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ハクモクレンの開花

 今日で3月も終わり、明日からもう4月に入ります。この季節に見逃せない、私の好きな花はハクモクレン(白木蓮)です。寺の境内に本堂の前と納骨堂の前の2本があります。本堂の前のハクモクレンは私の幼少期にすでに成木だった記憶があるので、相当に年数の経った木と思われます。それに比べて、納骨堂の前のは48年前に納骨堂が建てられた以降に植えられたものですから、幹の木肌そのものが歴然と違っています。
 ハクモクレンの花の美しさは気品を漂わせた純白の花びらにあります。しかし、その白磁のような美しさは「美人薄命」のことばではないが、せいぜい3日くらいしか持続しません。すぐに純白の花びらに茶色の染みが現れてに変色し、そのうちにパラパラと散ってしまいます。注意して観察していないと、一瞬の盛りを見逃してしまうような短命な花です。
 「短命」で思い出したのが、黒澤明作品の『生きる』(昭和27年公開)という映画で、主人公が夜に公園でブランコをこぎながら、『ゴンドラの唄』を歌う有名なシーンがあります。「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」という歌詞は印象的です。

本堂前のハクモクレン
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納骨堂前のハクモクレン
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ハクモクレン
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2018-03-31 : 西音寺 :
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宝林廟の春

 先日21日のお彼岸の中日は冷たい雨が降り続きましたが、翌日から天気が次第に回復して、ここ数日間はすっかり春の暖かい陽気が続いています。参道口から上った坂道の左右に町内の方が整備された花壇があり、季節ごとに花が植えられています。今はパンジー、ラッパスイセン、クリスマスローズなどの花がきれいに咲いています。レンギョウの細い枝がたくさん伸びて、黄色い花を咲かせています。
 以前、本ブログで紹介した水路のそばのフキノトウの花も咲きました。例年なら、お彼岸にはほぼ満開に咲く河津桜が、今年は少し遅れて一昨日あたりに満開になったようです。河津桜は山桜と同じように花と葉が同時に開くので、今日見ると、ピンク色の花が薄緑色の若葉とがコントラストをなして満開でした。河津桜の近くに一昨年、植えた一重咲きの枝垂れ桜がちょうど満開になっていました。宝林廟の境内には4本の枝垂れ桜が植えてありますが、一番早い満開です。
 また、参道の両側にあるソメイヨシノも七分咲きで明後日ごろには満開になるでしょうから、写真はその時に載せたいと思います。近所の会社に勤めている社員の方が昼休みに散歩がてら宝林廟に上がって来るのとたまたま出会ったので少しお話をしました。境内地には休憩場所もあるので、ソメイヨシノが満開になれば、参拝者だけでなく一般の方にとっても花見にとても良い場所だと思います。

参道の途中に咲くレンギョウ
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フキノトウの花
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例年より遅かった河津桜が満開
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河津桜のアップ
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一昨年植えた枝垂れ桜が満開
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2018-03-28 : 宝林廟境内 :
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春季彼岸の中日(2018)

 今日は春のお彼岸の中日でした。寒の戻りで冬に逆戻りし、しかも数日前からの雨が止むことなく、今日も一日中降り続いたあいにくの天気でした。恒例の行事として今朝は9時から宝林廟の墓前で読経する予定でしたが、雨天のため本堂で法要を勤めました。平成22年(2010)の9月、宝林廟の供用開始以来、年3回ずつ今日のお彼岸まで通算23回の宝林廟法要を勤めましたが、本堂での法要は今回が初めてでした。
 今朝、6時の梵鐘を撞いたあと、宝林廟参道上り口に建てられている石柱に、「本日の法要は寺の本堂で執り行います」という掲示板を設置したので、8時半ころから参拝者の皆さんが次々と本堂に入って来られました。開始まで少し時間があったので、まず皆さんにお茶を一服飲んでいただきました。そして定刻になったので、参拝者全員にお経本を配布して、一緒に『阿弥陀経』を読誦し、最後に「真宗宗歌」を歌いました。
 宝林廟の現場での法要は、お茶の接待はないし、お経本の配布や「真宗宗歌」を歌うこともしません。でも、そうした違いがあるものの、やはり宝林廟の墓前での法要が本来のやり方ですから、次回8月のお盆の法要は真夏の空の下で勤めることが出来ればと思います。ついでながら、ニュースでは各地の河津桜の満開がだいぶ前から伝えられていますが、宝林廟の河津桜は寒さのせいか今年はまだ一輪の開花もありません。中日は寺の境内地にある納骨堂の法要と午後からの彼岸会法座(講師 井上龍秀師)も勤めて、一日の行事が終わりました。

