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白い世界 (宝林廟) 

 今冬一番の寒波が襲来して、一昨日の夜から降り続いた雪で昨日の朝は6時の梵鐘を撞く時は数センチの雪が積もって、一面の銀世界に一変していました。昨日はちょうど日曜日のため、3組のご門徒が寺に上参される予定が入っていました。昼間も雪が止む様子がなく、この雪の中でお参り出来るだろうかと心配していましたが、予定通り皆さんがそれぞれお参りされました。
 昨夜は-4℃近くまで気温が下がったため、水道が凍結しました。月曜日の今日も時折、小雪が舞って冷えきった一日でした。寒波も峠を越したようですから、明日あたりから雪も解け出して来るでしょう。
 今日の午後は宝林廟に上ると、あたり一帯は静寂に包まれて、すっかりモノクロの世界に変貌していました。あたかも一幅の水墨画を見るような美しさでした。テレビニュースではこれまで雪が降ったことのない沖縄、奄美地方にも降って、記録的な大寒波と言っていました。私たちの少年期には膝下くらいまでの積雪は毎年のように経験しましたから、それに比べれば当地の昨今の寒波はそんなに驚くようなことではないと思います。むしろ温暖化のせいか、年ごとに夏は暑くなり、冬は雪が少なくなっています。

宝林廟の正面
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静寂の世界
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宝林廟境内地全体の風景
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桜の木立とアジサイの枝
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宝林廟の見晴台からの風景
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宝林廟の見晴台からの風景
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2016-01-25 : 宝林廟境内 :
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台湾旅行 (3)ー龍山寺ー

 20日は中台禅寺を拝観したあと、ポリーさんの車で台湾中部の西海岸にある古い港町の鹿港(彰化県)に向かいました。到着した時は、夕方の5時半近くになっていたのですが、最初に龍山寺を参拝しました。元々の龍山寺は清朝初期の1653年(南明・永暦7年)に別な場所に創建され、1786年(清朝・乾隆51年)に現在地に建立されたということです。したがって、二百数十年の歴史がある純木造のお堂は当時「台湾の紫禁城」という異名を取ったほどで、今なお台湾に残っている清朝時代の建築物では最高の建築と評され、国家一級古蹟に登録されているそうです。
 龍山寺は管理委員会が管理し、朝夕のお堂での勤行は斎教と呼ばれる在家仏教の女性信者が行なっているようです。下の写真のように私が拝観した時、、黒の法衣を着た有髪の女性信者の人たちがちょうど夕方の勤行をしている最中で、終わったら法衣を脱いで三々五々自宅に戻って行きました。龍山寺を拝観したあと、ポリーさんの案内で道教の天后宮や有名な鹿港老街などを見学しました。当日はポリーさんの実家(草港)にご招待いただき、泊めていただきました。
 翌21日はポリーさん宅で朝食をいただいたあと、台北の龍山寺へ行くつもりだったので、台鉄(台湾の国鉄)の彰化駅まで車で送っていただきました。そして日本の特急に相当する「自強号」に乗って台北へ向かいました。台湾の新幹線(高鉄)が開通してからは新幹線ばかり利用していたので、在来線に乗ったのはずいぶん久しぶりでした。日本とさほど変らない車窓からの風景を眺めなら、約2時間半ゆっくりと汽車の旅を楽しみました。
  お昼すぎに台北駅に着くと、駅構内地下の食堂で昼食を取ったあと、MRTの板南線に乗り、2つ目の龍山寺駅で降りて駅のすぐそばにある龍山寺を拝観しました。台湾には龍山寺と名の付く寺が5ヵ寺あるそうですが、最も有名なのがこの龍山寺です。お寺の由来によれば、清朝乾隆帝の1738年、中国本土・福建省から渡来した人々によって創建され、台北市内で最も古いお寺だそうです。ここもお寺と言っても、仏教の観世音菩薩の他に道教や儒教の神々も祀られていて、老若男女多くの参拝者が熱心に祈りを捧げていました。
 龍山寺を拝観したあと、台北に来たからには故宮博物院を見学しなくてはと思って、再びMRTで士林まで行き、そこからバスに乗り換えて故宮へ行きました。着いた時にはすでに夕刻5時前になっていたのですが、館内はいつ来ても参観者で一杯で、中国大陸からのツアーらしい団体さんが多く目につきました。閉館時間近くまでゆっくりと展示品を見学して外に出て見ると、すっかり日が暮れていたので、夜はMRT士林駅の近くに安宿を探して一泊しました。

