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美祢坑外展望 (7)

  昨日掲載した「美祢坑外展望 (6)」に続いて、第7回は「フィルター(選炭)」という職場を紹介した記事で、前回の「水洗機」と同じ選炭課に属しています。下の記事によれば、この「フィルター」という作業はシックナーを使って石炭を選別する作業のようですが、取材記者も担当者から聞いた説明では簡単にわからない複雑な作業と記しているように、どういう工程で石炭とボタとを選別するのか、門外漢には記事を読んでもわかりづらい内容です。
 記事の写真には大小2つのシックナーがあり、手前側が小さく、その後方の写真中央に大きなシックナーが見られます。参考までに現存するシックナーを撮って載せましたが、ほぼ同じような位置から撮った写真と比べると、現在は手前に大きく、後方に小さなシックナーがあります。記事写真中央のシックナーが現存の大きなシックナーとすれば、手間にあった小さなシックナーは解体されて残されなかったものと推測されます。
 現存する小さなシックナーは坑内排水を「市の事川」に放流するためのプールとして利用されていますが、満々と水をたたえている大きいシックナーがどのように利用されているのか、よくわかりません。

現存する大小2つのシックナー
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(上掲記事を以下に転載)

【美祢坑外展望 職場めぐり フィルター(選炭)】
 選炭課の中で最後に訪れた職場がフィルターである。過去に選炭課に属する職場を訪問したが、フィルターと云う名称については記者も職場を訪ねる迄、わからなかった。硬山(ボタヤマ)のスソにある暗い建物の階段を昇ると、まず眼につくのが巨大な輪転機に似た機械がゆったりと回転していた。
 それにしても、油臭いことには閉口だ。輪転機に似た巨大な機械は二台がオリーバと云う名の浮選機であった。フィルターは作業内容が、フィルター(浮選機)、乾燥機、混炭機の三種に別れている。責任者の西山さんに作業内容の説明をお聞きしたが、一度や二度の説明では簡単にわからない。それだけ作業が複雑であった。
 作業内容を簡単に記すと、まず同じ選炭課の水洗機から36Mシックナーに入った原液(ビ粉炭濃度38%)をポンプで調整タンクに送り濃度(10%~15%にする浮選機で選別しやすくする為)、次に浮選機に送り、液にパイン油と灯油を入れて比重を利用して、精炭(6,000Cal)にして、もう一度21Mシックナーに送る。ここでの廃石は硬山頂上に送る。21Mシックナーに入った精炭はフィルターに送り真空ポンプで脱水すると(湿度25%)になる。これが浮選粉(精炭)である湿度を更に低くするために、乾燥機に入れて14%まで湿度をさげる。この乾燥炭を混炭機に入れて、サイジングからの特粉、並粉、水洗機からの特洗粉を混炭して特粉にする。以上が簡単なフィルターの作業内容である。
 これまでの作業を三交代の11名でやっているが、油と水、濡炭とによごれて勤務している姿は、他の坑外作業には見られないだろう。機械を動かすモーターだけで110台、ポンプ50台、制品輸送が全部パイプを利用している所から冬は凍結してパイプ詰まり、故障についても発見がむつかしく作業は困難をきわめている。職場区域も広く硬山の頂上から美祢山神社の下にある36Mシックナー、汚水問題と多くの苦労をかかえて西山さん以下11名は頑張っている。山陽再建の一つに制品の出来、不出来が左右するならばこの職場の価値を認め、他の地上部門に負けない賃金が欲しいものだと給料日には考えている。これがフィルターだ。次回は機電二課二係(ボタベルト)を紹介します。
2015-12-30 : 麦川地区 :
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美祢坑外展望 (6)

 昭和45に閉山した山陽無煙鉱業所の社内新聞『山陽』に掲載された「美祢坑外展望  職場めぐり」は前回まで5回(第1回第2回第3回第4回第5回)紹介しました。今回は「水選機」の職場を訪問した記事です。水選機の詳細は私にはわかりませんが、記事の内容からすれば、坑内で採掘した原炭を製品として販売する石炭と販売出来ないボタ(硬)とに水を使って選別する機械を取り扱う部署であろうと思います。水選機が麦川の坑外設備として、どの場所に設置されていたかよくわかりませんが、現在残っているシックナーの近辺ではないかと推測しています。シックナーについては以前、本ブログで紹介しましたので参照してください。