法要後の宝林廟参拝者の集合写真(西音寺本堂にて)
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2018-03-21 : 宝林廟 :
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イチョウの枝打ち

 今日は伐採業者さんに依頼して境内のイチョウ(公孫樹)の枝打ちをしていただきました。このイチョウはメス(雌木)で、樹齢はよくわかりませんが、地上1mの幹周りが2mあまりあります。樹高も15m以上はゆうにあると思いますが、正確にはわかりません。以前の本ブログに載せたように、秋には黄金色の葉がとても美しいので、出来れば枝打ちをしたくないのですが、横枝が本堂の屋根に接するほど伸びて、放っておくと屋根を傷める可能性があるので、この際すべての枝を払ってもらうことにしました。
 昔はもう1本同じくらいの大きさのオス(雄木)が本堂のすぐそばに立っていたのですが、20年余り前に本堂の瓦を葺き替えた際、切り倒して撤去しました。同時にメスのイチョウは幹の頭部を切って上に伸びるのを抑え、脇枝もすべて切ったので、今回はそれ以来の枝打ちです。オスの木がなくなったら、それ以前は秋にたくさんのギンナンの実が落ちて、始末に困るほどでしたが、実がならなくなりました。
 業者さんは朝8時すぎから高所作業車を搬入し、バケットに乗り込んで一人で操縦しながら、下から順にチェーンソーで枝を切り落として行きました。木の伐採には慣れているので、手際よく次々と切り落として行き、正午前にはすべての枝がなくなりました。
 この際、ついでに古い経蔵の前にあるダイオウマツ(大王松)の太い幹も1本取り除いてもらいました。当初は根本から切り倒すつもりだったのですが、父が造園業者さんに頼んで、他所から移植した木ですから残すことにしました。作業が終わったあと、枝のない幹だけのイチョウを見ると、何とも不格好な姿になりました。そのうち新しい枝が出てきて、数年うちには違う姿のイチョウが見られることでしょう。ただ、以前本ブログに載せたような保育園の園児さんたちが黄葉したイチョウの落ち葉で遊ぶ様子は今年は見られないのが残念です。

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2018-03-15 : 西音寺 :
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新聞記事 「肉食妻帯は僧の堕落?」