鹿港の龍山寺
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龍山寺・五門殿 (鹿港)
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龍山寺・正殿 (鹿港)
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正殿で在家信者の勤行 (鹿港)
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天后宮 (鹿港)
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台鉄の彰化駅
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台北の龍山寺・正面の外門
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台北の龍山寺
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熱心に祈りを捧げる信者さん (龍山寺 台北)
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夕刻の故宮博物院
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2016-01-24 : 外国 :
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台湾旅行 (2)ー中台禅寺ー

  19日に仏光山に参拝したあと、当夜はポリーさんのお世話で実践大学の目の前にあるホテル「益賢山莊」に宿泊しました。このホテルは「順賢宮」という媽祖(船乗りを護る女神)を祀った道教のお宮の隣りにあり、お宮の管理委員会が経営しているそうです。日本の寺院が経営する宿坊に形式は似ているようですが、このホテルは台湾のホテルランクで五ツ星級といわれるように、とてもきれいなホテルで、部屋も広くて快適でした。
  翌20日はホテルで朝食をいただいたあと、実践大学の広いキャンパスを散策しました。台湾の大学は旧正月をはさんだ約一か月が冬休みということで、休み中のせいか、多くの学生さんが朝からキャンパスのあちらこちらでクラブ活動に励んでいました。ついでにポリーさんの研究室も見せていただいたあと、大学から車で約2時間の所にある南投県埔里の中台禅寺へ行きました。
 寺歴によれば中台禅寺は仏光山と同じ中国臨済宗系で、惟覚和尚(1928-)によって開かれました。惟覚和尚は中国・四川省の出身で、台湾に渡ったのち1963年に出家して、1987年に台北県に霊泉寺を創建し、弟子の増加に伴って1992年、埔里に新しく中台禅寺の建立を決意したということです。
 ちょうど昼時にお寺に着いたので、まずお寺のレストランに行って昼食をいただきました。台湾のお寺ですから、メニューはすべて精進料理です。昼食後、8年近く前にここで出家した、ポリーさんの従姉妹の尼僧の方と初めてお会いして、お寺での日常生活をいろいろお伺いしました。このお寺だけで男女の出家者(その三分の二は尼僧)は約1200人もいて、それぞれが割り当てられた作務をして、自給自足に近い修行生活を送っているということです。従姉妹の方は毎日、作務として出家者の食事に供するパンを作っているそうです。日本語の堪能な出家者も多くいて、一週間前に予約すれば、日本語でガイドしてもらえるそうです。
 このお寺の本堂に当たる四天王殿とその奥側にある大雄宝殿は2001年に完成した超モダンな西洋風建築です。昨年9月に訪れた台北市北投の法鼓山大殿と同様に、外観からは寺院建築にとても見えません。大雄宝殿の右隣りにはお寺の所蔵する仏教美術品を展示する中台山博物館があり、現在改修工事中のため残念ながら入館できませんでした。
 
順賢宮
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益賢山莊
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実践大学
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実践大学の校門の前でポリーさん
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レストラン「雲華」での昼食
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本堂(四天王殿、大雄宝殿)
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四天王殿入口
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正面の建物は禅悦苑
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中台山博物館 (現在、工事のため閉館中)
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中国大陸から団体観光グループがバスを連ねて訪れている
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2016-01-23 : 外国 :
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台湾旅行 (1)ー仏光山ー

