麦川保育園のツバメ
昨年(2017)6月3日の本ブログで、麦川保育園の玄関口に平成25年(2013)から作られ始めたツバメの巣の移り変わりついてまとめました。その後、6月27日の本ブログで、セアカツバメ(コシアカツバメ)のことを述べ、さらに7月16日の本ブログでは最も新しい巣のことを述べました。要するに、保育園の玄関口には、4つのツバメの巣が昨年までに作られました。
今春、ツバメが戻って来て、昨年までに作られた4つの巣のどれかに産卵するかと思っていました。だが、それはしないで、新たな巣を作り始めました。その場所は玄関口のもっとも奥まったレンガ壁の所です。そこには昨年作られた巣がすでにあり、そのことは上記7月16日のブログで報告しました。なぜだかその巣を利用しないで、真横に今年の新しい巣を作りました。ツバメがその場所を選んだ理由は、天敵のカラスから最も襲われにくい所だと本能的にわかっているからでしょう。
ツバメの天敵はカラスとヘビだといわれています。場所柄、ヘビはまず見ないのですが、カラスは飛び交っています。玄関口にある巣はどれもカラスの襲撃にあっていて、唯一、無傷の巣が昨年の巣です。だから最も安全な所とわかって新しい巣をその横に作ったのでしょう。巣は高い位置にあり、しかも常に観察しているわけでもないので、産卵や抱卵している様子はほとんどわかりません。雛が生まれ、巣から頭をのぞかせて、ようやく今年のツバメの誕生がわかる次第です。雛は毎日、にぎやかな園児さんの声を聞きながら育って、やがてどこかに飛び去って行きます。
玄関口の奥に昨年作られた巣

左側が今春4月下旬に作られた新しい巣

5月23日撮影 5羽の雛が誕生。大きく口を開けている4羽の左端に口を閉じている1羽がいる。

5月26日撮影 大きくなった雛。4羽見えるが、もう1羽いるはず。
今春、ツバメが戻って来て、昨年までに作られた4つの巣のどれかに産卵するかと思っていました。だが、それはしないで、新たな巣を作り始めました。その場所は玄関口のもっとも奥まったレンガ壁の所です。そこには昨年作られた巣がすでにあり、そのことは上記7月16日のブログで報告しました。なぜだかその巣を利用しないで、真横に今年の新しい巣を作りました。ツバメがその場所を選んだ理由は、天敵のカラスから最も襲われにくい所だと本能的にわかっているからでしょう。
ツバメの天敵はカラスとヘビだといわれています。場所柄、ヘビはまず見ないのですが、カラスは飛び交っています。玄関口にある巣はどれもカラスの襲撃にあっていて、唯一、無傷の巣が昨年の巣です。だから最も安全な所とわかって新しい巣をその横に作ったのでしょう。巣は高い位置にあり、しかも常に観察しているわけでもないので、産卵や抱卵している様子はほとんどわかりません。雛が生まれ、巣から頭をのぞかせて、ようやく今年のツバメの誕生がわかる次第です。雛は毎日、にぎやかな園児さんの声を聞きながら育って、やがてどこかに飛び去って行きます。
玄関口の奥に昨年作られた巣

左側が今春4月下旬に作られた新しい巣

5月23日撮影 5羽の雛が誕生。大きく口を開けている4羽の左端に口を閉じている1羽がいる。

5月26日撮影 大きくなった雛。4羽見えるが、もう1羽いるはず。

2018-05-26 :
麦川保育園 :
炭鉱写真集の紹介
先日、ご門徒の方から今では入手出来ない貴重な2冊の炭鉱写真集を寄贈されました。その一つは平成7年(1995)12月に発行された『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』、もう一つは平成10年(1998)3月に発行された『炭鉱ー有限から無限へー』で、両書とも炭鉱写真集編集委員会が編集し、宇部市が発行したものです。
この2冊のうち、前書は、4年前の本ブログ(「大嶺炭田の歴史」)の中で紹介しました。その記事は、山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真を掲載する目的で、一時的に借用したその本の写真を利用したものですから、本自体については詳しく触れませんでした。このたび改めて編集後記を読んだところ、両書が刊行されたいきさつが次のように述べられています。
平成4年秋、宇部市立図書館は、炭鉱と炭鉱にたずさわった人々を顕彰する意図をもって、写真展『宇部炭鉱展』を企画したところ、写真集の刊行の希望が寄せられたため、宇部市立図書館に事務局を設置し、宇部炭田のみならず、大嶺炭田、津布田炭田など、いわゆる山口炭田の炭鉱跡の現状調査や炭鉱関係の写真約6,000点が収集されたということです。
収集された写真を整理・選別して戦前篇と戦後篇の二部構成に編集し、最初に戦後篇が『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』として、続いて戦前篇が『炭鉱ー有限から無限へー』として刊行されました。現在では入手不可能な貴重な写真が多数掲載された2冊の写真集が寄贈されたので、今後、私が最も関心のある大嶺炭田関係の写真を中心に折を見て紹介したいと思います。
なお、著作権の問題ですが、前述した4年前の本ブログに鳥瞰写真を利用する際、宇部市立図書館に書面でもって写真をブログに転載する許可を求め、了解を得ていることを付記しておきます。
『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(表紙)、平成7年(1995)12月刊行

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(裏表紙)

『炭鉱ー有限から無限へー』(表紙)、平成10年(1998)3月刊行

『炭鉱ー有限から無限へー』(裏表紙)
この2冊のうち、前書は、4年前の本ブログ(「大嶺炭田の歴史」)の中で紹介しました。その記事は、山陽無煙鉱業所の鳥瞰写真を掲載する目的で、一時的に借用したその本の写真を利用したものですから、本自体については詳しく触れませんでした。このたび改めて編集後記を読んだところ、両書が刊行されたいきさつが次のように述べられています。
平成4年秋、宇部市立図書館は、炭鉱と炭鉱にたずさわった人々を顕彰する意図をもって、写真展『宇部炭鉱展』を企画したところ、写真集の刊行の希望が寄せられたため、宇部市立図書館に事務局を設置し、宇部炭田のみならず、大嶺炭田、津布田炭田など、いわゆる山口炭田の炭鉱跡の現状調査や炭鉱関係の写真約6,000点が収集されたということです。
収集された写真を整理・選別して戦前篇と戦後篇の二部構成に編集し、最初に戦後篇が『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』として、続いて戦前篇が『炭鉱ー有限から無限へー』として刊行されました。現在では入手不可能な貴重な写真が多数掲載された2冊の写真集が寄贈されたので、今後、私が最も関心のある大嶺炭田関係の写真を中心に折を見て紹介したいと思います。
なお、著作権の問題ですが、前述した4年前の本ブログに鳥瞰写真を利用する際、宇部市立図書館に書面でもって写真をブログに転載する許可を求め、了解を得ていることを付記しておきます。
『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(表紙)、平成7年(1995)12月刊行

『炭鉱ー戦後50年のあゆみー』(裏表紙)

『炭鉱ー有限から無限へー』(表紙)、平成10年(1998)3月刊行

『炭鉱ー有限から無限へー』(裏表紙)

2018-05-10 :
新聞・書籍・TV :