FC2ブログ
宝林廟 西音寺 麦川保育園 麦川地域などの情報を写真で紹介

ハクモクレン(白木蓮)の開花

 モクレン(木蓮)の花は紫色のシモクレン(紫木蓮)と白色のハクモクレン(白木蓮)の二色が一般的です。我が寺には以前、紫木蓮の木が1本ありましたが、境内地のトイレを4年前に改築した際に伐採せざるを得なかったため、現在はハクモクレンの木が本堂の前と納骨堂の前の2本あります。花が開花する時期も日照の関係でしょうか、多少、異なります。ハクモクレンの花は風や雨に弱いため、その純白の美しさを保っている時期はとても短かいです。花びらが開いたかなと思って見た二、三日後には白い花びらに茶色の枯れ色が付いていることがあります。写真に撮るとなれば、やはり純白の花を撮りたいので、納骨堂の前はすでに茶色く変色したところが目に付くため、今回は本堂の前にある樹齢80年以上は経っている老木のハクモクレンを撮りました。

P1160924.jpg

P1160928.jpg

P1160908.jpg

P1160913.jpg

P1160948.jpg
2016-03-31 : 西音寺 :
Pagetop

美祢西組連研修了式

 本日は2年間にわたって全12回開催された美祢西組の第4期連続研修会(=連研)の修了式が宝泉寺(大嶺町上領)で夜6時半から開催されました。今期は西音寺からの3人の参加者を含めて19人の西組各寺のご門徒が受講し、一人の途中落伍者もなく、全員が修了証を授与されました。私も受講者の皆さんと共に一度も欠席せずにオブザーバー参加し、多くのことを学びました。
 本日はいつものように最初に全員で、『正信偈』のお勤めをしたあと、修了式が行なわれました。組長(宝泉寺)さんから受講者の代表の方に修了証書と皆勤賞とがそれぞれ授与されました。修了式に続いて、田中教照師(武蔵野大学・学院長)から「両重の因縁」についての法話を45分ほど聴聞しました。法話が終わると、最後は西組の担当スタッフと受講生全員の参加で懇親会が開催されました。こうして有意義な2年間の連研があっという間に終わりました。毎回異なったテーマに従って、班ごとに受講者同士が相互に意見を言いながら理解を深めて行くやり方の、いわゆる「話し合い法座」はいろんな人の異なった意見を聞くことが出来たこと、またお互いが親しくなったということでおおむね好評だったようです。
 このたびの組連研を修了して、今後本山・本願寺で3泊4日の中央教修を受講すれば、門徒推進員に任命されます。現在、美祢西組にも10数名の門徒推進員さんがご門徒の立場からお寺の活動だけでなく、仏教徒としての社会貢献に励んでおられます。そうした同志の輪が一層広がることが望まれます。

全員で読経
P1160816.jpg

組長さんから代表に修了証の授与
P1160825.jpg

組長さんから代表に皆勤賞の授与
P1160829.jpg

田中教照師の法話
P1160832.jpg

懇親会
P1160844.jpg
2016-03-25 : 美祢市 :
Pagetop

春のお彼岸

 今日は春のお彼岸の中日ですから、西音寺では宝林閣(納骨堂)、宝林廟(永代供養墓)、本堂の三か所でそれぞれ行事が行なわれました。まず8時から宝林閣内の三か所の仏壇で読経のお勤めをしたあと、9時から宝林廟に上って墓前でお勤めをしました。
 朝から晴れ渡った良い天気になりましたが、風が時折り強く吹き、また気温も暖かいというほどに上がらなかったので、日差しはあるものの屋外での読経は風が冷たく感じられました。13人の方がお参りに来られて、読経と焼香が終わったあと、恒例の記念写真を撮り、ふだんは施錠してある宝林廟の中に入って、それぞれの納骨箱を確認していました。宇部からお母さんとその娘さん親子の三世代で来られる方は、春彼岸にはいつも満開になった河津桜のもとで記念写真を撮ってあげます。
 午後1時からは朝と同じように宝林閣の三か所で読経が勤められたあと、本堂で春のお彼岸法座が開かれました。今回は蘭哲昭師(長門市・願生寺)をお迎えしてご法話を聴聞しました。暑さ寒さも彼岸までと言われますが、当地も昨日あたりから春の陽気になり、もうじき宝林廟周辺のソメイヨシノ桜も咲き始めることでしょう。

P1160806.jpg

P1160794.jpg

P1160787.jpg

P1160809.jpg
2016-03-20 : 宝林廟 :
Pagetop

月組さんの園外散歩(麦川保育園)