  1月18日(月)から22日(金)まで所用と観光を兼ねて4泊5日の日程で台湾に行って来ました。所用は現在、台湾の業者に依頼している木鼻彫刻を見るためで、観光は台湾の仏教寺院に参拝するためです。到着した18日と帰国する22日の2回ほど知人の悟寧師の運転で桃園市大渓へ行き、通訳は性一師のおかげで綿密な仕事の検討と今後の打ち合わせが出来ました。
 19日は3人で一緒に精進料理店で昼食をしたあと、日本の新幹線に相当する「高鉄」(高速鉄道の略称)の桃園駅まで送っていただきました。桃園駅は桃園国際空港への玄関口で、現在は駅と空港との間にシャトルバスが走っていますが、MRT(捷運)と略称する高架を走る都市鉄道がほぼ完成して試運転中ですから、今年中には利用出来るようになるでしょう。そうなれば、空港から桃園駅までだけでなく、台北へも短時間で往来できるようになり、とても便利です。
 桃園駅から高鉄に乗って約1時間半、南の終点の高雄・左営駅まで行きました。あらかじめ連絡して駅まで迎えに来ていただいたポリー(陳玉蒼)さんと7~8年ぶりに再会しました。彼女はアメリカと日本の大学に留学して学位を取得した経済学者で、現在は高雄にある実践大学で国際貿易学系の先生をしています。
 左営駅からポリーさんの車で中国臨済宗の流れをくむ仏光山(高雄県大樹郷)へ行きました。仏光山は以前にも参拝したことがあるので今回が2度目です。台湾仏教の「四大山頭」と称される中台禅寺(埔里)、法鼓山(金山)、慈済会(花蓮)と並ぶ巨大仏教教団の仏光山は中国・揚州出身の星雲大師(1927年生まれ)が1949年に台湾へ渡って、1967年に開創した寺院です。それから50年近く経って、今では広大な敷地内に多数の伽藍が建ち並ぶ大本山に発展しています。
 今回は5年前に創建された、「仏陀記念館」を初めて見学しました。記念館の大門を通ると「敬礼ホール」があり、その中はたくさんの商店やレストラン、喫茶店などの店が並んで、ショッピングモールになっています。ホールの中を通りぬけると「仏光大仏」へ到る参道が広がっています。長い参道の両側には各7層の宝塔が4つずつ建っていて、その正面に本館があり、本館の屋上に巨大な「仏光大仏」がそびえ立っていて、見る者を圧倒します。本館内や屋上に上って大仏を見学したあと、せっかく来たので、以前に来た仏光山も参拝しました。とにかく広大な仏光山ですから、境内地はマイクロバスに乗って移動し、ポリーさんの案内で夕方まであちこちを見学しました。

高鉄・桃園駅
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桃園駅と桃園国際空港とを接続するMRTの出入口(今年中に開業予定)
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仏光山(高雄)の「仏陀記念館」大門
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「礼敬ホール」入口
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「仏光大仏」への参道。その左右に4つずつ、合せて8つの宝塔が建ち並ぶ。
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巨大な仏光大仏
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大仏の本館側から宝塔、参道と遠くに礼敬ホールを臨む
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仏光山の頭山門
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大雄宝殿(本堂)へ通じる不二門
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2016-01-22 : 外国 :
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通夜布教 (西本願寺)

  本山・西本願寺では1月16日の宗祖・親鸞聖人のご命日に合せて、9日から16日まで「御正忌報恩講法要」が勤められます。ご命日の前夜(大逮夜)には、本願寺境内地にある聞法会館を会場に夜通しの「通夜布教(つやふきょう)」が毎年、開催されます。
 通夜布教とは親鸞聖人がご往生される前夜に門弟らが集まって夜を明かしたことに始まるといわれ、1月15日の夜7時から翌朝午前5時40分まで本願寺境内地にある聞法会館の1階総会所と3階の多目的ホールで同時開催されます。全13人の本願寺派布教使さんが2会場を掛け持ちして、一人40分の持ち時間で法話をされます。私も以前は通夜布教を京都まで出かけて聴聞していましたが、ここ数年はネット配信を自宅で見るようにしています。昨晩も7人の布教使さんのお話しを午前1時前まで聴聞しました。

藤井 邦麿師 (大分教区 速見組 正善寺)
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大塚 憲城師 (大分教区 日田組 円福寺)
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小笠原 博慧師 (東京教区 都留組 福泉寺)
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林 史樹師 (高岡教区 伏木組 要願寺)
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永原 智行師 (和歌山教区 日高組 教専寺)
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中川 清昭師 (福岡教区 御笠組 願應寺)
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安間 宣秀師 (山口教区 防府組 萬行寺)
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午前1時過ぎの会場
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2016-01-16 : 県外 :
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『山陽』(終刊号)