  昨日の朝日新聞文化欄に 「肉食妻帯は僧の堕落?」という見出しの記事があったので紹介し、私なりの説明をしてみたいと思います。「肉食妻帯(にくじきさいたい)」とは、僧が肉を食べ、妻をめとることを意味するが、いわゆる「生臭(なまぐさ)」と称する肉や魚などを食べ、結婚しても良いのだろうか、それは堕落ではないのか、という僧侶に対する疑問が本記事のテーマです。
 仏教の歴史はインドでブッダ(釈尊)が仏教を開いて以来およそ2,500年、日本に仏教が伝来してから約1500年という長い歴史を有しています。その間、仏教は発祥国のインドから東アジア、東南アジアの諸国へと伝播し、その受容の様態はそれぞれに異なっています。とりわけ日本の仏教は、僧侶の肉食妻帯が他の仏教国に見られない大きな特徴といえます。
 肉食妻帯の僧侶といえば、鎌倉時代に活躍し、私たち浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が有名です。当時の僧侶は家を出て、家族と離れて仏道に入り、厳格な戒律を守って修行をする出家者でした。聖人も出家して比叡山で20年にわたって厳しい修行を続けた末に山を下り、法然上人の弟子になって浄土教の教えに導かれました。その後、非道徳で、伝統的な仏教の秩序を乱すと非難されたにもかかわらず、聖人は恵信尼(えしんに)を娶り、子どもをもうけ、生臭を食べて一般民衆と同じように在家者として仏の道を歩まれました。このように聖人が在家僧として生涯を貫かれたのは、出家修行や身分・家柄などに一切関係なく、誰でも阿彌陀仏の本願を信じる者は、ただ念仏を称えるだけで救われることを確信されたからに他なりません。
 出家せず、無戒の在家主義が浄土真宗の宗祖以来の伝統です。他方、出家し受戒する出家主義を旨とした他の宗派も明治政府が「肉食妻帯勝手たるべし」という法令(明治5年・1872)を出して以来、戒律を守り、出家主義を貫く一部の僧侶を除いて、すべての宗派の僧侶が肉食妻帯し、世間一般の人と同じ生き方をしているのが日本の僧侶です。このような僧侶が堕落していると言えるのかどうか、それは僧侶一人ひとりの生き様が決めるのではないかと思います。 

『朝日新聞』平成30年3月4日付け
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(上掲記事の本文を以下に転載)

古代インド。俗世から離れた出家者は、独特の規律で生きていた 。人々は出家者に食べ物などを施して功徳を積み、出家者は施されたものを頂いた。肉も食べた。諸説あるが、お釈迦さまが最後に食べたのは豚肉料理だったとも伝わる。出家者が食べなかった肉は、国王が所有する象や卑しい動物と考えられた犬だった。
  東京大大学院の蓑輪顕量教授(インド哲学・仏教学)によると、仏教には、殺しや飲酒など、してはいけない五戒があるが、肉食は含まれていない。
  時代が下り、一般にも輪廻(りんね)思想が広まった。先祖が動物に生まれ変わったかもしれない。その肉を食べられるのか。さらに、肉を食べるには生き物を殺さなければならず、殺生を禁ずる五戒に背く。そんな考え方が広がり、3~4世紀には肉を食べなくなった。異性とは、よこしまな関係が禁止されていた。

6世紀、仏教が日本に伝わった。肉は薬として食べられるだけだった。だが平安時代、出家した貴族が妻を持ち、子孫を残すようになった。神と仏が結びつく神仏習合も影響した。神宮寺という寺が神社にできたが、神社のありように影響され、その住職が結婚していた可能性も考えられる。蓑輪さんは「貴族の出家と神仏習合が、日本の僧侶が妻を持つ基礎になったのではないか」と言う。
  独特な発展をとげた日本仏教の特徴も大きい。古代インドと違い、日本では、世俗のなかで普通の人たちと暮らしながら、仏道を歩む出家者がいた。
  その1人が「非僧非俗」を生きた親鸞(1173~1262)だ。29歳で比叡山を下り、浄土宗の開祖・法然に弟子入りした。その後、結婚し、子どもをもうけた。親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派の総合研究所の満井秀城副所長は「妻帯を公言した初めての僧侶」と言う。
  結婚した理由に法然の言葉が考えられる。「念仏をとなえることが第一。結婚しないと念仏をとなえにくいのであれば妻を迎えなさい」という内容だ。親鸞はこの教えを実践し、浄土真宗の僧侶は肉食妻帯をしてきた。他宗からは非道徳的、伝統的な秩序を乱すと批判された。