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(上掲記事を以下に転載)

【美祢坑外展望 職場めぐり 水選機】
  現在の場所に水選機が出来たのは戦時中(昭和19年頃)T35/Hから始まり、其の後出炭の増加と原炭の品位の低下に伴い、T100/H2台、T75/H2台のバウーム水選とT80/H重液サイクロン選炭機(オランダ製)、T50/H特洗粉用脱水機(オランダ製)、ベルトコンベアー21本、バケットエレベーター、ポンプ13台、ブローワー7台、その他種々の附属機械を備え、モーターを動力として運転しているものはざっと90機数ある。水選機の製炭は七銘柄の品位の安定を重きとして品質管理を行なっている。
  石炭と硬(ボタ)を厳密に選別すること、その為には原炭と水の関係また硬抜き装置のフロートの高さ等、たえず気をゆるすことは出来ない。油断すれば石炭が硬山(ボタ山)へ逃げて行くからである。機械の運転がスムースに行かねば製炭が出来ないばかりか、坑内からの出炭をも停止することになるので、平素より機械の保全と修理には万全を期している。職場の苦心を云うならば、近年、原炭品質の低下により硬が多く、その上、水分を多量に含み木片鉄線が混入しているため水選機運転に苦労している。品位が出ない時など上司を始め、寒い冬でも水の中に手を入れて石炭の洗い方を研究している。切羽の新しいのが少ないせいか、残炭堀りが多いので木片が多くなったので昔は一ケ所で処理をしていたのが、現在では三ケ所で木片処理をしている。木片は目に見えるが鉄線の小さいのは見えず、水槽の中やシュートに一杯つまり、思わぬ故障を引き起こしているので鉄線の除去する機械が欲しいものだ。
  他にも多く説明する部分もあるが、紙面では専門的なことは除くとするが、坑外の末端職場においては外観的には楽に見えるが、内容的に心身共に非常に苦労している。また出炭量が直接に解かる職場だけに低品炭の出炭、目標の赤字を気にし不安を胸にする。今少し給料袋が重くなり出炭がよくなれば物心両面共に安心である。
2015-12-29 : 麦川地区 :
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吉田松陰投宿の碑 (四郎ヶ原)

 今日は「お取り越し」のお参りで四郎ヶ原に行きました。四郎ヶ原は江戸時代に萩から赤間関(現在の下関)へ到る「赤間関街道(あかまがせきかいどう)」中道筋(なかみちすじ)の「四郎ヶ原宿」があった宿場町で、幕末の志士や吉田松陰らが宿泊したことが知られています。 赤間関街道には三つの街道筋があり、中道筋の他に「北浦道筋」と「北道筋」があり、それらに比べて中道筋は距離的に最も短く、しかも難所が少なかったので、多くの商人や武士が利用したといわれます。
 松陰は数えの21歳であった1850年(嘉永三年)、8月25日に萩を発ち、一日で約60キロほどの行程を歩いて四郎ヶ原宿までたどり着き、一夜の宿を取ったといわれます。そのことは松陰が初めて平戸(長崎)へ遊学した時の日記である「西遊日記」に記されています。「吉田松陰投宿之碑」は当時、美祢松陰研究会の会長であった岩野和夫氏の発案で、平成8年3月に岡藤家の前に建立されました。碑文も執筆された岩野氏は、松陰が岡藤家に止宿したと推測されたようですが、その根拠が明確でないという岡藤家の当主・岡藤泰治氏の見解に従って、碑文は「止宿」ではなく、「宿は特定できない」という字句になったということ、また現在の岡藤家の建物は今から168年前の1847年(弘化4)に建てられた江戸末期のもので、当時は農業で生計を立てていたが、旅人も宿泊させる宿屋も兼ねていたようだと、今日のお参りのあと岡藤氏からお伺いしました。
 松陰研究の第一人者であった岩野氏には生前、何回か西音寺「茶話会」でお話ししていただき、特に入院される一か月前の昨年9月、「来年はNHK大河ドラマで『花燃ゆ』が放映されるそうですから、主人公の松陰の妹・文(ふみ)について茶話会で話して下さい」とお願いして、快く引き受けていただきました。岩野氏は今年4月に往生されたので、今では石碑建立の詳細をお伺いできないのが残念です。歴史の記録をこのようにして後世に伝えることは意義のあることと思いました。