  本ブログで8回にわたって載せた「美祢坑外展望ー職場めぐりー」は、山陽無煙鉱業所の社内報『山陽』に掲載された記事です。この社内報は昭和45年(1970)、山陽無煙の閉山とともに廃刊になりました。最後の刊行になった『山陽』(終刊号)をご門徒の池田実氏(美祢市大嶺町中村在住)が保管されていたので紹介します。下の写真は終刊号の第一面で、刊行日は昭和45年11月28日になっています。
 さて、終刊号は全10ページ建ての特集号が組まれています。第一面は「皆さん、長い間ご苦労さまでした!今後のご健闘をお祈りします」という大きな題字の下に、山陽無煙の麦川構内の鳥瞰写真が掲載されています。その下に、親会社の宇部興産の専務取締役・中安信丸氏(石炭事業部長)の「採炭終了について」と、山陽無煙の最後の所長であった大塚堅氏の「親愛な山陽一家の皆様方へ」という記事が掲載されています。
 中安氏は、「山陽無煙鉱業所も明治30年操業開始以来、海軍炭鉱、休山、再開等、過去70有余年間に色々の紆余曲折がありましたが、長期採炭による坑内状況悪化に加えて、エネルギー消費構造革命に遭遇し、その中で存続を計るべく最大の努力をしてきましたが、残念ながら11月27日をもってすべての採炭作業に終止符を打たざるを得なくなりました」と述べ、山陽無煙の閉山は昭和45年11月27日であったことがわかりました。
 第一面の最下段のコラム「ボーリング」に、「全国無煙炭の約45%の産出を誇ったわが山陽無煙鉱業所も本日をもって閉山になり、一抹の詫びしさも感じられるが、今日までの国の基幹産業として国家社会に尽した業績は、自負に値あるものではあるまいか」と記されています。当時、地元を離れていた私は閉山前後の山陽無煙の様子はほとんど知り得なかったのですが、このたび終刊号を読んで半世紀近い昔の麦川に思いを馳せながら感慨に耽っています。他の紙面もこの続きとして紹介する予定です。

『山陽』終刊号(昭和45年11月28日)、第一面
山陽1

上掲第一面の山陽無煙麦川構内の鳥瞰写真を拡大
山陽1(写真)
2016-01-12 : 麦川地区 :
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美祢坑外展望 (8)

 昭和45に閉山した山陽無煙鉱業所の社内新聞『山陽』に掲載された「美祢坑外展望  職場めぐり」は今回が最後です。これまで7回(第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回)にわたって記事を紹介しました。
 今回は機電二課二係に属するケーブルベルトを取り扱う職場です。地下で採掘した石炭を地上まで搬出するには石炭運搬車(炭車ともいう)を使うのが一般的だと思っていたのですが、本記事によればケーブルベルトも重要な搬出設備であったことがわかります。
 記事に出てくる「美祢斜坑」は今は坑内入口が閉鎖されていますが、キーストーンを掲げたアーチ型の坑口は残されています(下の写真を参照)。現在、山陽無煙鉱業所跡地で操業している宇部サンド工業がダンプで運んで来た珪石をケーブルベルトで運搬するのに利用しています。
 記事は石炭産業の斜陽化で山を去っていく仲間が増えていることを憂いながら、何とか職場を守って行きたいという記者の思いが伝わってきます。しかしながら、石炭から石油へというエネルギー革命は如何ともしがたく、この記事の数年後に山陽無煙は閉山に追い込まれます。
 8回にわたって『山陽』という社内報に掲載された職場めぐりの記事を紹介しました。今ではこうした昔の職場のことを語れる人はほとんどいません。歴史の記録として本ブログに残すことも多少の意味はあるでしょう。

現在の「美祢斜坑」、坑口から出ているケーブルベルトは宇部サンド工業が珪石運搬用に利用
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山陽無煙鉱業所が操業していた当時の美祢斜坑の坑口(写真は島村ミネ子様より借用)
美祢斜坑