 3月もなかばになり、春の訪れが感じられる今日この頃ですが、まだまだ朝晩は寒くて本格的な春までもう少しといったところです。今日は朝から久しぶりに良い天気になったので、卒園を月末に控えている月組さんが担任の先生といっしょに宝林廟へ記念写真の撮影をかねて散歩に出かけました。園児さんの足で保育園から歩いて5分くらいのところですが、広い境内地は沢水が流れる水路があったり、急斜面の崖があって、遊び回るには危険ですから、ふだん園から遊びに行くことはありません。
 先月19日にお知らせした1本だけの河津桜が、先日から見ごろになっていて、ちょうど満開に咲いていました。はじめて来たという園児さんは卒園記念の撮影もかねていたので、まず休憩所の象のイスに座って、次に満開の河津桜の下で、そして展望台のヒマラヤ杉の大木の前で、それぞれ記念写真を撮りました。初めて来たところですから、好奇心旺盛な園児さんは楽しいねと言って、とても喜んでいました。晴れ渡る日差しのなかで、展望台から見渡す眼前に広がる山並みや県道を行き交う車にとりわけ興味を持ったようで、声を上げて見とれていました。

P1160719.jpg

P1160773.jpg

P1160733.jpg

P1160745.jpg

P1160752.jpg

P1160779.jpg

P1160781.jpg
2016-03-15 : 麦川保育園 :
Pagetop

おゆうぎ会(麦川保育園)

 日曜日の今日は平年より気温は高いものの朝から小雨が降り続いて、あいにくのお天気でしたが、午前9時から麦川保育園の「おゆうぎ会」が開かれました。「おゆうぎ会」は秋の運動会と並んで、保育園の二大行事の一つです。早い人は朝8時すぎから園児さんは家族といっしょに登園してきて、まずビデオカメラの設置や場所取りをします。この日ばかりは運動会と同様、保護者の方は言うまでもなく、おじいちゃん、おばあちゃん、卒園児さんなど、一目かわいい我が子や孫の晴れ舞台を楽しみに来園されます。
 本園は園児数が少ないため、年少さん以上になると踊りや劇や合奏など一人で何度も出演しますから、その都度、保護者の方も衣装替えの準備に大わらわです。でも、幕が上って、園児さんが舞台に登場すると、我が子の成長した姿に目を細めて楽しんでおられる様子がうかがえます。そして11時半すぎにすべてのプログラムが終わると、満足気の園児さんはに三々五々降園して、家族といっしょにどこかにお昼を食べに行き、おゆうぎ会の話で盛り上がることでしょう。

P1160347.jpg

P1160439.jpg

P1160358.jpg

P1160386.jpg

P1160413.jpg

P1160424.jpg

P1160479.jpg

P1160693.jpg

P1160623.jpg
2016-03-06 : 麦川保育園 :
Pagetop

昔の大嶺駅

 JR美祢線の南大嶺駅から大嶺駅までの支線であった大嶺線は平成9年(1997)3月末日をもって廃止されました。大嶺駅の跡地には現在、大嶺郵便局が建っています。局内の利用者コーナーにいろんな陳列品が置かれていて、その一つに昔の大嶺駅の写真が展示されています。このたび前大嶺郵便局長の生田さん(現・美祢郵便局長)と現・大嶺郵便局長の加藤さんのご好意で、局に保管されている昔の大嶺駅に関する5枚の写真をお借りしたので、本ブログで紹介します。
 さて、歴史資料によれば、厚狭(厚狭駅)から麦川(大嶺駅)までの約19.7Kmに鉄道が開通したのは明治38(1905年)年9月13日のことです。この鉄道が新設された原因は明治37(1904)年2月に日露戦争が起こったことによります。海軍省は艦船の燃料としてそれまでの有煙炭よりも無煙炭の方が敵艦に見つけられにくく有効であるという理由で、麦川に「海軍練炭製造所採炭部」を設置して本格的に無煙炭の開発に着手しました。そして、採掘された無煙炭を貨車で輸送する始発駅として大嶺駅が利用されました。
 下に年代の古い順に載せた5枚の写真の最初は、「海軍燃料廠採炭部大嶺炭鉱正門  山口県美祢郡大嶺村」という文字が写真に印刷されていることから、海軍省が大嶺炭田の経営を廃止して、民間に払い下げた大正12年より以前に撮影されたものでしょう。撮影場所は寺の前を流れる麦川川に架かる橋とその手前左側に二階屋が見えることから推定できます。すなわち、この橋は麦川上地区(昔は寺町と呼んでいた)と下地区との境にあたる場所に架かっていて、二階屋までが上地区に属していました。橋はその後、何度か改築されたようで、昨年末に河川改修と道路拡幅工事に関連して、新しく橋が架け替えられました。また正門そのものは形は変わったものの、海軍省時代から山陽無煙の閉山まで構内への出入り口として存続し、現在も宇部サンド工業への車両が出入りしています。
 2枚目と3枚目の写真は両方とも大嶺駅舎を撮ったものです。2枚目の方が古い写真で、昭和30年代前半ころの写真だろうと推測されます。4枚目の写真は大嶺駅に停車している蒸気機関車を撮ったものです。駅舎の後方に石炭を貨車に積込むホッパーが見えます。まだ山陽無煙鉱業所がまだ操業していたころの写真でしょう。最後の5枚目の写真は平成9年(1997)3月31日、大嶺駅舎前で行なわれた大嶺線廃止記念のセレモニーを撮ったもので、当時の牛尾一市長が挨拶されています。
 なお、 本ブログでは平成25(2013)年の5月21日5月24日5月25日平成26(2014)年3月13日にそれぞれ大嶺駅に関係する写真を掲載しました。