吉田松陰投宿之碑
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(碑の全文)
「嘉永三年(1850)八月二十五日、九州遊学のため「萩を発ち、絵堂、秋吉、岩永、河原を経て、ここ四郎ヶ原に宿す」と西遊日記に記されている。時に松陰二十一歳。初めて藩外への旅立ちであった。日記の序に「発動の機は周遊の益なり」と書いているように、この旅は松陰の心を大きくふくらませ、動かさずにはおかなかった。宿は特定できないが、ここ四郎ヶ原は、松陰に旅の第一夜の夢を大きく結ばせた。」

岡藤家の前に建つ石碑
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1847年(弘化4)に建てられた岡藤家全景
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岡藤家玄関前、入口右側に昔の四角井戸が残っている。宿であった根拠の一つに挙げられる。
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2015-12-25 : 美祢市 :
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美祢坑外展望 (5)

 昭和45に閉山した山陽無煙鉱業所の社内新聞『山陽』に掲載された「美祢坑外展望  職場めぐり」はこれまで4回(第1回第2回第3回第4回)紹介し、今回は第5回です。今回は坑木に関する職場を取材した記事です。坑木は地下の石炭を採掘し、搬出するための坑道が崩落しないよう支える木材で、坑内で働く人命を守るために最も大切な保安設備です。それだけに、その業務が大変であったことが下の記事からうかがわれます。
 私も小・中学生のころ、坑外に坑木が山積みされている光景を覚えています。以前、本ブログ(2014年4月30日)で紹介した山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真の上の写真にシックナーの斜め左下側に坑木が山積みされているのがかすかに見て取れます。

美祢坑外展望5修正
(上掲記事を下に転載)

【美祢坑外展望】
  職場めぐり 坑木(業務課)                                             
 炭鉱の保安は坑木で支えられていると云っても良いだろう。坑木は雑材、松材とに別れている。坑内外では、特に松材が好んで使用されている。現在は鋼材が使用されるようになってきたが、坑木の価値は昔と変らない。木材を多種多用している職場では炭鉱が一番だろう。今日、記者が訪れた所は坑木を受け持ちとした職場である。
 坑木(通称)は業務課に属している。山陽の使用木材は南九州方面から買入している。坑木は保安面に取っては一番大切で、働く人の生命を守っている。良い木材買入には大変苦労しているようである。坑木の職場は大嶺駅からの引き込み線が坑外設備に導入されているその終着場にある。きれいに整頓された大小の坑木がしま模様を描いている。貨車から降ろされた坑木は選木されて(使用途別)、バッテリーロコに引かれて坑外設備の西側貯木場に移される。坑木では現在、在籍二十人で、甲方十二人(積込八人、バッテリーロコ運転三人、払出一人)、乙方(積込五人、バッテリーロコ運転二人、払出一人)と云った陣容で勤務している。
  坑内外からの注文通りに現場に敏速に送付するには並大抵の苦労ではない。送付をスムースにするには職場のチームワークが一番大切だ。だから、職場のチームワークは、他の職場とくらべて優れていると組長の西さんは力強く語っていた。注文の坑木を迅速に送付しても、規格以外の坑木がまじっていると、すぐ現場からクレームがつく。その為に選木の仕事は丁寧にしていなければならない。現在、選木業務には下請業者が受け持っているが、スムースに行っていないようだ。その為に坑木勤務者に作業のシワヨセがあってはならない。坑内からの注文は函で運搬、荒川(北卸)、奥畑、南卸、疎水、下層関係は陸送(トラック)である。どこの職場にも作業上の苦労話しがあるが、この職場も天候が大きく左右する。今年のように大雪の場合、ロコは走れない。国鉄のダイヤルに合わせての作業等々。記せば多くあるが、坑内外の保安を受け持っていると自負しながら、もくもくと働いている。
2015-12-23 : 麦川地区 :
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「蓮華の会」 月例会 (in 善照寺)