美祢坑外展望8(修正) 2015-08-20 7-04-30 1908x3290
(上掲記事を以下に転載)

【美祢坑外展望 職場めぐり ケーブルベルトの巻】
  ケーブルベルトは機電二課二係に属し、昭和35年の深部開発にともない、送炭能力アップが目的で、その当時数億円の投資をおこない、英国よりケーブルベルト及び機械設備を導入して施設したものである。1斜坑11坑道より美祢坑外まで、延々として三千六百米の長きに及ぶのである。其の間を三区分して、美祢斜坑700馬力、1斜坑1000馬力、中央坑道80馬力とそれぞれの各エンジン座が原動力となり、毎時600屯の送炭能力を発揮している。
 電気設備の運転方法は全部、美祢坑外の総括制禦室に於いて自動運転となっている。ケーブルベルトや電気系統の故障等の発見、故障した時の保護装置も全て坑外の制禦室でわかるようになっているので、大事故にならない。しかしながら、全てが自動化されたと云っても、無人化と云う事は不可能であり、電気、機械、改補、予選、制禦室と別れて勤務している。職場が長い距離にわたってあるうえ、斜坑が多く、11坑道まで往復すると二時間は優にかかる。一旦ベルト切断、脱落等の故障があった時、全員集合の命令で現場に着く迄、最少30分、末端に至っては1時間かかる勤務個所が分散しているので、連絡が取りにくいのは理解出来るであろう。しかし、ケーブルベルトは、縁の下の力持ち的仕事として認識、山陽発展の動脈と自負し、炭じんと騒音に悩まされながら作業に整備に取り組んでいるのである。作業員は毎日の申し送り日誌に異状なしを記入した時の気持ちは何とも云えない。
 山陽を愛し、職場を愛して今日まで来たが、炭界不況で他産業にと離山して行く姿を見、山の自然老化現象を見た時、将来に対する一抹の不安を感じる労使の生産計画、対人間関係には充分配慮して、将来性ある山にして下さいと語った、この言葉の意味は山全体が考えていることであり、記者も一執行部員としての務めを邁進し、又責任の重大さを再認識したのである。山の不況は我々の手で取り除こうではありませんか。……
2016-01-05 : 麦川地区 :
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新年のご挨拶 (平成28年)

    正月は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

(注記) 「正月は」の代わりに「元旦は」とか、「門松は」と詠むこともあるようです。作者は室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶・一休禅師といわれています。

 平成28年(2016)の新年が明けました。今年もよろしくお願いします。天気予報では元旦は初日の出が見られる地方も多いということでした。当地は明け方は曇っていましたので、どうであったかわかりませんが、次第にやわらかな日差しが出てきて、穏やかな日和になりました。
 昨日の大晦日は新年を迎えるにあたって、仏さまのお荘厳と本堂の掃除をしました。内陣は打敷を敷いたあと、一昨日ついたお飾り餅に橙(だいだい)のせてお供えし、若松、南天、寒菊を活けた花瓶と朱ロウソクを飾って準備を終わりました。
 例年のごとく午後11時45分すぎから除夜の鐘を突き始めました。ふだん寺の鐘を突く機会のない老若男女の皆さんが参詣されて思い思いに鐘を突きました。皆さんが108の鐘を突き終わると、本堂でいっしょに『讃仏偈』のお勤めをし、午前1時半すぎまで車座になってコーヒーと菓子をいただきながら、しばし世間話をしました。
  生々流転の世ですから、世界の動向や日本社会がどのように移り変わって行くのかわかりません。昨年が戦後70年の節目ということで、テレビや新聞などのマスコミで戦争の悲惨さが繰り返し伝えられました。また東日本大震災から4年が過ぎましたが、被災者と被災地の現状はどうなっているのか、福島原発事故を忘れたかのように、原発再稼働の動きも活発になっています。戦争も大震災も体験していない者がそれに思いを向けることは容易ではないと感じながら、決して忘れてはならないことだと思うのですが…。

新年の内陣のお荘厳
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元旦の朝の風景
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2016-01-01 : 西音寺 :
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浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

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