  転機は1872(明治5)年。明治政府が太政官布告という法令を出した。「肉食妻帯勝手たるべし」。僧侶が肉を食べるのも結婚するのも、ご自由に――。そんな内容だ。
  明治政府は欧米にならって近代化をはかり、神道の国教化を進めた。68年に神仏判然令を出し、それまで結びついていた神と仏を分けた。仏像やお堂などを壊す廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が全国に広まった。仏教の力がさらに弱まったのが肉食妻帯だ。浄土真宗以外の僧侶も結婚するようになった。世俗とは違う価値観で生きていた僧侶が普通の人たちと同じような生活になることで、聖性が薄まっていった。
  明治から150年の今も禅宗の臨済宗では、結婚した僧侶はトップの管長になれない。だが、大半の寺は世襲だ。
  満井さんは「僧侶が地域に根づくことで、地域の人に安心感を与えられる」と世襲のメリットを挙げる。一方、安住することで向上心に欠けるというマイナス面もある。「僧侶が肉食妻帯のように同じ生活形態に身を置き、同じ目線を持って人々の苦に向きあうことが大切だ」
 (岡田匠)

(コラム) 花開いた「半僧半俗」 (宗教学者・釈徹宗さん)
  日本仏教の特徴は、世俗にあって仏道を歩むことです。僧侶が普通に社会生活を営み、仏教をわかりやすく説いてきました。一方、世俗から離れるという本来の仏教が持つ出世間性は薄まりました。でもなんとか続いてきた。この微妙なバランスが、明治政府の「肉食妻帯勝手たるべし」で崩れたと言えます。
  半僧半俗のような独特な日本仏教を「在家中心の仏教」とみれば相当、花開いたと言えます。死と向きあい、悲しみに寄り添い、多くの文化を生みました。出家者が身を清潔に保つことから歯磨きも入浴も仏教がもたらしたと言われます。ローカリズム仏教と呼んでいますが、地域ごと寺を支えてきました。地域コミュニティーが崩れ、日本仏教は衰退したと思われがちですが、むしろ可能性に満ちている。若い僧侶を中心に、地縁血縁に頼らず公共性の高い取り組みが広まっています。
  日本仏教には密教、念仏、禅、法華経、華厳経など様々な系統が途切れることなく続いています。世界でも、まれです。仏縁豊かな日本仏教をたどって頂きたいと思います。
2018-03-05 : 新聞・書籍・TV :
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春を探して

 今日は全国的に春の陽気になったようで、当地も朝から暖かい日差しに恵まれた良い天気になりました。寺の境内を歩いて春を探しに行きました。ロウバイが甘い香りを漂わせて満開になっていました。また境内地の端にある納骨堂の前には梅の老木やハクモクレン(白木蓮)の木々があり、梅の木は満開ではないのですが、清楚な白い花が開いていました。ハクモクレンは蕾が少し膨らんできました。
 ついでに宝林廟にも上がって見ました。毎年フキノトウ(蕗の薹)が出る所に行って見たところ、数は少ないものの、頭をのぞかせていました。これからたくさん出てくるはずです。このフキノトウの花が開くのは3月下旬ころです。また宝林廟には7年前に植えた、早咲きで有名な河津桜が1本あります。ニュースによれば、県内ではすでにピンク色の花が咲いて、花見客が訪れているということですが、当地の河津桜は例年、春の彼岸ころにようやく咲くので、まだ固い蕾の状態でした。
 宝林廟で最も多く植えられているのがアジサイです。このアジサイは町内の方が毎年少しずつ植栽して増えていったもので、今では境内地全体にいろんなアジサイが見られます。とりわけ参道の周辺はアジサイ坂と呼ぶのにふさわしいほどになりました。すでに葉芽はたくさん出ていますので、もうじきみずみずしい葉が開くでしょう。このまま一気に春になればと思うのですが、まだ3月も上旬ですから寒の戻りがあるでしょう。

満開のロウバイ(西音寺境内)
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納骨堂前の梅が開花(西音寺境内)
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納骨堂前のハクモクレンの蕾(西音寺境内)
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頭をのかせたフキノトウ(宝林廟)
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河津桜の蕾(宝林廟)
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アジサイの葉芽(宝林廟)
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2018-03-04 : 西音寺 :
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