  昨晩は豊北町阿川の善照寺で「蓮華の会」の月例会が開かれ、講師に呼ばれたので行って来ました。「蓮華の会」は善照寺の仏教婦人会とは別に、今から20数年前に結成された女性の門信徒の会です。会の役員さんが月例会、サマーコンサート、バス旅行など、いろんな企画を立ち上げて、実行されている活動的な組織です。
 毎月第3土曜日の夜は仏教や浄土真宗の教えを学ぶ月例会が開かれています。私もこれまで何度か声がかかったので、堅苦しい法話ではなく、私が経験したチベット仏教や台湾仏教ついて、あるいは葬儀、墓など、会員の皆さんが関心ありそうな事柄を話してきました。昨日もお正月を迎えるにあたって、お仏壇はどのようにお荘厳すれば良いか話してほしいというリクエストがありましたので、それを話しました。
 毎年12月の月例会では会員の忘年会を兼ねた懇親会が催されるので、それも楽しみです。会員の皆さんが手作りの料理を持ち寄ったり、寺の台所で作ったりした美味しい食事を腹いっぱいいただきました。アルコールも用意されていましたが、私は車のためノンアルコールで我慢しました。会長の戸田佐和子さんを始めとして、多くの会員の方と顔見知りですから、和気あいあいとおしゃべりを楽しみました。出席者は15名でした。

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庫裡の大広間で懇親会
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懇親会の料理
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月例会の案内状
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2015-12-20 : 山口県 :
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『美祢西組 組報』 第77号

 私たち浄土真宗本願寺派の寺院組織である「美祢西組(みねにしそ)」は美祢市内の24か寺から成っています。西組の活動や本山の動向などをご門徒にお知らせする広報紙として『組報(そほう)』が発行されています。 『組報』は全国各地の「組(そ)」で刊行されていますが、美祢西組では今から41年前の昭和49年(1974)に創刊されました。当時はワープロが普及する前のころですから、今では消滅してしまったガリ版刷りで年4回刊行されていたようです。その後、次第に年間の刊行回数が減少して、今はB5サイズ、4頁構成の年一回刊行になりました。
 『組報』の担当は4年交代で、現在は私がその役を引き受けています。このたび第77号を刊行しました。組内にはパソコン技術を有する専正寺住職・伊藤友治氏がいますので、本号は氏に紙面のデザイン、編集から印刷所への原稿送稿まで全面的に委任して、これまでにない素晴らしい『組報』が出来上がったと思っています。

『組報』第77号 1頁
組報p1
(以下に上掲記事を転載)
   美祢西組 親鸞聖人鑚仰会  五十周年記念大会を開催
 去る十月二十九日、爽やかな秋空のもと、『美祢西組親鸞聖人鑚仰会五十周年記念大会』が美祢来福センターで開催されました。鑚仰会会員、美祢西組の寺院、各種教化団体の皆様のご協力のおかげで三百四名の参加者がありました。
 当日の午前十時に開会。午前の部は法要・式典に続いて佐賀教区浄誓寺の古川文雄師の記念法話がありました。笑いあり涙ありの法話は心に響くとても良いお話でした。
 午後の部は西組坊守・若坊守・仏教婦人会の皆様による仏教讃歌「しんらんさま」の合唱があり、その後、浄土真宗本願寺派の僧侶で、シンガーソングライター二階堂和美さんのライブが行われました
 ライブではスタジオジブリ映画「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」や美空ひばりの「一本の鉛筆」などを歌ってくださいました。透き通るような声が会場に響き渡り、心にしみる歌詞に感動しました。
 大会の最後に河村基祐鑚仰会会長が「当鑚仰会は昭和四十一年に結成され、親鸞聖人のみ教えがたくさんの人に広がるようにと、先輩がたのご指導のもと連綿と活動を続けて参りました。この五十周年記念大会を契機に、鑚仰会会員一同この美祢の地が、お念仏の薫る土徳の地と言われるよう一段と精進します」と挨拶されました。
 この度の記念大会を通して、先輩方が一生懸命に受け継いで来られた鑚仰会が、益々発展していくよう、私も精進していこうと思いました。  (隨應寺住職 伊川淳)

