との共用でしたから、狭いグランドはいつも麦小か二中の生徒で溢れていました。当時は学校も地域も人、人、人でにぎわっていた頃です。
 あれから52年の長い年月がたちました。ハーモニカ長屋が建ち並んだ白岩社宅や商店が軒を連ねていた麦川商店街もすべて消え去ってしまい、往時を偲ばせるものはほとんど残っていません。でも、心の中では遠い昔の風景を今でもありありと思い浮かべることができます。過ぎ去った日々はあたかも夢まぼろしのように思われます。生生流転の世を痛感します。
 私たちも年を重ねてみんな変わりました。何と言っても、変わり様が如実に表れるのが外見です。中学時代の面影を残している者もいますが、「あなたは誰でしたかね」と尋ねないとわからない人も少なくありません。でも幸いにも、同級生同士は中学当時の共通の話題があるので、少し話しをしただけで、昔のことがまざまざと思い出されて来ます。半世紀ぶりに再会した、中学のときは口もきかなかった女の子と軽口が叩けるのも年の功です。
 「生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)」のことば通り、遅かれ早かれ、生まれた者は死に、出会った者には別れがやって来ますが、今日をかぎりの出会いと思って一夜を楽しみました。

参加者全員の集合写真
二中同期会(平成27年)ブログ

広瀬先生のご挨拶
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白岩グループ
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桃ノ木小グループ
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荒川グループ
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田代小グループ
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麦川小グループ (白岩、荒川以外)
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最後は全員で「炭坑節」の踊り
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2015-11-05 : 県外 :
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浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

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