写真下部に海軍燃料廠採炭部大嶺炭鉱正門と記されている
大嶺駅引込線(明治か大正)

大嶺駅(撮影年不明)
大嶺駅(年不明)

大嶺駅(昭和40年ころ撮影)
大嶺駅(昭和40年ころ)

大嶺駅に停車中の蒸気機関車(撮影年不明)
大嶺駅とSL

平成9年(1997)3月31日の大嶺線廃止記念セレモニー
大嶺駅(平成9年)
2016-03-05 : 麦川地区 :
Pagetop

二宮金次郎像 (麦川小学校)

 月が改まって弥生3月の昨日は寒い一日でした。今日は一転して朝から良い天気になり、気温も上りました。今日たまたまネットで、最近、各地の小学校に設置されていた二宮金次郎像が撤去されて、次第に少なくなっているというニュースを見ました。それによれば、撤去される理由は「勤勉の精神が時代に合っていないから」とか、「ながら歩きは危険だから真似をしないため」といった意見があるためのようです。しかし、金次郎像の撤去は今に始まったことではないようで、40年前ごろから「金次郎が本当に薪を背負って、歩きながら本を読んでいたのか不明」、「像の真似をすると交通安全上から問題がある」、「今の教育方針に合わない」といった理由で次第に減少しているそうです。昭和の始めころから全国の小学校の校庭に金次郎像が設置された背景に、当時の政府の思想統制の意図があったといわれますが、それはさておいて尊ぶべき勤労、勤勉の大切さを教え示す意味もあるでしょうから、しいて撤去しなくても良いのではと思います。
 そこで麦川小学校の金次郎像はどうであろうか、と思って見に行きました。私たちが小学生だったころは現在地から少しばかり校舎側に寄った所に、台座も今のと違って、小学生が見上げるくらい高い位置に設置されていました。現在は手でさわれるほど低いブロック積みの台座の上に立っています。何らかの理由で場所は移動していますが、撤去されずに現在も残っています。この像の裏面に備前焼の陶器製であることを示す「備前」という文字と作者の名前が刻字されていますが、いつの製作年かは不明です。金次郎が左手に持っている本の一部が欠けていますが、それ以外は大きな損傷はありません。
 金次郎像の近くにもう一つ別の石像が設置されています。それは男女の児童が石か石炭のようなものをいっしょに運んでいる像です。台座に貼ってある3つのプレートを見ると、正面は「第86回卒業記念」、側面は「全国交通安全優良校受賞記念」、裏面は「昭和47年3月22日建立」と記されているので、今から44年前に造られたものです。

二宮金次郎像 (麦川小学校)
P1160545.jpg

手に持つ本の一部が欠けている
P1160548.jpg

読み取りにくいですが、「備前」という文字と作者名(関○○と読めるが、○は不明)が刻まれています
P1160549.jpg

麦川小学校グラントの片隅に立つ金次郎像
P1160555.jpg

仲良し像(昭和47年3月22日建立)
P1160558.jpg

P1160621.jpg

P1160559.jpg

P1160561.jpg
2016-03-02 : 麦川地区 :
Pagetop
ホーム

プロフィール


浄土真宗本願寺派 西音寺 住職  
住所:山口県美祢市大嶺町奥分 2058
電話 0837-52-0415

カレンダー

02 | 2016/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

お知らせ

宗旨、宗派を問わず、どなたでも納骨できる宝林廟の納骨方法や納骨費用など、詳細は上記のメニューバーをご覧になるか、お電話(0837-52-0415)をください。パンフレットをご希望の方は下のメールフォームからご連絡ください。

メールフォーム

名前:
メール アドレス:
件名:
本文:

リンク