『組報』第77号 2頁 「鑚仰会50周年記念大会の写真特集」
組報p2

『組報』第77号 3頁 「伝灯奉告法要日程」
組報p3

『組報』第77号 4頁
組報p4
(以下に上掲記事を転載)
   第15回 世界仏教婦人会大会に参加
 平成二十七年五月三十、三十一日に、カナダに於いて開催された世界仏婦大会の教区団体参拝が、五月二十六日から六月二日にかけて実施され、美祢西組より四名が参加しました。寂定寺前坊守様、西音寺坊守様、正隆寺ご門徒の北嶋満子さん、そして私、杉山敏子がお参りさせて頂きました。
 大会は山口教区より七十名。日本全体から千二百名が参加。そして南米・北米・ハワイ・カナダの各開教区を含め、総計千七百名の参加のもと、カナダ(カルガリー市)に於いて二日間の日程で盛大に執り行われました。
 初日は奈良教区・簗瀬奈々(やなせなな)さんの記念講演で、東日本大震災で負けないタオルを作製し、多くの人々を助け励ます原動力となった活動を、歌を交えて感動深いお話を聞かせて頂きました。
 二日目は海外各国より浄土真宗のみ教えに励まれている体験発表やアトラクション等があり、夕食交流会の中では炭坑節を参加者全員で踊る等、大変楽しい有意義な大会でした。
 またカナダバンクーバー仏教会にも参拝し、観光では雄大なロッキー山脈の自然の絶景やコロンビア大氷原の素晴らしい風景など、感動深いことばかりでした。
 このたび参加できましたのも、家庭や周囲の事情に加えて自分自身が健康であってこそ参加できたものと改めて深く感謝しております。  (西教寺 仏教婦人会 杉山敏子)
2015-12-14 : 未分類 :
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モミジの紅葉

 晩秋の風景は美しい。わが寺は背後に山を抱えていますから、山を眺めながら四季のうつろいを感じ取ることが出来ます。11月に入ったころから、裏山に5,6本そびえ立つ大きなケヤキの樹から褐色になった葉が風に吹かれて舞い落ちて来ます。それとともにモミジの葉の色づきが深まっていきます。今年は暖かい気候が続いたため、紅葉が遅いように思いましたが、そうこうしている内に、裏山で最も見応えのあるモミジの紅葉は散ってしまいました。
 庫裡のうしろにある、もう1本のモミジも散り初めていましたが、何とかブログ用に写真を撮りました。毎日、庫裡のうしろ側を見るわけではないので、うっかりすると見逃してしまいます。あと一週間もすれば、木はすっかり丸裸になるでしょう。晩秋は黄昏時になった自分自身を見つめる季節ではないかと思っています。

   見る人も なくて散りぬる 奥山の もみぢは夜の 錦なりけり (紀 貫之)

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2015-12-07 : 西音寺 :
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新聞記事 『いのちのケア』

 『朝日新聞』(平成27年12月4日付け)に『いのちのケア』と題して、重篤な癌(がん)に侵された、僧侶で内科医の田中雅博さんに、朝日新聞の記者がインタビューした記事が載っていたので、以下に紹介します。
 記事の見出しに、「最後の最後まで、患者の『苦』を聞く専門家の育成を」とあります。生きる意味の喪失や死後への不安を「いのちの苦」と田中さんは言い、医学は患者の延命を扱うことはできるが、どう生きるかといういのちの問題にはまったく役立たない。体の痛みを止めるのに医師が必要であるのと同様に、患者の「いのちの苦」に応えてくれる専門家が必要だと提唱しています。
 キリスト教文化を背景とした欧米の病院には、その専門職に聖職者が多いが、田中さんは国立がんセンターの医師として勤務していた経験から、日本の医療現場にも患者の苦しみに応える専門家を養成して、配置する必要があり、その場合、私たちの死生観に影響を与えている仏教の知識を有する、例えば「臨床仏教師」のような専門職が望ましいと語っています。インタビューの全文は以下を参照。

『朝日新聞』 平成27年12月4日付け
朝日27 12 4

(以下に上掲記事の本文を転載します)
 人は病と闘い、生き抜こうとする。それでもいずれは、どうしても死が避けられなくなる。そのとき何を感じるのだろう。希望を見いだすことはできるのか。栃木県益子町の内科医で僧侶でもある田中雅博さんは、がんに侵され、余命わずかの身。自分の死を見据え、日本の医療からこぼれ落ちているものを問いかける。

【陶器で知られる栃木県益子町。 田中さんは、1300年近い歴史のある西明寺の住職だ。昨年10月、極めて深刻な段階の膵臓がんが見つかった。手術したが、 今度は肝臓に転移した。今秋、寺で行われた法要の際、別の僧侶に「どうか長生きしてください」と声をかけられると、素っ気なく「それは無理です」と答えた。】

 ――余命わずかであることを公言されていますね。――
 「抗がん剤の副作用がひどくなっています。特に手足のしびれ。茶わんを落としたり、つまずいたりします。もう副作用の限界ですから、抗がん剤は効果を期待できる量が使えずにいます。検査結果やデータから、来年3月の誕生日を迎えられる確率は非常に小さい。もう少しで死ぬという事実を直視しています」 「つい先日、孫が生まれたんですよ。女の子です。どこまで成長を見ることができるか。あと3カ月くらいかな、あるいはもっと短いかもしれない、と考えてしまいます。複雑な思いですね。人の死は思い通りになりません。私も順番が来たわけです」

 ――僧として、医師として、ずっと「死」の問題を考えてこられました。自身の死は怖くない、とおっしゃるのかと。――
 「そんなことはありません。生きていられるのなら、生きていたいと思いますよ。私には、あの世があるかどうかは分かりません。自分のいのちがなくなるというのは……。やはり苦しみを感じますね。いわば『いのちの苦』です。自分というこだわりを捨てる仏教の生き方を理想とし、努力をしてきました。生 存への渇望もなくなれば死は怖くないはずです。ただ、こだわらないというのは簡単ではありません」
 「かといって死んでしまいたいとも思わない。生きられるいのちは粗末にしたくありません。一方で、自分のいのちにこだわらないようにする。そのふたつの間で、『いのちの苦』をコントロールしているわけです。死の恐怖や不安と闘うというよりは、仲良くしようとしている感じでしょうか」
 
【寺に生まれたが、前住職である父親の勧めで医学の道へ。25歳で東京・築地の国立がんセンター(現・国立がん研究センター)で研修医となった。】

 「最初に受け持った患者さんは若い女性でした。がんが体中に転移し、どんどん悪くなっていく。『私は死ぬんでしょうか』と聞かれました。どう答え ますか? 科学ではどうしようもないんです。それ以来、たくさんの患者さんから同じように問われ続けました。でも、何もできなかったんですよね……。そう した苦に応える人が病院にいない、と若いときから感じていました。患者は誰に話していいか分からず、看護師や病室を掃除してくれる人に、不安を打ち明ける ことがあるんです」 「私は進行がんが専門で、がんセンターでは内分泌部治療研究室長も務めました。医学はいのちを延ばすことを扱うわけですが、そのいのちをどう生きるかという問題にはまったく役に立たない。体の痛みを止める 医師が必要であるのと同じように、『いのちの苦』の専門家が必要です。それがほとんどいないのは日本の医療の欠陥だと思います」
 
【田中さんが言う「いのちの苦」は医療分野で「スピリチュアルペイン」(spiritual pain)と呼ばれる。世界保健機関(WHO)でも議論され、生きる意味の喪失や死後への不安などが含まれるとされる。 キリスト教文化を背景とした欧米の多くの病院には、これに対応する専門職がいる。田中さんは1980年代から、日本でも「スピリチュアルケア」(spiritual care=いのちのケア)が必要だと提言。ローマ法王庁が呼びかけた国際会議にも4度招かれ、海外の実情を学んだ。】
 
――いのちのケアとは?――
 「欧米では、病院に配置された聖職者がスピリチュアルケアに携わっていることが多いですね。自分の宗教や考えは押し付けません。患者の話を聞くことに徹し、いのちがなくなる苦しみを分かち合おうと努めます。どんな人生であったとしても肯定し、価値を見いだしてもらえるよう促す。人間の尊厳にかかわる仕事です」

 ――死が迫ると、後悔などの感情も起こりそうです。――
 「それらも受け入れ、最後の最後まで人生の『ものがたり』を形づくる手伝いをする人が必要です。それを含めての医療であるべきだと思います。科学では何もできなくなったときこそ、非常に多くのことができるはずです」
 「人というのは、元気なうちは自己の欲望にとらわれたり、怒ったり、他人を差別したりするものです。しかし死が避けられないとなったときは、そう したことから離れて、自分のいのちを超えた価値を獲得するチャンスでもあります。いのちより大事にしたいもの。それは信仰を持たない人にとっても、自身の 『宗教』だと思うんですよ。それに気づくことができれば、その大事なもののために残りの時間を生きることができるのではないでしょうか」
 「欧米でスピリチュアルケアにあたる人は宗教だけでなく、哲学や医療などもしっかり勉強しています。ただ、ある人は『知識があるだけではだめだ』 と話していました。むしろ、死にゆく患者さんに大事なことを教えてもらうという態度で臨むのです。非常に高度なことですね。人格的にも優れていなければな らないでしょう」
 
【国内でも専門家を育てる動きがある。全国青少年教化協議会が資格認定する「臨床仏教師」もその一つ。95人の受講者から絞られていき、今春、6人が初めて認定された。約1年半の養成課程では田中さんが内科を担当する診療所も協力し、実習を受け入れた。しかし、医療現場はまだ本格的な導入には慎重だ。】

 ――医療の現場には宗教に対する違和感もあるようです。スピリチュアルケアをする人は宗教者でなければいけませんか。――

 「必ずしも宗教者でなくてもいいと思いますよ。欧州では哲学畑の人もいるそうです。ただ、仏教は私たちの死生観に何らかの影響を与えていますから、日本では少なくとも仏教の知識は欠かせません。もし病院で僧衣に違和感があるなら、制服を作ってもいい。ローマの病院でスピリチュアルケアに携わる人に会ったら、白衣を着ていまし たね」
 「臨床仏教師の候補者を実習で受け入れた際、ある患者さんは症状が進んで話ができず、筆談でした。候補者に『あなたの考えは浅い』と厳しいこともお伝えになりました。それでも何時間も筆談して、最後は『また来てください』とお書きになった」
 「WHOは緩和ケアについて身体の痛みだけでなく、心理的な側面と(より根源的な)スピリチュアルな側面と(より根源的な)スピリチュアルな側面を総合的に扱う、としています。イタリアのスピリチュアルケア従事者は、死期が迫ってからではなく入院時にすぐ会いに行くと話していました。病棟責任者らの許可もいらず、自由に病室に出入りできるそうです。そういうシステムはいいですね。患者には面談を受ける権利と断る権利を保証しなければなりません」

 ――それにしても、ご自身は穏やかな表情ですね。――
 「ぐったりして休んでいることも多くなっていますが、まだ黄疸は出ていません。黄疸が出ると、頼まれている原稿の執筆や講演は難しいので、できる限りのことをやっておきたいと思っています。いま、何でもないことが非常にありがたい。晴れた日はいいなぁと思うし、雨の降る日もいいなぁと 感じます。やはり生きているというのはいいことですね」

 【取材を終えて】
 死が避けられなくなったとき、家族には心配をかけまいと「死ぬのが怖い」といったことを口にしない人がいるのではないだろうか。家族もまた、あまりに重い問いは受け止めきれないかもしれない。そうした気持ちを丸ごと受け止めてくれる第三者がいたら、患者と家族にとって貴重な選択肢となりそうだ。
 日本でも、一部の緩和ケア病棟などには宗教的な問いにも対応できる専門家がいるが、全体ではまだまだ少ない。病院にとっては実習を受け入れてみるだけでも、「患者の本当の幸せとは」「そもそも医療とは」と立ち止まって考える契機になるに違いない。
(聞き手・磯村健太郎)
2015-12-05 : 新聞・書籍・TV :
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報恩講

 今日から三日間、「報恩講(ほうおんこう)」が勤められます。報恩講は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご遺徳を讃え、ご恩に感謝する、寺の年間行事で最も大切な法要です。したがって、準備もまた大変で、ここ数日はそれに追われました。すなわち、11月29日(日)は朝8時から約2時間ご門徒の皆さんが奉仕作業で境内、本堂、庫裡を一斉に清掃していただき、寺の台所では報恩講で仏前にお供えする餅をついていただきました。12月1日(火)はお供えする餅を筒からはずす作業をして、翌2日(水)はお飾り餅と仏花を仏婦の方たちが丸々半日をかけて作っていただきました。昨日、3日(木)は私と坊守とで内陣の荘厳を整えて、仏花、餅、菓子、果物をそれぞれの仏前にお飾りし、余間には四幅のご絵伝を下げて、報恩講の準備を済ませました。
 そして今日から報恩講が始まりました。お呼びするご講師は三日ともことなりますが、今日は豊北町粟野の深野純一師(誓願寺住職)が「報恩」について卑近な例をあげて、とても分かりやすいお取り次ぎをしていただきました。明日の二日目は宇部市小野の市川幸佛師(宝林寺住職)、三日目は武蔵野大学学院長・田中教照師(西宝寺住職)にご出講いただきます。
 下の写真は内陣のお荘厳の様子を載せました。上述した準備の様子も撮っておけば良かったのですが、「お取り越し」のお参りため、それが叶わなかったのが残念です。

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2015-12-04 : 西音寺 :
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浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

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